91 興味ない婚約者(ジャン視点)
ジャン視点です。
気まずい思いをしたまま私はジョゼと一緒にヴェルディエ侯爵邸に帰って来た。
王都にいる間、婚約者であるジョゼはヴェルディエ侯爵邸に泊るのだ。
王都にあるブルノンヴィル辺境伯邸には異母妹がいるので泊まりたくないのだという。現在行方不明中の父親や異母妹と折り合いが悪いらしい。
車から降りると別れの挨拶もそこそこに、ジョゼは邸内に入って行った。
私も続こうとしたのだが、同乗していたレオンが話しかけてきた。彼もジョゼの従者として、お茶会に一緒に来ていたのだ。
「ジャン様、お話があります。よろしいですか?」
言い方こそ柔らかいが断る事を許さない強い視線だった。
「……いいよ」
私が頷くとレオンが連れてきたのは東屋だった。邸内でないのは人に聞かれたくないからだろう。
「お茶会で、あなたとジョゼ様の話を盗み聞きしました。それについて話したいのですが、最初に盗み聞きをした事を謝ります。申し訳ありませんでした」
立ったままのレオンがベンチに座った私に向かって頭を下げた。
「それについてはいいよ。外で話していたんだ。人に聞かれるのは仕方ない」
「そう言って頂けるのは、ありがたいです」
「……人目がないから敬語はいいよ。君、私に対して敬意など持ち合わせていないだろう?」
むしろレオンにとっての私は蔑みの対象だと思う。
彼が愛する女性を政略とはいえ婚約者にしているくせに、別の女性を愛しているのだから。
「甘ったれたお坊ちゃんでも、それくらいは見抜けるんだな」
レオンは、あっさり言葉遣いを崩した。それだけでなく眼差しも表情も、はっきりと私を嘲っている。
「言いたい事は一つだ。さっさと国王や父親にジョゼとの婚約解消を申し出ろ」
「……いくら君がジョゼを好きでも、そんな事、君が言う権利はないんだよ」
貴族の婚姻は家同士の契約だ。個人の感情だけでは、どうにもならない。私と同じ貴族のレオンが、それを知らないはずないのに。
「個人的な感情だけで、こんな事を言っているんじゃない。そうしなきゃ、お前が婚約解消か破棄をしやすいように、ジョゼが多数の男と関係を持つからだ。僕自身も嫌だという以上に、ジョゼ自身が望んでない事をやらせたくないんだよ」
「……いくら何でも、そこまでは」
「政略でも四年もジョゼの婚約者をしているのに、そんな事も分からないのか? 本当に、ジョゼに興味ないんだな」
「私に興味ないのはジョゼだよ」
「確かに、ジョゼもお前の興味ないけど、お前自身もジョゼに興味ないんだろう? だから、『あなたに興味ない』と言われただけで、ジョゼと親しくなろうとする努力を放棄したんだろう?」
「……私は」
レオンに指摘されて初めて気づいた。
――あなたに興味ない。あなたのために労力を使いたくない。
そう言われて、ジョゼにどう接していいか分からなかった。
ジョゼに言われた事を免罪符にして、自分から仲良くなろうとする努力を放棄してきた。
いつもいつもそうだった。
婚約者に対してだけじゃない。
人としても性的嗜好も最低最悪な父。
恵まれた生活を与えられる事だけを望み、そのためだけに息子を産んだと言い放った母。
物心ついた頃から両親は私に関心がないからと二人からの愛情を得るための努力をしてこなかった。
そう思っていたが、本当はいくら実の両親でも、あんな奴らからの愛情など欲しくなかったのだ。
両親が私を愛してないどころか関心すらないように、私自身も両親に対して愛情も関心もなかったのだと、ようやく気づいた。
両親も私も最初から要らなかったのだ。
互いからの肉親の愛情など――。
自分は、両親と、あんな奴らと違うと思いたかった。
