7 お祖父様がやってきた
《アイスドール》、アンディと会った翌日、その人はやってきた。
この時、私はアンディから勉強というか、この世界について教わっていた。
アンディはもう貴族の子弟が習得する基本的な学問全てを習得している。彼自身は貴族ではないが、貴族の家に代々仕える家の生まれなので、貴族の子弟が通う学園に彼も通っていたのだ。本来なら十八で卒業するのだが、あまりにも優秀すぎて九歳七ヶ月で卒業したという。
前世の記憶を持っている事を抜きにしても、彼はものすごく優秀なのだ。でなければ、秘密結社のNo.2になどなれるはずがない。
前世の知り合いだから私の家庭教師になった訳ではなく、元々、アンディはジョゼフィーヌの家庭教師だった。
「中身が三十なら容赦なくしごくわよ」
お祖母様はそう言ったが、ジョゼフィーヌの記憶によると彼女にも容赦なかったと思う。
祖母として優しい言葉ひとつかけず、ただ「わたくしの孫に、ブルノンヴィル辺境伯の後継者に相応しい人間になりなさい」としか言わなかったのだから。そもそも「そのために、あなたを作った」とまで言い放ったのだ。
祖母として人間として、どうかと思うけれど、おそらくは祖母本人もそう思っている。今生の私の父親、自分の息子に対して「母親として人間として最低な事をした」と言ったのだから。
けれど、「肉親として人間として最低だ」と自覚していても、彼女は、そうしかできないのだろう。肉親の情よりも貴族としての在り方を優先する。貴族として教育されたせいか、元々の気質か、そういう風にしか生きられない人なのだ。
幼いジョゼフィーヌに、こういう祖母を分かれというほうが酷かもしれない。それでも、「愛してほしい」とちゃんと訴えれば祖母からなら愛情を受けられただろうに。ジョゼフィーヌの心の底には「何もしても無駄だ」という諦観があったように思う。
まあ、お陰で、前世の人格が目覚める事ができたのだけれど。
確かに、ジョゼフィーヌ・ブルノンヴィルは今生の私だ。
けれど、同じ魂であっても、ジョゼフィーヌと私は違うのだ。
生きてきた世界、年齢、経験した事、何もかもが違う。
私は今生の肉親の愛情など求めない。
今度こそ人生を謳歌できれば、それでいい。
「正直、お嬢様ならともかく、貴女に教える事はないんだよな」
肉体的にも精神的にもつらかった前世での勉強に比べれば、貴族令嬢の勉強など、ずっと楽だと思う。あれは、一人前の実行部隊の一員になるための勉強だったし、途中で最悪死ぬ人間もいたから。
この世界でも前世の世界でも学問の基本は同じだとアンディは言った。
一応、精神年齢三十である事を抜きにしても、実行部隊の一員として一般人よりもずっと特殊な教育を受けてきた。学問の基本なら習得している。
前世のような体術などは、この体がもう少し成長してからだと考えている。でなければ、この後の成長に差し支える。運動のしすぎも幼い体にはよくないのだ。
無論、今生で人を殺す気は毛頭ないが、それでも身を守るために多少の体術をこの体に叩き込むつもりだった。
「だったら、この世界について教えて。お祖母様にはまだ伝えてないけど、一応ジョゼフィーヌの記憶は少しずつ思い出してきている。それでも、まだ三歳児の彼女の記憶と知識じゃ、この世界で生きるのに心許ないもの」
「そうですね」
そういう訳で、ジョゼフィーヌの部屋でアンディから、この世界について教わっていたのだ。
「ジョセフィン! ジョゼ! 私が来たぞ!」
階下から低音の美声が響き渡った。
「……誰?」
と言った後、ジョゼフィーヌの記憶で、声の主が誰か分かった。
「このラルボーシャン王国のアルフォンス国王陛下ですね。貴女の祖父でもあります」
アンディが教えてくれた。
お祖母様はブルノンヴィル辺境伯であるとともに国王の妾妃でもある。
お祖母様、ジョセフィンがアルフォンス国王の妾妃になり、今生の私の父親、ジョセフを産んだ後、立て続けに父親である前ブルノンヴィル辺境伯や後継ぎの双子の兄(ジョセフ)を隣国との小競り合いで亡くした。
当時、ブルノンヴィル辺境伯の後継者だった祖母の双子の兄ジョセフは十六で妻もおらず当然子供もいない。前世の私がいた日本同様、この国も女性は十六、男性は十八から結婚できるのだ。
祖母と彼女が嫌う姉のルイーズ(異母妹は彼女の名前から取られたのが明らかだ。ジョセフの母親に対する嫌がらせだろう)は、実は父親が違う。
祖母の母(ジョゼフィーヌの曾祖母)は前夫を病気で亡くした。お腹にはすでに前夫の子供(ルイーズ)がいたが、それでも構わず前辺境伯が曾祖母を娶ったのだ。曾祖母が前夫と結婚している時から惚れていたのだという。
曾祖母の実家は、すでに両親が他界し兄が家を継いでいた。兄家族とは折り合いが悪く、さらには妊娠している身では歓迎されないのは明らかだ。
婚家でも夫を亡くした事で居場所がなくなった。夫は次男で兄が急死したために家を継いだ身だ。兄の息子が後継者と決まっていたので彼女のお腹の子は必要ないのだ。
実家でも婚家でも居場所のない曾祖母は、自分とお腹の子のために前辺境伯と結婚した。それで、祖母とその双子の兄が生まれたのだ。
ルイーズにはブルノンヴィル辺境伯家の血は流れていないため、国王の妾妃とはいえ祖母がブルノンヴィル辺境伯になったのだ。そのため一年の大半を後宮ではなくブルノンヴィル辺境伯領で過ごすようになった。
お祖母様の唯一の息子、今生の私の父親は、最初から王子ではなくブルノンヴィル辺境伯の後継者として育てられた。元々、国王には王妃との間に息子、ジョセフの異母兄がいたので、王位争いにならないためにも、そのほうがいいと周囲が判断したのもある。
「行ったほうがいいよね?」
ジョゼフィーヌではなく私が、国王陛下に、お祖父様に会う。少しだけ緊張した。
ジョゼフィーヌの記憶では国王である彼は頻繁にブルノンヴィル辺境伯に来れないため、さして交流はないが彼女に優しかった。
精神年齢三十で三歳のふりをするのはつらいが、それでも敬遠されるのも面倒なので、この外見に見合う言動を心がけようとは思っている。
お祖母様は前世の記憶持ちの転生者だからか、私が転生者だと気づいた。
国王は、お祖父様は、私の異常性に気づくだろうか?