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94 パンドラの箱を開けてしまった

 ジャンやレオンに別れの挨拶もそこそこに車から降りた私は、宛がわれた部屋に直行した。


 リリに手伝ってもらって、お茶会用の華美なドレスから簡素なドレスに着替えた。普段着のドレスなら一人でも着られるが、お茶会や夜会用のドレスは見た目こそ華美だが着脱が大変なので手伝ってもらうしかないのだ。


 肉体年齢は私と同じ十四歳となったリリは、今生の私(ジョゼフィーヌ)と同じく小柄で華奢だのに……胸だけはジョゼフィーヌ(わたし)とは段違いに豊かになった。


 大多数の男のあからさまでいやらしい視線にさらされ、リリは辟易しているようだ。前世の私、相原祥子もお祖母様やリリと同じ女性美の極致の肢体だったのでリリの気持ちは理解できる。


「ありがとう。リリ。後はいいわ」


 普段は貴族の女性らしく優雅な所作を心掛けているけれど、この時ばかりは疲れた心持ちのまま、どさっとソファに腰を下ろした。


「お疲れのようですね。ココアをお持ちしましょうか?」


 普段は紅茶だが肉体や精神が疲れた時はココアを要求するのでリリはそう訊いてきた。


「……そうね。頂けるかしら?」


「かしこまりました」


 頷き、優雅に一礼して部屋から出て行こうとしたリリを慌てて呼び止めた。


「リリ、悪いんだけど、ウジェーヌかアンディが帰って来ているのなら呼んできてくれない」


 ウジェーヌとアンディは何らかの用事で、ここ何日か朝早く出掛け夜遅く帰ってくる生活をしていた。帰宅時間はばらばらで二人同時に帰ってくる時もあるし、どちらかが早い時もある。


 その時は何とも思っていなかったが、お茶会で「彼」の噂を聞いた今は、二人が出掛けた理由は彼に関する事だろうと見当がついた。


「アンディ様ならお帰りです。お呼びしましょうか?」


「ええ。お願い」





 さして待つまでもなく湯気の立つカップを載せたトレーを手にアンディがやって来た。


「ココアをお持ちしましょうか?」と言ったのはリリだが、私の様子からこれからアンディと内密の話をしたいのが分かったのだろう。自分の行き来で話を中断しないようにアンディにココアを持って行くように頼んだのか、アンディが自分から持って行くと言い出したのかは分からないけれど。


 今生で出会った少年の頃は長髪だったアンディだが、青年となった今は前世と同じく短髪だ。長髪は情人だった前宰相の好みで、そうしていただけらしい。彼が亡くなったので手入れが楽な短髪にしたのだという。まあ、彼の美貌ならどちらでも似合うけれど。


「ココアです。どうぞ」


「ありがとう」


 アンディがテーブルに置いたカップを両手で持ち上げると飲み始めた。


 熱くもなく温くもない、ちょうどいい温度。ココアの風味と砂糖と溶けかけのマシュマロの甘さに知らず強張っていた体と心がほっとした。


「……お茶会でね、『タスク・ムトウ』の噂を聞いたわ」


 空になったカップをテーブルに置くと私はぽつりと呟いた。


 氷人形(アイスドール)の容姿とコードネームに相応しく普段無表情なアンディの顔色が変わった。彼としては私に知られたくなかったのだろう。


 私にとって「武東祐」がどれだけ大きな存在か、誰よりもアンディは、《アイスドール》は分かっている。


 前世の私の両親の仇。


「私」が唯一恋した男。


 そんな男を私と出会わせてしまったのは、前世のアンディ、《アイスドール》だ。


 祐、《バーサーカー》が前世の私の両親を殺したのが出会いで、両親を祐に殺すように命じたのは、前世のアンディ、《アイスドール》なのだから。


「……いつまでも隠しておけないのは分かっていましたが、確証を得るまでは貴女に知らせる気はありませんでした」


「ウジェーヌと一緒に祐について調べていたのね?」


 アンディは「武東祐がこの世界に存在している」のが事実だという確証を得てから私に話すつもりだったのだろう。


 アンディの言う通り、祐の存在は、いつまでも隠し通せるものではない。


 殺し合いでしか生きている実感がないと宣った男だ。


 今生でも武東祐、《バーサーカー》が存在しているのなら、どこかで必ず騒ぎを起こすのは分かり切っている。


「……私とウジェーヌが一番気になったのは……ジョセフが消えてすぐに、()()()の噂が出始めた事です」


 アンディが言わんとしている事が私には理解できなかった。いや、正確にはしたくなかったのかもしれない。


「……貴女は考えたくないでしょうが、ジョセフの覚醒した前世の人格が、あいつ……武東祐かもしれません」


「まさか、ありえないわ。お父様と祐は、まるで違うもの」


 甘ったれた貴族のお坊ちゃんだったお父様(ジョセフ)と「殺し合いでしか生きている実感がない」と宣い常に心身を鍛えていた祐。


 真逆な人間である二人の魂が同一などありえない。


「……『貴女』となる前のお嬢様だって、貴女とはまるで違う人間でしたが」


 アンディから思いっきり呆れた視線をもらってしまった。


「……そうだったわね」


 今生で出会った時、アンディはこう言った。


 ――まさか、お嬢様が()()になるとはな。


 ジョゼフィーヌが生まれてから三年見てきたアンディだって分からなかったのだ。今生の人格(ジョゼフィーヌ)が消え前世の人格(わたし)が覚醒するまで、私とジョゼフィーヌの魂が同一だと。


 いくら魂が同一でも、アンディのように胎児から前世の記憶や人格を保持していないのでは、前世とは真逆な人間となっていてもおかしくはないのだ。


「……お父様の前世の人格が祐なら、私は手間暇かけて、祐、《バーサーカー》というパンドラの箱(最悪な人格)開け(目覚めさせ)てしまったわけね」


 パンドラの箱には最後は希望が残ったけれど……この場合、希望などない。


 ()()祐が希望など残す訳がないのだ。


「まだ確証はありませんが」


「祐がこの世界に存在しているのなら、いずれ必ず私に会いに来るわ」


 ジョセフの前世の人格は、祐ではないかもしれないとアンディは言いたいのだろうが、最悪な場合の心の準備はしておくべきだろう。









 








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