73 純粋に想えない
私と婚約解消した上、「嫌いだ」とはっきり言われ、レオンからも「従者をやめる」宣言されたのがショックなのか、フランソワ王子はもう何も言わず(言えず?)、ようやく部屋から出て行ってくれた。心なしか彼の足取りがふらついているように見えたが私の知った事ではない。
ようやく静かになった部屋で最初に口を開いたのはレオンだった。
「久しぶり。ジョゼ、リリ」
「はい。レオン様。お会いできて嬉しいです」
リリは言葉通り嬉しそうな笑顔を見せるとレオンのために紅茶を準備した。
フランソワ王子には振舞わなかったのは、彼が突然やってきたからではなく、そんな労力を使いたくなかったからだろう。相手が王子だろうとリリもまた自分が認めた相手以外には何もしたくない人間なのだ。
「馬鹿王子が行くのを止められなくて、ごめん」
レオンは私とテーブルを挟んで対面のソファに座ると頭を下げた。
「あなたが謝る事ではないわ。レオン」
「……些細な事でもジョゼが不愉快になるような事は排除したいんだ」
「してくれたわ。あなたが来なかったらフランソワ王子は、まだ居座っていたでしょうから」
まあ、最後は殴ってでも追い出したけれど。
「それより、私とフランソワ王子の婚約が解消されたら従者をやめるという条件を出していたの?」
「貴女のためじゃない。僕がそうしたかったら、そうしただけだよ」
「私のためではなく自分のために生きて」と私が常々言っているからか、レオンは先回りしてそう言った。
今生で会って七年だ。レオンが前世の恩だけで私と親しくしているのではない事は、もう分かっている。
彼の私に向ける想いにも――。
前世が悲惨だった、私が助けたレオンには幸せになってほしい。
だから、話すべきだろう。
「あなたに聞いてほしい話があるの」
「貴女に話したい事がある」
私とレオンは同時に言った。
「あ、では、私はこれで」
私もレオンも深刻な顔をしているせいか、リリは下がろうとする。
「レオンが構わないなら、いていいわよ」
「ジョゼが構わないなら、いていいよ」
私とレオンは、また同時に同じような事を言った。
リリが壁に控えたままでいるのを目の端に捉えながら、私はレオンに話を促した。
「あなたからどうぞ。私の話のほうが深刻だろうから」
レオンはリリが淹れてくれたすっかり冷めてしまった紅茶を一口飲むと話し出した。
「では、話すよ。僕、学園を卒業したら貴女の従者になりたいんだ。許可してほしい」
「は?」
私は思わず間抜けな声を上げてしまった。それくらいレオンの話は想定外だったのだ。
「本当は今すぐそうしたいんだけど、家族が皆、学園を卒業するのと貴女の許可を得るのが絶対に譲れない条件だと言われたから」
「……ご家族は反対しなかったの?」
「今生の家族は勿論大事だよ。僕が異世界からの転生者で他の子と違うと分かっても大事にしてくれている」
違う世界で生きた記憶を持つ転生者。
そんな存在とごく普通に接し愛するのは難しい。
私とレオンは幸運だっただろう。私達の異常性を知っても不気味がるでもなく、その知識を利用するのでもなく愛してくれる家族(私の場合は父親と異母妹を除いてだが)だったのだから。
「あのクズで下種で鬼畜だった前世の父親とは比べものにならないほど素晴らしい家族だ。それでも、僕には貴女のほうがずっと大事なんだ。『僕』として目覚めた時から、この命も人生も貴女に捧げると決めたんだ。僕のそんな気持ちを家族は理解できなくても、止められないのは分かってくれたみたいだ。だから、反対はせず条件だけを提示してきた」
「……私は、そんな事を言ってもらえるほど素晴らしい人間じゃない」
「貴女が前世で何をした人だろうと僕にとって貴女は唯一無二の人だ」
前世が悲惨な境遇だったレオンにとって前世の私が大量殺人犯だろうと何だろうと大した事ではないのだろう。ただ前世の私が命と引き換えにして助けたという事実だけで彼にとって私は「特別」なのだ。
