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*第四章*

 ノーマン達を通した応接室よりも数倍広い会議室。室内にはカーブを描く机が複数、円を描くように設置され、人数分の椅子が並べられていた。琴羽や先ほど交渉を担当した職員の他、交渉班の長や山本、沢村の姿もある。中央には上を向いた映写機が置かれ、録画を再生していた。

 ノーマンの連れていた少女が、《機関》職員による監視の中、採血されている。職員は用意された試験官に少女の血液を垂らしていく。緊張しているのか、少女は両手を組んで俯いていた。七つの試験官のうち一つに反応があり、職員は少女に幾つか質問した後、検査が済んだことを伝えて退室させた。

「反応があったのは六型の試験官で間違いありません。空港での簡易検査でも同じ結果が出ています」

 交渉班の宮坂が手元の資料を読み上げる。

「ノーマン、及びこの少女は十日ほど前、ロンドン国際空港から香港を経由して成都を目指す切符を購入しました。四川入国の手続きは既に本国で済ませてあります。にもかかわらず、数日間香港に滞在した後、途中で目的地を変更して日本に向かいました」

『つまりあの装置は、初めは中国に届けられる手筈になってたってことね』

 隣の席から夏来の声がした。しかし、彼女はいまこの場にいない。椅子に座っているように見えるのは投影しているホログラムだ。彼女はいま、本部から遠く離れた地下実験場で装置の解析に当たっている。

「入国したのは昨日のことです。入国目的は《機関》との会合。日本政府に対して《同盟》の名義で要請してきました。審査が通り、梅島主任に話が伝わるまでにかかったのは僅か半日です」

「早いな。それじゃ、現地で武器を調達する時間はなかったというわけか」

 映し出された各資料に目を通しながら、琴羽が呟いた。

「はい。空港での手荷物検査でも武具の類は持ち込んでおらず……先ほどの我々の検査でも発見できませんでした」

 「なかった」ではなく「発見できなかった」とした辺りに自信の無さが窺えた。その隙間を、横に座る人物が目ざとく突いた。

「故意に見逃したのではないのですか?」

 やはり、先ほどの話を蒸し返す輩が現れたか、と、うんざりした考えが頭を巡る。

「……我々が汚職を行ったとでも? そんな時間がいつあったというのですか?」

「顔を合わせた瞬間にでもできますよ、そんなこと。でなければ、どうやって武器を持ち込んだというのですか?」

「ありえません。ボディチェックには複数人当てていました。不審な行動があれば報告があるはずです。あなた方こそ、会場設営のふりをして室内に武器を隠していたのでは?」

「どうやってノーマン達に隠し場所を教えられるというのです? 我々は初対面であり、打ち合わせの時間もなかったことはあなた方がよくご存じのはずです」

「数日前から密かにコンタクトをとって示し合わせていたのでは?」

「証拠があるのですか? ボディチェックに当たった職員全員が口裏を合わせていないという保証もないですよね?」

 ボディチェック、会場設営、実際に交渉に当たった職員、交渉班は三つに分裂し、それぞれ己の無罪の主張と、相手の不備、或いは内通を疑い罵り合った。


「やかましい」


 けして空気を震わす一喝ではない。

 むしろ吐き出された言の葉の乱暴さとは打って変わった廉潔な声音だった。にもかかわらず、部屋の中は先ほどの喧騒が嘘のように静まり返り、ただ、刺すような緊張が迸る。全員の視線がいま、部屋の最奥、映写機の対面に陣取る人物に注がれていた。

「いま、この場で議論することじゃないだろうが。離反者がいることも、未だに見つかってないことも既に判ってる。確かに無視できる問題じゃないし、先月取り零したのは俺の落ち度だ。だが、大事なのはそこじゃない。わざわざ多忙な室長連中を集めてるんだ、後にしろ」

