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already dark, however still blue ‐血鎖絶ち斬れ不退の純青‐  作者: 浮城燈往
エピソード3 魔女の鳥籠
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1‐4 宣戦布告

 朝という時刻が色づいているかのように、薄青く爽やかな空気が流れている。

「……はぁ」

 対照的に憂鬱な溜息が、殺風景な零室に生まれ落ちた。

 机に顔を半分埋めるようにして、時幸は虚空を睨みつける。まだ血は足りないが、一晩休んだことで大分調子は戻ってきている。師匠による乱暴ともいえる鍛え方のお陰で、回復速度は常人のそれより遥かに速い。一期ほど驚異的な回復力ではないにしても、軽い骨折程度なら自分で固定して戦闘続行も可能だ。大怪我を負っても、担当医が蘇生より治療を選択してくれたのは、この丈夫さが関わってもいる。

 だから、気分が落ち込んでいるのは不調のせいではない。

「朝っぱらから陰気臭いな」

 と、硝子張りの扉を開けて、琴羽が入ってきた。

 アンニュイな少年とは対照的に、ばっちり化粧を施し、糊の利いたスーツで身を固め、夏らしく金魚の泳ぐトンボ玉の涼し気な簪で髪を纏めた彼女は光り輝いている。

「おはようございます。こんな時間に零室にいらっしゃるなんて、珍しいですね」

 身体の調子が悪かろうと、心にもやもやがあろうと、一通りの行儀の身についた時幸は挨拶を交わした。

 零室室長であるとともに特務部監督主任でもある琴羽は多忙の身で、上司の直属の命令よりも他部署の雑用を申しつけられることの多い部下達のことは基本、放置気味のはずだ。

「いて悪いわけでもないだろ。ん、サナはまだなのか」

「始業までまだ四十分くらいあるじゃないですか」

「おまえこそそんな早くから暇な奴だな」

 と、薄く埃の被った彼女の席から椅子を引っ張り、時幸の正面に持ってきて腰掛けた。

「悩みごとなら聞いてやらなくもないが」

 時幸は顔を上げ、目を瞬く。

「驚いた。何かいいことでもあったんですか」

「別に。たまには悪くないだろ」

 まるで茶飲み話に付き合うような気さくさで、掌を上に向けてひらひらと振ってみせた。

 どうやら本当に、ただ人生相談に付き合うつもりらしい。一期の後輩だけあってからかうことも多少あるものの、放任主義の彼女にしては、本当に稀なことだ。

「はあ……実は」

 そんな彼女の様子に乗せられるように、昨日のことを話しだす。

 話の途中で寝落ちしてしまい、寮まで運ばれた、と語ると、琴羽は肩を竦めてくくく、と低い声で笑った。

「どうせサナのエッチな夢でも見てたんだろ、涎垂らして」

「み、み、見てませんし、垂らしてません! なんですか、それ」

 といいつつ、赤くなって口元を覆う時幸。いま拭っても意味ないだろ、と心の中で突っ込みつつ、琴羽は先を促す。

「別に、血を抜いた後なら具合を崩すことだって珍しくないだろ。ここんとこ無理しがち……っていうかさせがちだしな。暑くなって体調のバランスも乱れ気味だし」

 と、まったく衰えを感じさせない女は言ってのける。

「そういうことじゃないんです」

 時幸は視線を下に遣った。

「昨日のことだけじゃなくて……最近、俺、かっこわるくて」

「いまに始まったことじゃないだろ」

 幼少期から知り尽くしている人物からの容赦のない一言。

「ぐっ」

 ナイーブな少年はダメージを受けつつも、続きを話した。

「違うんです、そうじゃなくて……早梛さんと出会って、相棒になって、もうすぐ二か月経つっていうのに……早梛さんの前で、みっともない姿ばかり晒してて……今出川さんの言葉じゃないですけど、俺にだって意地っていうものがあるんです。みっともないとこばっかり見せたくない。体質とかあれこれ言い訳してばっかりじゃ、立つ瀬がない。俺は……」