「命と人生を捧げるからって貴女に何かしてほしいとか思ってない。僕がそうしたいからそうするだけだから貴女が僕に何らかの負い目を抱く必要はないよ」
「……本当にいいの? どんなに想われても私は、あなたにも誰にも気持ちを返せない。……彼しか愛せないから」
これが私がレオンに聞いてほしい話だった。
「彼?」
「……前世の私の両親を私と妹の目の前で殺した男よ」
レオンばかりかリリも息を呑んだ。
「だから、前世の私は復讐に人生を捧げた。私を愛してくれた両親を目の前で殺した男に心を奪われた自分が許せなかったから」
私は前世の妹、香純の身に起こった事も話した。
「妹の面倒を見たくないという理由だけで妹の自殺を止めなかった。前世であなたを助けた理由も助けられなかった前世のあなたと同い年になる姪の代わりに助けただけ。私の自己満足なのよ。だから、こんな私に命や人生を捧げなくていい」
「どんな理由で前世で僕を助けたのだとしても、また貴女がどんな人間であっても、僕は貴女に救われたんだ。貴女は僕の命だけじゃない。僕の心も救ってくれたんだ」
レオンは今生で出会った頃、今と同じ真摯な目をして同じ科白を言っていた。
「父の『おもちゃ』でしかなかった前世の僕を命と引き換えに助けて最期まで僕を気遣ってくれた。だから、僕は父に逆らう勇気がでたんだ。貴女に助けられた命だ。貴女に恥じない自分でいたいと思えるようになったんだ」
――僕は礼音じゃない! 玲音だ!
母親ではなく玲音だと。
そう父親に向かって言える勇気が出たのだと。
「あのまま父の『おもちゃ』として生きて死ぬよりも、一日だけでも人間として生きられた。感謝している」
「……レオン様」
私に謝意を述べるレオンとは違い、前世の彼の死の原因となったリリは複雑な顔をしている。
父親の「おもちゃ」ではなく、これからは人として生きようとしていた前世のレオン、藤城玲音の人生を終わらせてしまった。
その事を改めて申し訳なく思っているのだろう。
「前世の僕の死に君が責任を感じる必要は全くないよ。リリ。僕が勝手に君を助けただけだから。そんな顔しなくていい」
レオンは優しく言った。
「……私は、あなたに何も返せない」
私はレオンとリリの会話が一段落つくと言った。
「構わない。僕がそうしたいからそうするだけだから」
「分かったわ」
私は溜息を吐いた。
「そこまで言うなら、あなたが嫌になるまで私の傍にいていいわ」
レオンは破顔した。
「ありがとう! ジョゼ!」
「よかったですね。レオン様」
リリも嬉しそうに微笑しながら言った。
「いくら好きな人の望みが叶ったとはいえ、なぜ、この子はこんなにも純粋に喜べるのだろう?」と不思議に思う。
自分の想い人が、いうなれば恋敵の傍に生涯いると言っているのに。
出会った時、リリは自分はレオンと同じ想いを持っていると言った。
今ならその言葉の意味が分かる。
レオンが私に向けるのと同じ想いをリリはレオンに向けているのだ。
前世で命と引き換えに助けてくれたからなのか、それともレオンだからなのか。
リリに聞いても明確な理由など答えられないだろう。
いつの間にか堕ちるのが恋だから。
私はリリのように、そして「私に何も望まない」と言ってくれるレオンのように、純粋に想う事などできない。
勿論、私とリリやレオンでは恋した相手が違いすぎる。
リリとレオンは命の恩人で私は両親を殺した仇だ。
「彼」の心を占めている女性の存在を知った時、会った事もないその女性に私は嫉妬した。
両親を殺した男と結ばれるなどありえないのに、決して手に入れられない、手に入れてはいけない男だのに。
「彼」の心を占めているその女性、会った事もない曾祖母、《エンプレス》に嫉妬したのだ。
だのに、リリには私に対する嫉妬がまるで感じられなかった。
出会ってから五年、ずっと大切な主として接してくれている。
私が前世でレオンを命と引き換えに助けたからなのか、今生のリリを救った女性の孫だからなのか。
何にしろ、ただ純粋に恋する人を想えるリリとレオンが羨ましかった。