 いまや会議の場は、凛とした声とその主によって支配されていた。事実その言は理に適っており、話を戻そうとする者は一人たりともいない。

「連中が執着するあの装置とは何か。それをどう使うつもりなのか。……そして、今回話が折り合わなかったことで、《機関》や日本にどんな不利益があるのか」

『そのことで新しい発見があるの』

 それまで黙っていた夏来が口を挟んだ。

『中身はまだ取り出せてないけど、この外装、どうやら“メイフライ”の中から見つかった人工物の破片と一致するらしいの』

「‼ 奴の狙いはミラノの再現か」

 部屋にいる全員に戦慄が走る。

『そう考えて間違いないと思う。でもやっぱり、クラスⅠが突然現れた理由は定かじゃない』

 夏来の像が振り返り、何もない虚空に向かって話しかける。いや、そう見えているだけで、現実の彼女は遠く離れた場所で、同じ場所にいる誰かに確認を取っているらしい。

『計器を確認したんだけど、半径100キロメートル以内にクラスⅠの反応はない。空も地下も、七型どころか他の型もね。ノーマンがわざわざ現地に赴いたってことは、呼び寄せるには何がしかの外的刺激が必要なのかもしれない』

「中身の解析は進んでないのか?」

『難しいわ。外装が二、三層剥がせたからもう一回スキャンしたけど、ほんとに毛髪っぽいもの以外確認できない。一枚剥がすのにも特注器具が必要だったし』

「急げ。ノーマンは場所を掴んでる」

『なんですって⁉』

 琴羽が先ほどのやりとりを説明する。

『うそ……発信機の類はほんとにないのよ? あったとしてもこの部屋では意味がない。広範囲のジャミング処置が施してあるんだもの』

「だが事実だ。警備はどうなってる?」

『盗聴の恐れがあるから詳しくは話せないけど、地上からの侵入は不可能よ。本部とも一時的な隔絶状態にある』

「そうか」

 最奥の人物が琴羽に顔を向けた。

「梅島、おまえの意見はどうだ?」

 四川に入るためにはかなりの手間とコネが要る。それを無に帰してでも日本に向かうということは、易々と同じものを作り直して送り直せるような代物ではない。しかも、《機関》に解析される前に一刻も早く奪い返さなくてはならないということだ。それだけあの装置がノーマン達にとって重要であることが窺える。

「……成都に届く予定だったってことは、調査の依頼ではなく【魔女】への攻撃である可能性が高いな。そして、手放さないこと、それを会談で伝えたことによって標的が変わった可能性もある。たとえ連中に日本を襲う気がなかったとしても、時限装置の類なら保持し続けるだけで厄介なことになりかねない」

 部屋の空気がざわめく。つい先ほどまで言い争いをしていた一派が、顔を見合わせ、皆不安の色を浮かべていた。

「ばかな、中身はただの髪の毛でしょう?」

「《ディヴィジョン》の細胞が一定期間を経た後に下位の【眷属】を生み出すこともあるのは、《機関》の者なら知らぬはずがないでしょう」

「し、しかし、クラスⅠは他の《ディヴィジョン》とは違う! クラスⅠは、【魔女】にしか生み出せないはず……」

 半ば喚くような一言に、会議室にいる全員がある可能性に思い至る。

「……つまり、その髪は、【魔女】のものかもしれない?」

 代表して山本が、重い口を開いた。

『【魔女】の髪ってことは、ありえない話ではないわ。でも、これが《ディヴィジョン》に変わるなんてことは考えられない』

 専門家である夏来が異を唱える。

『【魔女】が【眷属】を作る際には、身体の一部に命令を与えながら切り離す必要があるわ。この「一なる命題」こそが【眷属】の存在意義であり、創造主と繋がる核でもある。たとえ【魔女】の肉体の一部だったとしても、切り離しただけでは《ディヴィジョン》は生まれない』