 瞬きを数度行い、最後に目をぎゅっと閉じる。

「早梛さんに、あの人にだけは、これ以上無様を晒したくない……もっと頼りがいのあるところを見せたいんです」

「そうかそうか、なるほどな」

 琴羽は口元を抑え、笑みを隠した。時幸にはばれていたようで、人が真剣な話をしているのに何を、といった表情で睨んでくる。

 惚れた女の前でかっこつけたい、あわよくば好かれたいというのは自然なことだ。それが空回るのも、年頃の男子として何らおかしなことではない。

 何より、時幸にそんな「あたりまえ」が訪れたことが微笑ましくて、ついつい笑みが零れてしまう。

 とはいえ、本人にとっては深刻な悩みらしい。琴羽なりのアドバイスを授けてやる。

「おまえさ、ちょっと先輩のこと思い出してみろよ」

「師匠の?」

 時幸は脳裏に一期を思い描いた。

「それで、あの人の普段の言動を思い返してみろ」

 言われたとおり、かつての師の言動……任務や会議の最中ではなく、いつもの、いたずらが成功したときのような勝ち誇った笑みを浮かべる彼の姿を思い起こす。


「はっはっは、その程度でおれに勝とうだなんて百光年早いぜ☆ ちなみに光年が距離だってことは知ってる。つまり物理的に無理だってことだよちびゆきくん!」

「バナナの皮だってさすがに百枚集まれば誰だって転ぶだろ」

「なあコトー、バーガンディとボルドーの違いってなんなんだ?」

「あ、いいこと思いついた。今度山本(やまもと)さんに試してみよっと」

「これは危険な例だから良い子は真似しないこと」

「よせっ、やめろ、さすがにそんなもので頭をかち割られたら死ぬ、死んじゃう!」

「見ろよ、コーラとイチジクを混ぜたらこんな気持ち悪い色になったぞ!」

「やったぜ、大成功だ。……あっはははははは! すげえ、鼻にバナナの皮掛かってやがる!」

「はい、ごめんなさい、九岡。もうしません。反省します(部下の前で正座しながら)」

「悪い子も真似しちゃいけません。おれみたいになるぞ」

「九岡、いや、ほんと勘弁してくれっ(部下の足に縋りついたところを足蹴にされる。そのままげしげしと蹴られて)痛い、痛い、痛いからぁ!(涙目)」


「どうだ?」

「……碌な思い出がありません」

 頭を抱える。我が師ながら、本当に、どうしようもない上にとんでもない人物であった。

 傍若無人にして豪快、なまじ実力があるくせに大人げなく、周囲を散々巻き込んで振り回して。挙句の果てに死屍累々となった弟子や後輩を置き去りに、一人だけほぼ無傷のまま死体の山の上で仁王立ちしてからからと笑う。と思えばすぐ、次のいたずらを仕掛けにさっさと行ってしまう。

「そうだな。じゃあ……あの人のこと、どう思ってる」

「……」

 その問が、現夜一期という人物の総評を求めているのだと察して、時幸は言葉を切る。

 言葉の切れ端を、口の中で転がして……シンプルな答えのみ、舌に乗せた。

「……かっこいいと、思ってます」

 普段どんなにへらへらしていようと。

 私生活がだらしなくても。

 言動が支離滅裂で破天荒でも。

 周囲を顧みない大きないたずら小僧であっても。

 そんなことは関係なかった。

 誰が何と言おうと、時幸にとって一期は、ヒーローだった(かっこよかった)

 「生かされるな、生きろ」という彼の言葉が、いまの時幸を作り、鼓動させている。

 ――だから、仇を討ちたいというのが、いまの彼の生きる目標だ。

「……つまりはそういうことだ。どんなにみっともなかろうと、頼りなかろうと、それはおまえのいいところやすごいところとは関係ないだろ」

 肩を竦め、笑ってみせる。

「何を持ってようが、何を教わっていようが、おまえはまだ十五の坊主なんだ。半端にかっこつけて背伸びしたところで様にならないのはあたりまえだろ。肩に力込めてしくじるくらいなら、泥に塗れてでも自分にできることに真剣に取り組め。その方が、サナには伝わるさ」

