81 今は喜んでいればいい。お父様
王宮の宛がわれた私室に戻ると意外な人物が待っていた。
「……突然いらしたのです」
困惑した顔で今まで彼の相手をしてくれていた王宮の侍女に、お礼を言うと下がってもらった。
侍女は、どこかほっとした様子で一礼するとそそくさと出て行った。無理もない。こいつの相手は、さぞや大変だっただろう。
「遅い! いつまで待たせるんだ! 本当に、お前は鈍くさいな!」
貴族でなくても訪問するなら先触れを出すのが普通だろう。それをせず突然押しかけておきながら罵る男に、私は深い溜息を吐いたが何も言わなかった。
こいつに何を言っても無駄なのは分かっているからだ。
「……恐れながら、ジョセフ様」
「アルマン、大丈夫だから下がっていて。リリもよ」
諫めようとするアルマンをとめ、嫌悪も露な顔でジョセフを睨みつけるリリ共々下がらせた。
私はジョセフの対面のソファに座ると言った。
「……それで、何の御用ですか? お父様」
わざわざ嫌っている娘に会いに来たのだ。彼にとって余程の用事なのだろう。
それが、私にとって「余程の用事」であるとは限らないけれど。
案の定、私にとっては、どうでもいい事をジョセフは嬉々として話し始めた。
「フランソワ王子との婚約を解消されたそうだな?」
「そうですが?」
それを話したくて、わざわざ大嫌いな娘を訪ねにきたのか?
「代わりに婚約者になったのは、お前の異母妹だ。どうだ? 悔しいだろう? せっかく王太子妃や王妃になれたかもしれないのに、異母妹に取って代わられたのだからなあ!」
ジョセフの中では、慣習通り王妃の息子であるフランソワ王子が王太子となり次期国王になると思っているのだろう。
国王は私には次期国王をジュール王子にする旨を告げたが周囲には黙っている。ジュール王子の命が狙われる危険があるからだろう。
だから、戴冠式はあっても立太子の儀式はせず、王太子は空位のままだ。
慣習であれば、戴冠式と立太子の儀式は同時に行われるのに。
その事を不審に思い、もしかしたらと考えている貴族達もいるというのに、ジョセフには、その可能性が思い至らないのだろう。
よくこれで自分こそが新たなブルノンヴィル辺境伯だと言えるものだ。
喜色満面で叫ぶジョセフに、私は醒めた眼差しを向けたくなるのを堪えた。
……なるほど。
この男は、フランソワ王子との婚約が解消になった事、それ以上に婚約者が異母妹に取って代わられた事で私が落ち込んでいると思っているのか。
私の落ち込んだ顔を見たくて、わざわざ王宮までやってきたのだ。
確かに、フランソワ王子の婚約者が私からルイーズになれば、お父様は喜ぶだろうと思ったが、それは予想以上だったようだ。
「それに、新たな婚約者はジャンだってな。ヴェルディエ侯爵家の男は女を愛せない」
ジャンは違う。彼は女性であるリリを愛している。
けれど、そんな事、わざわざジョセフに教える義理もない。
知ったとしても他の女を愛している男と結婚する憐れな女と思われるだけだろう。
「女と結婚するのは跡継ぎを産ませるためだと社交界の者は皆、知っている。いくら夫が将来の宰相でも子供を産むだけの道具としてしか見られないとは本当に憐れだな!」
「……そう、ですね。悔しくて悲しいですわ。だから、もうこれ以上、私に追い打ちをかけないでくださいな。お父様」
私は今生のジョゼフィーヌのように悲し気な顔を作り瞳を伏せた。
後のざまぁを際立たせるためなら馬鹿馬鹿しい演技だってする。
私の演技にあっさり騙されてくれたようで、ジョセフは、それはそれは嬉しそうな笑顔を見せた。性格はともかく外見はお祖母様に酷似した完璧な美形だ。その笑顔は中身を知らなければ見惚れるほど美しかった。
今は喜んでいればいい。お父様。
あなたには、これから、たっぷりと地獄を味わってもらうから――。