「既に命令を与えている、という可能性は? 時間差で顕現するとか。それに七型なら、条件が揃えば転移ができるかもしれない」

『いくら七型の“不変”でも、命令を与えた後も膨張しないクラスⅠなんて前例がないわ。それに、詳細不明とはいえ、ただの髪の毛であって【眷属】ではないのは確認済みよ。たとえ時間差でクラスⅠになるんだとしても、潜伏期間中にリソースを裂いているのなら、なったとしても大した個体にはならないでしょ。同じ理由で“転移”も考えられないわ。超長距離の移動にエネルギーが要ることに変わりはないもの』

「では、やはり、クラスⅠを呼び寄せる触媒の役割を果たすと?」

 職員の一人が、怯えた声で口を挟んだ。

「ですが、クラスⅠの接近はないのでしょう?」

「いまのところは、な。連中の現在地は?」

「はい」

 ノーマンの監視を担当している職員が立ち上がる。

「現在は滞在先のホテルに戻っています。途中立ち寄った場所はなし。引き続き監視を続けます」

「そうか」

 報告を受け、中央に座す人物が部屋を見渡した。皆、固唾を呑んで次の言葉を待つ。

「依然として総帥が不在の不安定な状況が続いている。この隙に先月捕まえ損ねた裏切り者が行動を動かすかもしれんが、それについては引き続き俺と監察部の連中で警戒に当たる。一室、二室はノーマンの監視を強化しろ。少しでも怪しい動きをしたら即拘束して構わない。《同盟》と世論への言い訳は後で考えればいい」

 一旦言葉を切り、沢村達の方へ顔を向ける。

「四、六、九室は常務部と連携して待機。万が一クラスⅠが襲撃してきた場合に備えろ。夏来、七型の場合、何が必要になる?」

『この間の“霹靂”は三型のクラスⅡだから、骨格なり皮質なり利用すればクラスⅢまでは何とかなると思う。でも、クラスⅠとなるといまの東日本一区、いえ、日本ではすぐ用意はできないわ』

 本来、七型はイギリスを中心に北欧、北米を主な活動地域としている。日本には滅多に襲来しないため、備えは少ない。対抗因子である三型の細胞は豊富だが、同格以上の因子でないと対抗できない《ディヴィジョン》に対して効果は期待できない。三型‐クラスⅠの細胞は日本でも手に入りにくい。

「なら都市内部の兵器を掻き集められるだけ集めさせる。《マイナー》にも集合の準備を進めさせろ。東海区からも効きそうな兵器を輸入する」

 きびきびと指示を飛ばしていく。

 九岡真澄(ますみ)。現特務部部長であり、《機関》の事実上のナンバー2に当たる。屋内でも常時裾の長いコートを纏っており身体のラインが見えないが、恵まれた長身に、整ってはいるがあまり特徴のない顔立ちをした、どちらかというとまだ若い男だ。覇気だのカリスマ性だのとは結びつかない印象を受ける容姿からは、とてもそんな肩書を持つ人物には見えない。

 それでも、一期が「自分に何かあったときは」と後任に指名していた実力者であり、事実、予測のつかない事態に度々直面する《機関》の、特務部に限らず常務部、研究部も含めたすべての管轄を一身にこなすやり手であることに間違いはない。頼れる指導者というより、堅実で信頼されるタイプだ。厳格で生真面目、冗談の通じない性格で、しばしば上司である一期を逆に説教していた。

