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98 彼女が頼るのは僕じゃない(レオン視点)

レオン視点です。

 たった一人の男の登場で「彼女」は動揺した。


 僕が知らない彼女の姿だ。


 前世の自分が死ぬ間際だって自分の事より生き残る僕を気にかけてくれた。


 いつだって毅然としている彼女。


 けれど、今、この時だけは違った。


 今生の父親が違う人格となって現われれば、彼女でなくても動揺するだろう。


 けれど、彼女のこれは生半可なものではない。


 知っているのだ。


 父親の肉体に現われた新たな人格の事を。


 ――私が唯一恋した男よ。


 前世の両親を殺した男に一目で恋をしたと言った。


 この男なのだ。


 今生の彼女の父親、ジョセフ・ブルノンヴィルの肉体で生きる、ジョセフと魂を同じくした、けれど、違う男。


 ジョセフ・ブルノンヴィルにはあまり会った事はないが、それでも「彼」がジョセフとは真逆な人間なのは見ているだけで分かる。


 彼女を殺すと宣言されたのに、言われた当人である彼女同様、動けなかった。


 それくらい「彼」の気迫に呑まれたのだ。


「彼」が去り、真っ先に動いたのは、彼女だ。


 傍にいるアンディに縋るように抱きついたのだ。


 アンディとジョゼが二階に上がっていく姿を見送るしかできない僕に、リリがそっと声を掛けてきた。


「……レオン様、大丈夫ですか?」


「……僕は大丈夫」


 心配そうなリリに安心させるように微笑んだ。


 彼女が、ジョゼが、いざという時、頼るのが僕でないのは分かっている。


 彼女にとってアンディは、前世からの知り合いで一番信頼できる人間だ。


 それにひきかえ、彼女にとって僕は、今生では同い年であっても前世で助けた子供に過ぎない。……守る対象である僕に頼るなど思いつきもしないのだ。


 それでも、貴女を守る。


 この命と引き換えにしても――。


 前世で貴女に救われた命だ。


 今度は僕が貴女を守る。


 ……それを貴女が望まなくても。


「しばらく帰れないだろうし、部屋に戻って休もうか」


 僕とリリの主であるジョゼの婚約者の父親、この国の宰相が殺されたのだ。アンディも「もうしばらく滞在させて頂きます」と言ったし、しばらくはブルノンヴィル辺境伯領には帰れないのは確実だ。


「はい」


 リリは頷いた。


 ヴェルディエ侯爵家の使用人達も、それぞれの仕事に戻るために、この場から離れ始めている。


「待って!」


 リリと一緒に宛がわれた部屋に行こうとしたら止められた。


 振り返ると、顔色の悪いジャンが立っていた。


 いくら互いに無関心な親子でも父親の死を知らされたのだ。ジャンの顔色が悪いのは納得できるが、次に彼の口から飛び出した科白は許容できなかった。


「……リリ、しばらく僕と一緒にいてほしい」


「「はあ!?」」


 僕とリリの言葉が重なった。それだけでなく「何言ってんの? こいつ?」というジャンに向ける眼差しまで同じだった。


 ジャンの気持ちは分からなくもない。いくら互いに無関心な親子でも父親が死んだのだ。


 立ち直るために好きな女性に傍にいてほしいという気持ちは理解できるが、リリがジャンに、そうしてやる義理はない。リリにとってジャンは大切な主の婚約者に過ぎないのだから。


「お断りします。では、失礼します」


 にべもなくそう言うとリリはジャンの前から離れようとした。


「お願いだから! 少しでも父を殺された僕を哀れに思ってくれるなら」


 悲痛な顔で懇願するジャンに、リリは醒めた眼差しを向けた。


「実の父親に性的虐待されていた私に、あなたは何かしてくれましたか?」


「……え?」


 ジャンはリリが今言った言葉をすぐには理解できなかったようだ。目をぱちくりさせている。


「ブルノンヴィル辺境伯領の領主館で私を見かけて一目で恋をしたと言ってましたが、私のために何かしてくれましたか?


 子供である事を言い訳にしないでくださいね。当時子供だったジョゼ様は初対面の私のために、できるだけのやり方で私をクズな父親から引き離してくれた。前世で子供だったレオン様は出会ったばかりの私を庇って亡くなりました」


 リリは冷たく先程と同じ言葉を繰り返した。


「あなたは私のために何かしてくれましたか?」


「……それは」


「父親を殺されたから哀れに思え? 甘ったれんな! 世の中には、あんた以上に悲惨な人間がいくらだっているんだよ!」


 何も言えなくなったらしいジャンに、リリは最後は怒鳴りつけていた。


 確かに、愛してもいない父親を殺されたジャンに比べれば、父親に性的虐待されていたリリの過去のほうが遙かに悲惨だ。「自分を哀れに思ってくれ」と言うのは、彼女には何とも許し難い事だろう。


「宰相閣下が亡くなったのなら、あなたは近いうちに宰相になるでしょう」


 リリの口調は落ち着いたものに変わっていた。興奮していては冷静に話せないと何とか気を静めたのだろうが、前世今生合わせても二十歳にも満たないのに驚くような切り替えの早さだ。


「私のような女に甘えないで、しっかりしてください」


「……リリ」


「それでは、失礼いたします」


 縋るような目を向けてくるジャンに対して、リリはスカートの端を摘まみ上げて美しい一礼をした。


 今度はジャンも引き止める事ができず、その場に立ち尽くしている。


 そんなジャンを無視して、僕はリリと一緒に歩きだした。


 





 








次話からジョゼ視点に戻ります。

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