8 お祖父様も気づいた
アンディと一緒に階下に下りると、エントランスホールでジョゼフィーヌの記憶にある通りの美丈夫がお祖母様を抱きしめていた。
美男美女の抱擁シーンはかなり絵になるなと、ぽけーっと見惚れてしまった。
そんな私に気づいたらしい美丈夫、お祖父様が笑顔を浮かべようとして、戸惑った顔になった。
「……ジョゼ?」
逞しい長身。亜麻色の短い癖毛。紫の瞳。今年四十になるが彼の容姿は全く衰えてはいない。むしろ様々な経験を重ねた事で美貌が磨かれているようにさえ見える。
アルフォンス・ラルボーシャン。このラルボーシャン王国の国王であり、ジョゼフィーヌの祖父だ。
「陛下?」
お祖母様が声をかけても気づかない様子で、彼はつかつかと私に近づくと視線を合わせるためだろう、床に膝をついた。
間近から紫眼が私を覗き込む。
紫眼は、この世界では王族の証だ。この世界のどの国でも、王族は紫眼なのだ。
この世界では髪と瞳の色は人種によるものではない。王侯貴族は明るい色の髪と瞳、平民は暗色系の髪と瞳だ。稀に例外はいるが。
「……やはり違う。今までのジョゼじゃない」
国王の言葉に私はぎくりとした。
……彼も気づいたのだ。
私の肉体と精神の大きすぎる年齢の隔たりに、私の異常性に――。
「――お前、転生者だな」
国王は私の耳に口を寄せると囁いた。周囲には彼のお付きが数人いる。彼らに聞かれないようにだろう。
「……あなたも転生者なんですか?」
私も周囲に聞かれないように彼の耳元で囁いた。
三歳児とは思えない言葉遣いと硬い口調だが、国王は祖母同様、驚かなかった。私が転生者だと気づいたのなら当然だ。
「いや。私にはアルフォンス・ラルボーシャン以外の記憶はない」
国王は転生者ではない。けれど、私が転生者だと気づいた。
(どうして?)と疑問に思って気づいた。
「……この世界には、前世の記憶や知識を持つ転生者が珍しくないのですね」
お祖母様も「前世の記憶と知識を持つ転生者は、あなたとわたくしだけではない」と言っていた。
あの後すぐにアンディを紹介されたから、私と祖母とアンディの三人の事だろうと思っていたが、もしかしたら、他の人の事も含めて言っていたのかもしれない。
「ああ。彼らのお陰で、この世界の文明も進んだ」
そう言うと国王は、私をひょいと抱えて歩き出した。私を逃がさないためというよりは、ただ単に三歳児の歩調に合わせるのが長身の彼にはつらいからなのだろう。
「……失礼ながら、陛下、お嬢様をどうなさるおつもりですか?」
こそこそ話していても、私と国王の間に漂う不穏な空気に気づいたのだろう。アンディが国王に声をかけた。
平民が国王に声をかけるなど、普通なら許されない。けれど、アンディにとって大事なのは自分の主だ。私が危害を加えられるのなら国王相手でも平然と殺すだろう。彼も私同様、いざとなれば殺人も辞さないのだから。
「無礼だぞ! お前!」
国王のお付きが叫んだが、アンディは煩わしそうな視線を向けた。見かけこそ氷人形だが中身は秘密結社のNo.2にまでなった男、《アイスドール》だ。それだけで国王のお付きは怯んだ様子だ。
「構わん」
国王は、そう言うと微笑んだ。
「この子を心配しているんだな。大丈夫だ。私の孫だ。危害を加えたりはしない」
国王は再び歩き出しながら言った。
「心配なら、お前も来るといい」
国王の言葉にアンディは当然のように彼(と抱えられている私)について歩き出した。
居間に私と国王、アンディとお祖母様が集まった。
国王のお付きには、それぞれ部屋をあてがい好きに過ごすように国王が言ってある。
「……まさかジョゼに前世の記憶がよみがえるとはな」
国王が溜息を吐いた。
「……正確には前世の人格ですね。ジョゼフィーヌとしての記憶を思い出しても、私は私以外の何者でもありませんから」
前世の人格たる私が目覚めたせいなのか、今までこの体で生きていた今生の人格であるジョゼフィーヌの存在が全く感じられない。
……彼女は消えたいと願っていた。おそらくは、そのせいなのだろう。
ジョゼフィーヌとしての記憶を思い出しても、彼女が体験した事は、まるでドラマや映画を見ているようで私には自分が行ったという実感がないのだ。
今、この体で生きているのは、今生の人格ではなく前世の人格以外の何者でもなかった。
「ジョゼだった時の事を思い出したの?」
お祖母様の言葉に私は頷いた。
「ええ。少しずつですが。だから、間違いなくジョゼフィーヌ・ブルノンヴィルは私の転生ですね」
まあ、この体を乗っ取ったのだとしても罪悪感などなかったが、魂が同じだと知って安心した。
この魂のための体なら、この体で好きに生きても誰にも文句は言われる筋合いはない。
この体で本来生きるはずだった今生の人格が消えたいと願うなら、生きたいと願った前世の人格が、この体で今度こそ人生を謳歌してもいいはずだ。
「……ジョセフィンは自分の後継者に、ブルノンヴィル辺境伯に相応しい人間なら人格がジョゼでなくなっても構わないと言うのだろうが」
国王は自分の妾妃の事をよく分かっている。確かに、そんな事を彼女は言ったのだから。
「私の事は受け入れられませんか?」
まあ、それならそれで構わない。
いや、むしろそうしてくれたほうがいい――。
「……君もまたジョゼなら受け入れる。それに――」
国王は微笑んだ。
「君はジョセフィンと同じ目をしている。嫌いにはなれない」
国王が言っているのは、アンディと同じく同じ瞳の色ではなく目つきだろう。
確かに、私もまた「ジョゼフィーヌ」ではあるのだ。
国王の言う事に間違いはない。けれど――。
国王は自分と寵姫の血を引く孫娘を可愛がっていた。
ジョゼフィーヌもまた祖父である国王を慕っていた。けれど、国王という誰よりも忙しく特別な立場にいる人だからこそ甘えてはいけないのだとも思っていたのだ。
けれど、国王にとっての孫娘は、この程度の存在だったのだ。
魂が同じなら、愛する女と同じ目をしているなら、人格が入れ替わっても構わないという程度の――。
「私の事はジョゼのように『お祖父様』と呼んでほしい」
「……よろしいのですか?」
「言っただろう? 君もまたジョゼなら受け入れる、と」
(……それでも、私はあなたを受け入れる気はないの。「お祖父様」)
魂が同じでも私はジョゼフィーヌではない。最初から彼女のように肉親の愛情など求めない。
前世で両親から充分すぎるほど愛された。……だからこそ、人生の三分の二を復讐に捧げた。
そうしなければ、自分が許せなかったから――。
……愛は人を救いもするけれど、苦しめもするのだ。
だから、今生は肉親の愛など要らない。
恋も……絶対に嫌だ!
前世では絶対に認めたくなかったけれど、あれは紛れもなく私のただ一度の恋だった。
けれど、私の場合は、綺麗で美しいだけの想いでは済まなかったのだ。
我が身を滅ぼすような、自分が自分でなくなるような、そんな強く激しい想いなど要らない――。
今度こそ人生を謳歌できれば、それでいい――。