「各々充分警戒に当たれ」

 現状できることは少ないが、それでも最悪の場合を想定して備えることが各部署に通達された後、会議は終了した。

「沢村さん」

 席を立った沢村を、琴羽が呼び止める。

「? どうかしたの」

 真剣な話であることを察したのか、いつもの語尾を引っ込めて尋ねる。

 事情を掻い摘んで説明すると、沢村は苦笑した。なまじ育成者として長いだけあって、若手職員同士のいざこざにも手慣れている。

「私では、上手に叱ることができないと思うので……宜しくお願いします」

「叱る、かぁ。……まあ、少し話してみるにゃん。ちょうど話したいこともあったし」

 身を翻すと、帽子の猫耳がひらひらと揺れた。

 雨が降っていた。

 本当は降ってなどいない。たとえ降っていたとしても、屋内なのだから何も慮る必要などない。

 だけれども。

 まるで雨に打たれているかのように。

 冷たくて。

 痛くて。

 刺さるようで。

 一人、当てもなく廊下を駆けていた。まるで架空の雨から逃れようとするかのように。

 逃げてどうする、と心の声が言う。早いうちに解決するべきだ、と理性が諫める。

 それでも。それでも。それでも。

 いまはここではない場所にいたい。

 だというのに見知った場所に来てしまうのは、もはや習性というべきなのかもしれない。

 早梛は通信室の前まで来ていた。正しくは特務部通信班のメインオペレーションルームだ。特に目的があるわけでもなかったが、自分の気持ちに整理がつかないでいて、誰かに話を聞いてほしかった。そっと扉を開ける。

 映画館のような空間だ。前方に大きなメインモニターがあり、そちらを向く幾つもの机が設置されている。机の上にもそれぞれモニターがあり、それらが見やすいようにと室内はかなり暗い。

「神橋さん?」

 すぐ手前の机で偶然作業していた笙香(しょうか)が気づき、どうしたことかと立ち上がりかけた。

「あ、お忙しいところすみません。ちょっと立ち寄っただけで……」

「いえ、お気になさらず。飲み物でも用意しますね」

 他の職員の迷惑にならないよう、奥のブースに入り込む。遮光カーテンで区切られた空間は対照的に明るく、急な変化に目の前がちかちかした。

 笙香が給湯器を操作している間、ふと壁に投射された画像が気になった。五室のホログラムフォトのようだ。何気なく近づいて、一枚の写真に目が留まる。

 途端、呼吸が止まった。末端から冷えていた身体の熱の一片までが失われていく。自分が世界から切り離されたような感覚に陥った。

 悠が、時幸に抱き着いている。

 大好き、と身体全体で言わんばかりの少女に、困ったように眉根を寄せつつも、まんざらでもないというようにはにかむその表情は普段通りの彼そのもので。

 見たくないものを見てしまったかのように顔を逸らした。叩かれるのに怯える子どものように身を竦め……見間違いであってほしい、と願いながら、もう一度顔を上げる。

「……あ……」

 時幸ではなかった。

 艶やかな黒髪、柔和な円い眼、照るような美貌。似ているのは道理だ、彼は、時幸の父親なのだから。よくよく見れば、悠もかなり幼い。まだ十歳にもなっていないのではないか? 時幸が悠と知り合ったのは三年前のはずだ。

 そっと、安堵の溜息を吐いて。……どうして自分が安堵したのか、戸惑う。答えを求めるように、目の前の写真を縋るように見つめた。

 小さな悠はあちこちの写真に登場している。それらすべての中心にいる。シャッターの真ん中。人の輪の真ん中。顔見知りの通信班の職員を見つけると、必ず悠に笑顔を向けていた。

「どうされました?」

 と、笙香が横から声をかける。

「あの、これ、悠さん、ですよね」

 一枚の写真を指し示す。写真の中央、愛おしくて堪らないという顔で悠を抱きかかえているのは、他でもない笙香だ。その周りを、通信班の女性陣が囲んでいる。

「ええ。悠さんです。時の流れは早いですね、すっかり大きくなって……まあ、昔からとてもかわいらしいお嬢さんだったんですけれど」

 声を弾ませ、悠との思い出を語る。

「小さい頃はよく遊びに来ていて、いけないいけないと思いつつも、仕事放って相手したものです。あの円らな瞳にお願いされると、どうしても断れなくて。でもそれはメンバー皆がそうだったんですけどね。彼女、通信班のアイドルだったんですよ」

「そう、ですよね……」

 どの写真からも、人気者だったことが窺える。

 いまだってそうだ。耳が聞こえない、話せないことなどなんてことのないようにコミュニケーション力が高く、《マイナー》として都市防衛に貢献し、相棒との関係も良好。戦闘力も判断力もあり、快活な性格で大勢から好かれている。……おそらくは、時幸からも。少なくとも、早梛よりかはずっと。