「……そういうもの、でしょうか」

「そういうものだよ、ちびゆきくん」

 何か言おうと口を開きかけた時幸よりも先に、次の言葉を被せてしまう。

「悔しかったらそう呼ばれないように頑張ることだな」

 口の端を持ち上げてにっと勝気に笑った。

「守るべきときに守るべきものを守り、決めるべきときに決める。いいかっこしようと見栄張ってると、大事なものを見失っちゃうぞ」

 彼女らしくない話し方。されど少し師匠を思い起こさせる話しぶりに、思わずこちらの口元も綻ぶ。

「わかりました。……やってやりますよ」

「その意気だ。いい男になれよ」

 通気の風がふわり、と、彼女の後れ毛を攫う。

「おはようございます……あれ」

 と、折しも早梛が顔を出した。

「おはようございます」

「ああ、おはよう」

「琴羽さん? 私、遅れちゃいましたか」

「いや、始業まで二十分はある。少し早いが、昨日の続きから頼むぞ。その分今日は早く上がっていいから」

 そう言って、着席したばかりの彼女にデータを送信する。

 覚えることが多くて目を白黒させる早梛を、時幸がサポートする。仕事も距離感のとり方も概ね順調だ。満足し、席を立ちかける。

 ふと、思い立って、二人に声かけた。

「せっかく三人揃ってるし、写真撮るか」

「え」

「はい?」

 若人達は思わず顔を見合わせたが、構わず席を立たせ、フォトアプリを起動する。

 急だったせいか、それとも遠慮のせいか、時幸も早梛も、ぎごちない笑顔だった。まるで新人の頃の私みたいだな、と思いつつ、壁際のギャラリーに真新しく追加する。

 その、直後。

 写真が掻き消えた。

「……え」

 その一枚だけではない。連鎖するように次々に、零室の思い出が閉じられていく。まだ生きている者の笑みも、もういない人の一瞬を切り取った情景も、泡が弾けるように消失する。

 同時に、空中に散開していた仕事内容の電子書類が「つ」の字型に歪み、葉っぱを破るようなびりびりという音とともに細かい微粒子になって画面いっぱいに散開した。

「な、なんです、これ」

「やだ、私、どっか触っちゃった⁉」

「どけ! ……これは」

 突然のことに狼狽える二人を押し退け、画面の前に立つ。

 画面には赤いラインが点滅し、その上から何かの図形のようなものが新しく送信され、表示されていく。同時に、開いていないはずのウィンドウが次々に空中に展開し、同じく差出人不明のデータがどんどん更新されていった。

 触っても反応がない。プログラムを起動させようとしても、強引に電源を落そうとしても無駄。こちらの操作を一切受けつけない。

 電子音が鳴り響く。画面から目を離さず、音源である胸ポケットに入れた端末を起動させた。

「私だ!」

『主任、すみません、パソコンが止まっちゃって……あ、なんだか、わけわかんないデータがっ』

『こ、こっちもです、次から次へと勝手に開いて……って、これ、本部の見取り図でしょうか』

 どうやら他の場所でも、同じような現象が起こっているらしかった。

『こっちは……年表? あ、このグラフ、年間死亡者数と……《調律の彼女》の推移? これ、隣の部署のなんじゃ』

『わ、わけわかんないです、こんな膨大なデータ、一度にっ ブツッ』

「おい、どうした⁉」

 電話口からうるさいくらいに流れ出ていた困惑の声が、蛇口を捻るように停止した。否、切断された。

「くそっ……」

「こ、琴羽さん? いったい何が」

 琴羽は唇を噛み締め、絞り出すように呟いた。

「ハッキングだ。おそらく、本部全体で同じことが起こってる。通信も遮断された」

「……本部のセキュリティに干渉したってことですか? なら監察部が今頃」

「いや。非常停止プログラムが作動してない……内部からの操作じゃない」

「そんなっ」

 二月前のクーデター未遂とは異なり、いまは離反者、裏工作への対処の専門部署である監察部が本部に待機している。彼らの作った独自のプログラムが通常業務で用いるシステムと並行して作動しているはずだった。それが無効ということは……外部からの干渉、ということになる。

