80 あなたが今生の彼の父親でよかった
「お話は終わりましたか?」
部屋から出てきた私にアルマンが声をかけた。
「ええ。帰りましょう」
「……ありがとうございます」
玄関に向かいながらアルマンがぽつりと言った。
「何?」
突然お礼を言われて戸惑う私にアルマンは何とも複雑な顔で言った。
「……私を気遣ってくださったのでしょう?」
……気づいていたのか。
なぜ、私がアルマンやリリを遠ざけたのか。
アルマンやリリの前でアレクシスと話したくなかった。
いつ何時、アンディの話題になるか分からない。
あのアレクシスが気遣いなどするはずがない。彼にとって平民は、いや敬愛する身内(叔母であるお祖母様や姉であるレティシア妃などだ)以外は、その辺の石ころと同じだ。
おそらくアルマンは息子が前宰相の情人だった事に気づいているだろう。
人の心の機微に聡くなくては有能な家令にはなれない。
それでも面と向かって息子が情人になっていた話など聞かせたくはない。
そして、父親から「おもちゃ」にされていたリリにも聞かせたくなかった。アンディが前宰相の情人だった事もだが、何よりアレクシスがジョセフを「おもちゃ」にする計画をだ。
リリの忠誠心は私とレオンにだけ向けられている。ジョセフに対しては、いくら今生の私の父親でも私に対する態度で嫌悪感を持っている。それでも、かつての自分のように「おもちゃ」にされる計画を聞かされては、後味の悪い思いをするだろう。
「……私が言う事ではないだろうけれど、あなたが今生の彼の父親でよかったと思っているの」
アルマンを人として好ましく思っている。
そして、アンディの父親としてのアルマンには感謝している。
前世では両親の仇として恨み憎んでいた前世のアンディ、《アイスドール》。
……両親を直接手に掛けた「彼」を憎めなかったから、その代わりの恨みや憎しみ全てを《アイスドール》に向けてしまったのだと今なら分かる。
……本当に憎み恨むべきなのは、《アイスドール》ではなかったのに。
《アイスドール》は、前世のアンディは、ただ自分の仕事をしていただけだ。
《アネシドラ》を壊滅させるために送り込まれた公安警察官だった父と、その父と情を交わし《アネシドラ》を裏切った母。
《アイスドール》の立場なら二人を殺すように命じるのは当然だ。
真実、憎しみや恨みをぶつけなければならなかったのは、私自身、前世の私、相原祥子だ。
両親を殺した男に恋してしまった私なのだ。
自分を恨み憎んでいた私を守って《アイスドール》は死んだ。
なぜ、自分に身勝手な恨み憎しみをぶつけていた相手に忠誠を誓えたのか。
自分の命と引き換えにしてまで守れたのか。
そして、生まれ変わってまで忠誠を誓うと言ってきた。
そんなアンディの心は理解できないけれど……今の私にとってアンディは大切な人だ。
前世で命と引き換えに守ってくれたからだけではない。
生まれ変わって前世の因縁など関係ないと思えたからだけでもない。
前世の最後では、きっともう私は《アイスドール》に対する身勝手な恨みや憎しみが消えていたのだ。
あれだけの人が私に親身になって尽くしてくれれば心が動く。私は《バーサーカー》やウジェーヌと違って心ある人間なのだから。
だからこそ、彼が私を庇って死んだ後、一ヶ月も何もする気が起きないほど呆然としていたのだ。
その彼をちゃんと息子として愛してくれるアルマンには感謝している。
肉体と精神の年齢が大きく隔たった転生者。
それだけでも奇異に映るだろうに、さらにアンディは家令として父親であるアルマンよりも優秀過ぎた。
いくら肉体が自分の息子であっても愛せないのが普通だと思う。
だのに、アルマンや亡くなった彼の妻でありアンディの母親だったマドレーヌは、アンディをごく普通に扱い、ちゃんと愛情を注いでくれたと聞く。
それは、アンディにとっても救いだっただろう。
前世のアンディは、《アイスドール》、武東夏生は、生まれてすぐ母親に捨てられた。
前世でも胎児からの記憶を持つ彼は、その事を憶えていた。
前世でも日本人離れした容姿だったのは、母親と英国人の愛人との間に出来た子供だったからだ。
妊娠した子の父親が日本人の夫か英国人の愛人か分からなかった彼の母親は、赤ん坊を産むまで夫と離れて過ごした。結果、生まれてきたのは、アイスブルーの瞳の日本人離れした顔立ちの赤ん坊、《アイスドール》、武東夏生だった。
赤ん坊の容姿で父親が日本人の夫ではないのは誰が見ても一目瞭然だ。
自分の浮気が夫にばれるのを恐れた彼の母親は、彼を真夏の駐車場に捨てた。
その彼を拾ったのが武東櫂人、《エンプレス》の夫であり、前世の私の曾祖父だ。
私が思った通り、前世の彼の名前の由来は、真夏に生まれたのと拾ってくれた櫂人(かいと)からだった。
《アイスドール》は、夏生は、自分を拾い育ててくれた櫂人を愛した。
彼を拾った当時、櫂人は七十四歳だったが、恋に堕ちるのに年齢など関係ない。
私だって出会った時、私は十歳、「彼」は六十七歳だった。
櫂人はゲイではなく相愛の妻がいて、その妻は敬愛する《エンプレス》だ。
だから、夏生は、その気持ちを自分の胸にずっと仕舞っていた。
彼を拾った五年後、七十九で櫂人は亡くなった。
共にいられた時間は短く櫂人には相愛の妻がいても、彼にとって櫂人への想いは何よりも綺麗な恋心で共に過ごした思い出は何よりも大切な宝物だった。