 そう思った途端、吐き気のような嫌悪に襲われた。まともに息ができないくらい苦しくて、ひどく痛くて、渇いて、震えが止まらない。

「って、神橋さん、どうされたんですか⁉」

 様子がおかしいことに気づいたのか、笙香が駆け寄って顔を覗き込んできた。

「ごめんなさい、用事を思い出して……お邪魔しました」

 身を翻し、出口へ駆ける。後ろから笙香の心配げな声が追ってきたが、無視した。

 部屋を出て、走る。どこへ向かうともしれないまま、走る、走る、走る。向かう先などなかった。ただ何かから逃げるように、追う者もいないのに闇雲に走り回った。

「……はぁ、はぁ……あれ」

 気がつけば、周りには全く知らない景色が広がっていた。《機関》本部の一端なのは間違いないだろうが、振り返ってもどこをどう来たのかさえ憶えていない。


 ――知らない場所では俺が迎えに行くまで待っていてくださいね。


 ぼんやりと思い出した。言われたときにはつい反発してしまったが、ことここに至っては身に沁みる言葉だった。とはいえ、いま迎えに来られても合わせる顔がない。……そもそも、もう早梛を、早梛なんかを迎えに来てくれる気がしない。

「おい、そこで何をしている‼」

「ひぃ⁉」

 背後からの怒声に竦み上がる。振り向くと、見知らぬ男女がわらわらとやってきて、あっという間に早梛を取り囲んだ。皆、白地で襟に「7」の縫い取りのあるスーツを纏っており、何人かは警棒を突きつける。

「何者だ? どこの所属だ?」

「はひ……」

 答えようとしたが、琴羽や時幸に迷惑をかけてしまう、という思いがとっさに口を噤ませた。

「すみません……迷ってしまって……」

「迷った、だと? そんな言い訳が通用するか!」

 至近距離からの怒鳴り声に耳が痺れ、思わず肩を竦ませた。怯えた様子を見せてもなお、連中は圧を掛けてくる。

「そこなおなごは早之助か?」

 と、聞き覚えのある声……それ以上に特徴的な言葉遣いに、顔を上げた。振り向くと、白スーツの壁の向こうから四室室長が歩み寄ってくる。

「皆瀬さん‼」

「皆瀬室長の知り合いか⁉」

 地獄に仏を見つけた心地で彼女を呼ぶと、周囲の白スーツがおそるおそるといった風に道を開けた。

「うむ。この者は拙の知り合いでな。まだ本部に慣れておらんのだ。今回は大目に見てもらえぬか」

 皆瀬は白スーツとも顔見知りのようで、穏やかな口調と笑みであしらうも、手はしっかりと小柄な早梛を抱えて、その場を堂々と後にした。

 大分離れた場所まで来ると、つ、と手を放す。途端に早梛は姿勢を正し、憑かれたように重々しく礼をした。

「すみません‼ ご迷惑をおかけしました」

「うむ。この先は許可がないと入れぬのでな」

「ここって……」

「特務部と研究部の境じゃな。それも、危険な実験室が多い区画じゃ。次からはくれぐれも気をつけよ」

「はい。すみません」

 そういえば地図があったと、腕を上げる。皆瀬が興味深そうに覗き込んできた。

 左手首に嵌ったままの腕時計型デバイスの、左右に幾つもついた螺子を操作すると、多層に渡る本部の地図が立体的に浮かび上がった。皆瀬の言うとおり、ここは特務部と研究部の境目付近らしい。ただ、研究部側の情報がモザイク化し、「立入禁止」の警告が躍っている。

「ほう。技術班はもうここまで開発しておるのか。遠藤の奴も鼻が高かろう」

「?」

「ん、反対側にもなにやら嵌めておるな」

「ああ、これは」

 右手を持ち上げる。シンプルなバングルに見えるそれは、極力薄く撓るように加工した金属を丸め、突き出すことで伸びる武器だ。うまく使えば刺す、打つ、弾くなどの動作ができるそれはまさに、皆瀬の籠手と同じ技術を利用して作られた。