 だが、それこそ至難のはずだった。堅固な上に常時更新される《機関》のガードを擦り抜けるだなんて芸当、並大抵の人間にできるはずもない。

「いったい誰が? 何の目的で?」

「落ち着け。慌ててもどうしようもない。それよりも……」

 琴羽は情報が洪水したままのウィンドウに目を戻す。

「こんな情報を、どうして?」

 表示されているのは、《機関》本部地下ブロックエリアの見取り図。この間大打撃を受けて、いまも復旧工事の真っ最中だ。地図の中では損傷箇所が赤いマーカーで表示されている。

 だが、損傷箇所の情報は担当部署内でしか公開されていないはずだ。他の職員は「壊れた」ことは知ってはいても、「どこが」は知りようがない。外部に公開する情報には損傷箇所は表示されていないし、末端に至ってはそもそも地下施設の存在を明かしてすらいない。

 他のデータも同様だった。《機関》内部のごく限られた人間しか知りえない統計や記録、武器の設計図など。

 しかし一方で、殆どは他部署に漏れても特に問題のないデータばかりだ。外部漏洩厳禁の研究部のデータなどは外国語に加え、専門用語や研究部内でしか通用しない独自言語で暗号化されている。他部署の人間には一見して何が書いてあるのか理解できないし、解読に時間を費やしたり、流用目的でコピーや移動を行おうとすれば、オートデリートされるシステムが組み込まれている。健康データに関しては時幸以外のものも保存してあるし、「秘密」に関わることはそもそも書類として残していない。

 常務部、特務部では逆に、職務の分担はあっても、ある程度の情報共有がされている。自分の専門領域がばれて困るのなんて、一期のように味方にさえ秘匿している独自捜査を行なっている者か、就業時間内に隠れてゲームしている一部のサボり魔くらいだ。

 今回のデータ放出は、《機関》にとって何のデメリットもない。……いまのところは。

 つまり、これを仕組んだものの目的は、誇示と脅迫、或いは宣伝。

 自分はこんなことができるんだぞ、この情報を「外部」に知らされたら困るだろう、というアピール。

 再度歯噛みする。相手の目的が何であれ、他所から攻撃を受けている、というのは気に食わない。

 だが、そろそろ上層部から、デジタルに頼らない方法による非常連絡が行われるはずだ。被害の規模や対策も自ずと知れるだろう。

 しかし……こちらから状況を動かす前に。

 目の前いっぱいに展開していた画面が、一斉にブラックアウトする。

「……」

 予想の範囲だ。固唾を飲み込むが、動揺はしない。後ろの部下二人も取り乱すことなく、状況を見守っている。

 突然真っ黒に塗り潰された画面の奥から……亡、と、陽炎のように僅かな揺らぎが発生した。そこだけ薄ら灰色で、上部が丸いこと以外、定かではない。

『やあやあ、おはようございます。あ、場合によってはお休みなさいの人もいるかな。多くの人は初めましてだし……ああ、ごきげんよう、なら、万国共通かな?』

 同時に、音声が耳に届いた。機械によって加工されたそれは、若者なのか老人なのか、男なのか女なのか。聞こえてくる言語は日本語だが、翻訳されていないとも限らない。

『さて。突然の機械の暴走に、故障かな? なんて思った人もいたのかな? 安心してほしい。キミは悪くない。これはボクがやっていることだから。とはいえ、いきなり驚かせてしまって悪かったね。通信も切っていたから、他の状況も判らなくて不安だった人もいるだろう。そういう人のために、少し説明すると』