だから、ずっと自分の中のそんな気持ちを見ないふりをしていたのだと、レオンの言葉で気づいた。
「本当に婚約者として仲良くなりたいなら最初にひどい事を言われても自分から歩み寄るべきだろう? ジョゼは、お前の父親とは違う。自分と仲良くなろうと努力してくれている婚約者に対して、いつまでも素っ気ない態度でいられる人間じゃない。それすら分からなかったか?」
ほぼ初対面で「興味ない」と言われたし、態度も素っ気ない。
婚約者に対する態度はそうでも、リリやレオンなど自分が一度懐に入れた人間に優しいのは知っている。
レオンの言う通り、こちらが仲良くなろうと歩み寄れば、ジョゼも私に優しく接してくれたかもしれない。
……今更、もう遅いけれど。
――私の事は苦手だけど私と結婚すればリリを身近で見ていられる。その程度の想いなのが許せないの。
愛する女性を身近で見ていられるから結婚する。
どんな女性であれ、そんな男など到底許せないだろう。
けれど、ジョゼが憤る理由は、そんな事ではないのだ。
ただ見ているだけで満足。その程度の想いでリリを想うなど許さないと。
(……けれど、ジョゼ、私には……僕には、見ているしかできないんだ)
リリが平民になってしまって、僕が侯爵令息だからではない。
婚約者であるジョゼの侍女だからでもない。
リリがレオンを愛しているからだ。
彼女の片想いなのは分かっている。
レオンはジョゼを愛しているのだから。
だからといって、僕にも誰にも入り込む隙間がないほど強く深く彼女はレオンを想っている。
「ジョゼにあそこまで言わせてもリリを身近で見ていられるために、まだジョゼの婚約者の座にしがみつきたいのか? 軽蔑されるだけだろう?」
「君に何が分かる!?」
よりによってレオンに一番言われたくない科白だったため、僕は初めて他人に激昂した。
「あそこまで彼女に愛されている君に、いったい僕の何が分かるんだ!?」
「分からないし、分かりたくもない」
激昂していた心が瞬時に怯むほど冷たく蔑んだレオンの眼差しだった。
「ただ見ているだけなら、愛していると言うだけなら、誰でもでできるんだよ。そんなの地獄のただ中にいる人間にとっては、何の救いにもならないのに」
何も言えない僕に、レオンの眼差しが冷たく蔑んだものから醒めたものに変わった。「こいつには軽蔑する価値もないのだ」と言わんばかりに。
「どれだけ大切に想っていても伝わらなきゃ意味がない。そして、それが伝わるのは結局行動なんだよ」
ただ心に恋情を持って見ているだけでは無意味なのだと。
「あの父親が怖くて逆らえない気持ちは、よく分かる。……僕もそうだった。けれど、愛する女に恥じない人間でいたいなら、どんなに怖くても逆らう気概くらいは見せるべきだろう?」
「……そうしたら、僕は二度とリリに会えなくなるのに?」
王命で決められた婚約だ。僕が勇気を持って父や国王陛下に婚約解消を申し出ても簡単にそうはならないだろう。
それでも、自分からリリと離れる事態を起こすのは嫌だった。
ジョゼの婚約者じゃなくなれば、ジョゼの侍女であるリリが僕に会いに来る理由がないからだ。
それでも、ジョゼもレオンも僕に、あの父に婚約解消を申し出ろ、そのくらいの気概は見せろという。
「それは、お前の感情だ。僕やジョゼやリリには何ら関係ない」
レオンは本当にどうでもいいと言わんばかりだ。
「ただ見ているだけで満足なら遠くから見ていればいい。父親に逆らう気概くらい見せて見ろよ。それもできないなら、その程度の男だと僕もジョゼもリリも認識するだけだ」
言いたいだけ言うとレオンは去って行った。
この時の僕とレオンは知らなかった。
ジョゼとの婚約解消をするしないどころではない事態が起きる事を――。
次話はアレクシス視点です。