「それはそれは……よいのう」

「でも、J・Rと違って伸ばした後巻き戻しができないんです。実用にはまだ遠いそうですよ」

 どちらも、試用段階のものを特別に貸してもらっている。早く実用化されないかのう、と皆瀬が羨ましそうに手首を眺めやった。

「……ところで、そも、どうしてかような場所におるのか?」

「それは……」

「……早之助?」

 言葉に詰まる早梛の顔を、心配そうに覗き込む。

「……幸の字と喧嘩でもしたのか?」

 時幸の名前が出た途端、 目の前が翳った。窒素濃度が高くなったかのように空気が重い。

「ど、どうした? 何か酷いことでも言われたのか?」

「ちが、違うん、です。時幸くんはっ、時幸くんは悪くない!」

 様子のおかしい早梛に、皆瀬が心配そうに手を伸ばす。早梛はとっさに拒絶するように自らを抱き、小さな身体をさらに小さく縮こまらせ、されど声を張り上げた。

 我に返り、慌てて謝る。

「す、すみません、気遣ってくれたのに……」

「よい、構わぬ……なあ」

 皆瀬は屈みこみ、早梛と視線を合わせた。

「この先に四室の部屋がある。落ち着いて、一つひとつ話を聞かせてはくれぬか」

「……え……でも」

 気恥ずかしさと哀しさと居心地の悪さに、早梛の視線が泳ぐ。けれども皆瀬はまっすぐに見つめ、凛とした声で告げた。

「少しは拙を頼ってくれ。でなければ……ぬし、いまにも倒れそうじゃ」

 半ば強引に手を引かれ、彼女の持ち場へと連れていかれる。

 しばらく歩くと零室のある棟と同じくガラス張りのオフィスの並ぶ一角が現れ、そのうちの一室に通された。構造は大体零室と同じだが、倍ほどに広く、されど机の数が多いためか密集しているように思われた。皆瀬の他は机に突っ伏すようにして一人の職員が居眠りしているだけで、後は出払っているらしい。壁沿いには他の部屋同様、遺影を兼ねたメンバーのフォトが飾られている。

 皆瀬は手近な椅子に早梛を座らせると、自分も近くの席に腰を下ろした。

 早梛が話しだせるようになるまで、皆瀬は待っていてくれた。自分の言いたいことが決まっているわけではなかった。それでも吐き出したくて、ぽつりぽつりと口に出す。

「私…………時幸くん達に、迷惑かけてばっかりです」

「恥じることはない。初めは誰でもそういうものじゃ」

「それだけじゃないんです」

 低く項垂れた。

「私、時幸くんを傷つけてしまった。……もう、顔向けできない。私、私なんか、時幸くんの相棒にふさわしくない」

「そう気に病むことでもあるまい。あやつはそんなに心の狭い男ではない」

「知ってます。時幸くんは優しいから……誰よりも優しくて、優しすぎて……自分を顧みない、人だから」

 時幸に謝りたかった。けれども、自分の言葉を撤回することができなかった。時幸に傷ついてほしくない。そう思っていても傷ついてしまうのは、仕方のないことかもしれない。けれども彼が、自分から傷つくと判っている方向へ進むのは、見ていられなかった。

「どうして、あんなにも捨て身で……どんなときでも、不思議なくらい、自分を投げ出すことに、躊躇いがなくて……周りも周りで、まるで、それが当然みたいに、時幸くんが無茶するのを、止めようとしない……それが、それがすごく、気持ちが悪い」

 時幸が人質に取られたとき、琴羽は平然としていた。「人質の価値はない」と断じてみせた。敵前の詭弁でなかったとは言い切れないが、全くの本心でないとも思えなかった。

 彼女だけではない。特務部の他班、他部署に属する職員、研究者……皆、自然なことのように時幸を切り捨てる。いや、切り捨てるというのはいささか言い過ぎかもしれないが、身を挺して奉仕するのが当然のことのように扱っている節がある。時幸が文字どおり身を削り、おかげで都市が守れているというのに、彼はあまりに軽んじられている。