 薄灰色いそれは、ゆらゆらと揺れながら、徐々に像を結んでいく。

『《赤の帝国》、《禁断の果実(ウィズダム)》、《K&V》、《薪の塔》、《騎士団》、《広州黒鉄党》、《地平線(ホライゾン)》、《魔女狩り》、《ヨハネス三明連合》、そして《機関》。以上の組織、及びそれらを擁している国家政府にハッキングを仕掛けさせてもらった。この通信が届いているのもそれらの場所のみだ。一方的なものだから発言は自由だよ。どうせボクにも聞こえてない。とにかく、そういった場所のデータファイルに接続し、内部情報を公開させてもらった。ああ、公開といっても内輪だけだ。ほら、キミのところに他の組織の情報来てないだろ?』

 自分が圧倒的優位にいるためか、正体不明の声は、こちらを嘲笑うような調子で続ける。

『でも……ボクはやろうと思えばキミたちの持つ情報を好き勝手に閲覧できるし、敵組織にばら撒くこともできる。ボクの実力とキミたちの現状、わかってもらえたかな? さ、じゃあ、ようやく自己紹介だ』

 だんだんくっきりする画面の像、それは……意匠化された鳥籠だった。主のいない空の容れ物に、巻き付いているのは蔓ではなく、双頭の蛇。随分と悪趣味な紋様だ、と早梛は思った。時幸と琴羽はそうではなかった。デザインよりも先に、そのエンブレムが表すものが何か判っていたから。

『ボクは“檻姫”。聞いたことある人も多いんじゃないかな? そういった組織を選んだから。でも、正確にはボクは、いや、ボクだけじゃ“檻姫”とは呼べない。ボクの相方は、五年前に捕まってしまってね。哀れなことに、いまも薄汚い連中によって拘束されているんだ』

「それって……」

 早梛は画面の内の一つを見た。

 それにも“檻姫”のエンブレムが浮かんでいる。されどそれには、数分ほど前にはここ数年の《機関》に関連する事件の年表が表示されていた。その中にちらりと、「“檻姫”による暗殺未遂」という表記があったことを思い出す。

『彼女がいなくなって以来、ボクは活動を縮小せざるを得なかった。一人だとできることが少なくってね。……でも、ボクはいいものを手に入れたんだよ。いまいるここさ』

 “檻姫”の声が弾んだのが判った。合わせて籠の像がブブブ、と僅かに揺らぐ。

『ボクがいまいるのは……「不破の時計塔」。っていっても普通の人にはわからないか。まあ、言ってしまえばただの管制センターなんだけど……規模が問題でね。この時計塔から発信できる範囲は地球上すべてを網羅する。戦後最大の通信施設といえるだろうね。しかもこれ、送れるのは電波だけじゃないんだ。なんでこんなものが岐阜の田舎にあるのかは、ボクにはわかんないけど。ははっ』

 琴羽は目を見開いた。寝耳に水の情報だ。

『それで、だ。この施設に時限装置を設置させてもらった。もう一人の“檻姫”の生体認証を組み込んだから、彼女じゃないと解除できない。他の人が誤魔化そうとしても無駄だよ。ああでも、施設内にはトラップも仕掛けたから、エキスパートに彼女をエスコートしてもらわないとね。それで、だ……もうわかるだろう?』

 琴羽は苦々しい視線を画面に向ける。振り向けば、時幸も同じ顔をしていることだろう。おそらくは本部にいる、《機関》に所属している、宣戦布告された組織の誰もが。

 《機関》内で情報を公開されることは、痛くも痒くもない。

 だが、外部に暴露されるとなれば話は別だ。表立っては同盟関係である日本政府にさえ隠している、知られてはいけない情報がごまんとある。ましてや敵対組織に機密が漏れた日には、国際問題、最悪人類同士の戦争だってありうる。……そんな情報を、《機関》は抱えてしまっている。

『ボクの要求にして、今回の作戦の目的……ボクのパートナーを解放しろ。二十四時間以内に彼女によって解除されなかった場合、さっきキミたちが見た情報、あとついでに【魔女】と《調律の彼女》の真実が、全世界に発信されることになるよ。じゃあ、待ってるね』

