74 婚約者の家を訪問する
戴冠式もつつがなく終わった翌日、私は新たな婚約者となったジャン・ヴェルディエと会う事になった。互いにお茶会で遠目で顔を見ているくらいで正式な挨拶は、これが初めてとなる。
国王は戴冠式で、私とジャン、フランソワ王子とルイーズの婚約を発表した。
戴冠式という各国の要人が集まった公式の場での発表だ。非公式での婚約者だったフランソワ王子とは違い名実共にジャン・ヴェルディエ侯爵令息が私、ジョゼフィーヌ・ブルノンヴィル辺境伯の正式な婚約者となった。
アンディにはウジェーヌとロザリーを連れて先にブルノンヴィル辺境伯領に帰ってもらった。
ウジェーヌとロザリーがいつまでも王都にいてはジョセフに見つかると思ったからだ。さすがにあそこまで言えば、もう二人の前に現われないと思いたいが、あのお父様だ。何をするか分からない。
今の私は外見こそ十歳の少女だが中身は大人だ。身の回りの世話はリリがしてくれるし、アンディがいなくても問題ない。
そう思っていたのは私だけらしくアンディは「私がいなくなった後の貴女の面倒を見るよう父に頼んでおきましたから」と言い置いてブルノンヴィル辺境伯領に帰って行った。
(私一人でも大丈夫なのに)と、その時は思ったが、なぜアンディがアルマンを寄こしたのか、すぐ分かった。リリは有能だが侍女に過ぎない彼女ではできない事もあるのだ。
今の私は辺境伯で前世のような庶民ではない。食事一つ、ドレスの用意一つ、人を介してやるべきなのだ。私が自分で用事を済ませてしまえば彼らの仕事がなくなってしまう。貴族が傅かれるのも、ちゃんと意味があったという事か。
ヴェルディエ侯爵邸に向かう車には、アルマンだけでなくリリも同乗している。貴族の女性が侍女や護衛なしで訪問したり出歩くのはありえないのだ。
「あなたが私に付きっきりになって、お父様は大丈夫なの?」
私は、ずっと気になっていた事をアルマンに尋ねた。
「護衛兼見張りがいますから」
「有能なあなたに、お父様とルイーズの見張りを押しつけて申し訳なく思っているわ」
先代のブルノンヴィル辺境伯、お祖母様が生きていらした頃からアルマンの主な仕事はジョセフとルイーズの見張りだ。あの二人が周囲に迷惑を掛けないように。
有能なアルマンに家令の管轄外ともいえるこんな仕事(?)を押しつけて申し訳なく思うが、彼でなければ主に注射を打って眠らせて連れ帰ったり、暴れるのを抱えて連れ帰るという思い切った真似はできないだろう。
「いえ。ブルノンヴィル辺境伯家の方々にお仕えするのが私の仕事ですから」
アルマンの言い方は素っ気ないと思うほど淡々としている。
「それに、家令としての能力なら息子のほうがずっと上だし、息子とは前世からの知り合いなのでしょう? 有能で信頼できる人間を傍に置くべきだと思います」
アルマンのこの言い方も決して自分を卑下しているものではなく事実を口にしているだけの淡々としたものだった。
「……あなたの事は有能で人格者だと思っているわよ」
アルマンは分かっているのだ。
私が彼を人として好ましく思っていても心の底から信頼していない事を。
「ありがとうございます」
一見これまでと同じく淡々としているが、どこか嬉しそうにも聞こえるアルマンの口調だった。
「あの、アルマン様はジャン・ヴェルディエ様が、どういう方かご存知ですか?」
私とアルマンの話が終わったのを見計らってリリがおずおずと尋ねた。ずっと気にっていたのだろう。
ブルノンヴィル辺境伯家の家令であるアルマンにはリリの事を話してある。主である私とお祖母様が彼女を受け入れたからか、アルマンは彼女について何も言わなかったし、ごく普通に他の侍女と同じように接してくれている。
「ジョセフ様のお供で時折ヴェルディエ侯爵邸を訪ねた時に、お見掛けするくらいで為人については分からない。ヴェルディエ侯爵邸の使用人達の話では聡明でお優しい方らしいが」
ジョセフとジャンの父親アレクシスは従兄弟だ。時折、互いの家を行き来するくらいには仲がいいという。いくら従兄弟とはいえ「あのジョセフとアレクシスが仲良くできるなんて」と、その時は意外に思ったが……アンディに詳しく聞いて納得した。
「ジャンが気になる?」
私の質問にリリはあっさり頷いた。
「はい。ジョゼ様の婚約者になった方ですから」
リリは私の侍女になってから「ジョゼフィーヌ様」ではなく私の許可をもらって「ジョゼ様」と呼ぶようになった。「ジョゼフィーヌ様」よりは呼びやすいからだという(ウジェーヌも同じ事を言っていた)。
「見かけは従兄のジュール王子や父親の宰相閣下に似た金髪碧眼の美少年よ。見た限りでは二人のような底知れない腹黒さを感じなかったし、使用人達が『聡明で優しい』と言っているのなら、本当にそういう子かもしれないわね」
あのアレクシスの息子であるジャンが本当に見た目通りかどうかは今日確かめられる。
ジャンが父親や従兄のような人間だったとしても、父親と同じゲイだったとしても、構わない。結婚し子供を作るのは貴族の義務。心通わす必要はないし、特に私は今生では誰とも恋をする気はないのだ。
「これから彼に会いに行くんだから、あなた自身の目で彼がどういう人間か見極めたらいいわ」
そんな風に軽く言った私だったが、まさかリリをジャンに会わせた事で大変な事態になるとは、この時には思いもしなかった。