「確かに、時幸くんは、私よりずっといろんなことに慣れてて、我慢強くて、たとえ、死んでも平気かもしれません。……けれど私は、だからって、こんな扱いをする謂れはないと、ずっと思ってた。だって時幸くんは、たとえ生き返っても、時幸くんじゃなくなるかもしれない。ううん、それ以上に。傷ついているところを、私が、見たくないんです」

 今回のことだけではない。

 初めての二人での任務でも。

 “霹靂”との戦いでも。

 時幸はいつだって、前に出て戦っていた。自分の身を犠牲にして、守ろうとしてきた。

「……だから、不満だと。あやつを使い潰そうとする組織の在り様も、それに甘んじるあやつの態度も、気に入らぬと」

 早梛は一瞬、肩を震わせた。頬が紅潮し、目が釣り上がる。……が、徐々に眦が下がり、肩を落として力なく首を振った。

「いえ……それもありますけど……何よりも、自分が情けなくて」

 時幸を取り巻く環境に怒りを抱いているのは本当。自分を粗末にする時幸を放っておけないのも本当。――けれども最も、吐き出したいのは。

「……彼、いつだって、誰かを守るために、積極的に前に出る。まるで、()()()()()()()みたいに。けど、そんなことない。強がってるだけ、隠してるだけで、時幸くんは……泣いてたんです。『痛いのは痛い、死にたくない』、確かに、そう言ったんです」

 確かに時幸は強い。肉体の強度も精神の成熟度も。けれども、心の底には、年相応の少年らしさと、人が誰しも持っている根源的な恐怖を抱えていることを、早梛は識っている。

「……だから、そんな彼を守ることが、私の役目だと、そのための相棒だと、思ってました。けど実際はっ」

 激情が駆け上る。溢れんばかりの想いが、形を得ぬまま転がり落ちる。

「何も……できなかった。……時幸くんの言うとおり、状況を悪くしただけだった。戦える力があるわけでもないのに出しゃばって、後先考えずに突っ走って……弱いのに、何かできると思い上がって。それで、私を想ってくれた言葉を否定して、自分のこと棚に上げて詰ってしまった」

 ――自分の弱さが、無力さが惨めで、許せなかった。

「責めたいわけじゃ、なかったのに……」

 自分に跳ね返った言葉がいま、硝子の破片のように早梛を切り裂いている。

 時幸が痛めつけられるのを見ていたくはなかった。どうにかして助けたい、と思った。

 動かないでいることができなかった。

 けれども結局、早梛にできたのは、身体を張ってのハッタリだけだった。

 悠のように応用性の高い戦闘技能も、とっさの機転を働かせることも、周囲の味方を手助けできる力も持ち合わせてはいない。むしろ自分がいたせいで、時幸達の立場を不利にしてしまった。そもそも自分を庇わなければ、時幸が人質に取られ、痛めつけられることもなかったかもしれない。

 時幸を守ることも、周囲の意識を変えることもできない。自分が、不甲斐ない。

「私は役立たずで……もう……時幸くんは、私なんて嫌になったかも。こんなうじうじして、弱い上に守りがいがなくて、可愛げもない、いつも困らせてばっかりの私なんか……」

 言葉とともに、ぽろり、と透き通った雫が頬を伝う。

「……そう思い悩むことでもない」

 黙り込んだ早梛の背中を、皆瀬は優しく摩った。

「ぬしは弱くない。要らなくもない。ぬしの代わりはいない。なぜそのように自らを卑下するのか知らんが、ぬしが思うておる以上に、ぬしの存在があやつの心の支えとなっておる」

 そう言って、ぽんぽんと軽く背中を叩く。

「状況を引っ掻き回したくて行動したのではなく、少しでも役に立ちたくてぬしなりに考えた結果なのだろう? であれば、後の責を負うのは大人の仕事じゃ。ぬしが悪いわけではない。むしろその想いは、とても純然で正しいものだ。だが……あやつに必要なのは、代わりの盾ではない」