「なっ……」

「はっ……」

 予想外の展開に、さすがに数秒、呆けてしまう。

「……暴動が起こるぞ」

 籠の画像が消え、画面は冴えた青い光で満たされていく。と、風を切る猛禽の羽のような音を立てながら次々と消失した。先ほどまでの情報の洪水が嘘のように空間に空きが生まれる。やがて一つだけ画面が開いた。ロード中の砂時計が点滅している。

「琴羽さん……」

 部下二人の視線を背中に受けつつ、されどまだ振り向かない。振り向けない。

 と、息を吹き返したように端末が鳴り出した。――が。通話ボタンではなく、電源を長押しし、強引に接続を切る。

「⁉」

 呆気にとられる二人を無視し、頭を掻き毟った。簪がずれ、丁寧に整えられた髪は瞬く間にぐしゃぐしゃになる。

「わかってる、すぐ行く。でも、その前に話しておかなきゃならないことがある」

 少しだけ冷静さを取り戻した。椅子に掛け直し、二人にも着席を促す。

「……“檻姫”。約十年前から各国機関を悩ませてきたテロリストの一味だ。主な活動はハッキングとドローン操縦による情報撹乱で、特定の組織の子飼いではないがあちこちにパトロンがいたらしい。五年前に片割れの朝日メリサは収監することができたが、もう一人の小里川志緒は取り逃がした……いや、当時、やろうと思えば追えたんだが、様々な理由から政府と意見が折り合わなくてな。ただ、相棒を失った小里川はしばらく大人しかったんだが……」

 琴羽は頭を押さえた。煙草を吸いたい気分だったが、換気されているとはいえ地下の封鎖空間で喫煙は宜しくない。

「この間のノーマン親子の一件、どうやら背後にいたのはこの男らしい」

「⁉ 本当ですか」

「ということは……」

「ああ」

 頷いて、先を吐き出す。

「入国の手配、及び土壇場での計画変更のカバー、報告の偽造と最悪のタイミングでの情報操作……《機関》のセキュリティはとっくに食い破られていたんだ。こっちが離反者だの上位【眷属】だのにかかずらってる間にな。それで、奴はおそらく《同盟(アライアンス)》と取引を行い、準備を整えた。今回の件は満を持しての、ということだろう」

 肩を竦めた。

「暴動が起こるのは避けたい。だが五年前、日本だけでなく複数国の関わる事件の末に拘束したテロリストを野に放つわけにもいかない。そして一番厄介なのが……朝日メリサを拘束したのは《機関》であり、収監しているのが日本政府ということだ。どちらに転んでも、日本への大バッシングは避けられないだろうな」

「そんな、」

「サナ、テロリストというのは概ねそういう連中だ。相手が一番嫌がることを周到に仕掛ける。しかも施設内トラップだと……くそっ」

 再び、頭をがしがし掻いた。危うげに挿さっていた簪が遂に外れ、床に落ちてキィン、と鋭い音を立てる。

「メリサを拘束したのは先輩だ。わざわざ拘束した本人に護衛させ、解放させようっていう魂胆だろう。だが先輩は……」

 現夜一期は、もういない。

 施設にいったいどの程度の罠が仕掛けられたのか定かではないが、一期レベルのエージェントでしか攻略できない仕掛けだとしたら。現在の《機関》で対抗できる人員は限られてくる。

「問題はそれだけじゃない。朝日メリサが収容されているのは離島の監獄だ。奴を連れ出すのも一筋縄じゃない」

 息を吐き、琴羽は髪を纏め始めた。

 そのとき、咳き込むような音が二、三度響き渡り、次いで非常事態を告げるサイレンが頭上から降り注いだ。

 天井近くのスピーカーから、男の声が流れ出す。

『特務部遊撃班、梅島(うめじま)琴羽、現夜時幸、神橋早梛。以上三名は直ちに総帥執務室まで来るように。繰り返す、梅島琴羽、現夜時幸、神橋早梛の三名、総帥がお呼びだ』

 それだけ言って、半ば怒鳴りつけるような声はぶつりと途絶えた。


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