 まだ若いというのに早梛よりも多くの世界を知っている四室室長は、真剣な顔で見つめる。

「あやつは優しい子じゃ。自分の代わりに誰かが傷つけば責任を感じ、心を痛める。それに……自分が『丈夫』であることを知っておる。一つしか命のない者達が傷つくくらいなら、自分が傷つくほうがよいと思っておる。自分にとって大事な者ならなおさらな。そして、それを当然のことと思うておる。痛いのが嫌というのは本心であろう。だが……あやつはその本心を、これまで散々摘み取られてきたのじゃ」

「え……」

「許せ。あやつが自分の身も顧みず矢面に立とうとするのは、そういう生き方しかできないように、寄って集って矯正されたからじゃ」

 聞き捨てならないことを聞いた。時幸の過去、そしていまの彼と、彼を取り巻く環境について、根幹の話をしようとしているのが察せられた。

 そのときだった。

「やあーっと見つけたにゃん!」

 扉が荒々しく開けられ、振り向くや否や重厚な圧が顔面に直撃した。逞しくしなやかな筋肉に圧迫され、次の季節まで押し入れに収納される冬用布団のごとくぺちゃんこにされてしまうのではないかという危惧を抱いた。

「イオナ殿、早之助が潰れてしまう」

「あ、ごめんにゃん」

 早梛を力いっぱい抱きすくめていた沢村が手を放す。二、三度、流れを止められていた酸素を吸い込んだ。

「サにゃん、大丈夫かにゃん。その……いろいろと」

「……あ」

 見つけた、ということは、早梛を捜していたのだろう。おそらくは、琴羽辺りの頼みで。

「……すみません」

 多くの人に迷惑をかけてしまったと、申し訳なくなる。けれどももう少しだけ、皆瀬の話を聞いていたい。

 いや、聞かなければならない。

 たとえそれで、いままでの関係を続けられなくなるとしても。

「前言ったにゃん」

 沢村も何か察したのか、視線を合わせるように屈みこみ、少しだけ首を傾げた。

「話したいことがあるにゃん。七年前、ユキにゃんに何があったのか」

「拙もちょうど、そのことを話そうとしていたところです」

 皆瀬は机の上のタブレットを操作して壁際を揺蕩うホログラムフォトを手前に引き寄せた。その中からある写真を選んで拡大する。

 顔色からしてかなり酔っ払った女が割れたビール瓶を振り翳し、その標的にされた一期がマジビビりの様相で撮影者に助けを求め、奥で沢村が腹を抱えて笑っているという実にコメントし辛いシチュエーションだった。

美樹本(みきもと)美麗(みれい)。拙の前任者であった」

 弾かれたように顔を上げる。つまり彼女が、沢村の友人で、四室の前室長だった人物。

「やたらと画数の多い名前に苦労したらしく、書類はすべてカタカナで提出していた。本来なら認められないことだが、山本殿がうまく配慮して下すってな。引退される折、『皆瀬さんは漢字で書いてくださいね』と凄まれたよ。拙の名も画数は大して変わらないというのに」

 あっけらかんと思い出を語る。

「そんな破天荒で、殺しても死ななそうな人だったのに……もういない。【魔女】との戦闘で亡くなってしまったのだ」

 ふっと寂しげな顔をした。

「それって……たしか……」

 早梛が言いかけるが、その前に沢村が次の言の葉を継ぐ。

「ね、サにゃん。あなたはいつからサにゃんだったにゃん?」

「え……」

「サにゃんになった瞬間を覚えているかにゃん」

 早梛が早梛になった瞬間。そんなものはない。生まれたときから神橋早梛は神橋早梛であり、そこに特別な証明や保険は必要なかった。だから、沢村が所属や性質を問うているのではないことはわかった。……同時に、誰のことを言っているのかも、理解した。

「いまから七年前のことだにゃ」


 七年前――()()()()()()()()()


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