63 「ふざけんな!」
「彼女は渡さない」
ウジェーヌがそう言うのは、無論、恋情からではない。
「私の唯一無二の存在の転生が亡くなる前に頼んだんだ。『あの母娘をお願い』と。だから、何があっても、それだけは守る。それにな」
ウジェーヌが睨みつけたのか、ジョセフが気圧されたように一歩後退した。
前世では実務を全て《アイスドール》に押しつけ自分の研究にのみ没頭していたが、伊達に秘密結社の総帥をしていた訳ではない。
まして、彼は前世の双子の姉以外に価値を見出せない、彼女の思想だけを唯一の正義とする、まともな人間ではないのだ。
所詮、甘ったれた貴族のお坊ちゃんであるジョセフが敵う訳がない。
「今生の彼女が産んだ息子だろうと、お前には不快感しかない。お前が望む全てを打ち砕いてやりたくなったよ」
ウジェーヌの口調は淡々と静かだった。けれど、それは彼があふれる感情を抑えつけているためだと分かる。
アンディほど冷静ではないだろうが前世今生合わせて百歳超えだ。そこらの若造のように、すぐに感情をぶつけたりはしないのだ。その代わり、その天才的な頭脳と冷酷な心で相手の最も弱い所を突き、いたぶるのだろうが。
静まり返るその場に、ロザリーの遠慮がちな声が放たれた。
「……あの、ウジェーヌ様」
「何だ?」
「この顔の事、ジョセフ様に話してしまっても構いませんか?」
「構わんが、信じないのではないか?」
「それでも、私がこの世で一番嫌っている女だという可能性を示唆すれば二度と私につきまとわないだろうし、この家に来る事もなく貴方を煩わせる事もなくなると思います」
ウジェーヌは自分を煩わせなければジョセフを放っておくのだろうが、私は逃さない。
「ジョセフ様」
ロザリーはジョセフに向き直った。
「あなたが愛人になれと言うほど気に入ったこの顔ですが、これは私の本当の顔ではありません。ウジェーヌ様に変えて頂いたんです」
「馬鹿な事を言うな。顔を変えられる訳ないだろう」
「私ならできる。私は転生者だ。この世界よりもずっと文明が進んだ前世の世界で科学や医学を修めた。美容整形、顔を変える技術だって習得した」
端から信じようとしないジョセフに、ウジェーヌは淡々と告げた。
「この顔が変えられたものだと信じなくても構いませんが、これだけは言っておきます。私、ロザリー・リエールです」
「……ロザリー・リエールというのか?」
「あなたに媚薬を盛って無理矢理私を抱かせて、あなたの娘を産んだ、あなたがこの世で一番嫌いな女のロザリー・リエールですわ」
同姓同名の別人だと思い込みたいだろうジョセフのその思いをロザリーは懇切丁寧に打ち砕いた。
「嘘を吐くな! 私があの女に惚れるはずないだろう!」
「事実です。声は同じでしょう? それに、変えてない耳と手の形は、お嬢様、ジョゼフィーヌ様に似ていると思いませんか?」
言った後で、ロザリーは何かに気づいたようで少しの間沈黙した。
「……ああ、そうですね。あなたは、あの子の耳や手どころか顔さえろくに見もしませんものね。私がロザリーだという証明にはなりませんね。ですが」
ロザリーは、いつもの彼女らしからぬ強い口調で話を続けた。
「私をウジェーヌ様の元に送ってくださったのは、ジョセフィン妃ですわ」
「母上が?」
敬愛する母親を持ち出されてジョセフは怪訝な顔になった。
「あの方は最期まで孫娘とお嬢様を産んだ私を気にかけてくださいました。自分亡き後の私とお嬢様の事を信頼できる方々に頼んでくださいました。私やお嬢様に危害を加えたり望まぬ事を強要する事は、ジョセフィン妃の意思に反します。それを頭に入れておいてください」
なぜロザリーがこんな事を言いだしたのか、私は理解した。
ジョセフはクズな人間だが、そんな彼でもお祖母様は絶対だ。たとえ、この世からいなくなったとしても彼女の意思に反する事はできないのだ。
それをロザリーは分かっている。
「嘘だ! 母上があの女やあの小娘のために、そこまでするはずがない!」
「アルマン様に確認すればいい」
外見は子供だったとはいえ転生者で老成した精神とずば抜けた有能さを持つアンディを重宝していたお祖母様だが、アルマンの事も信頼していた。息子程ではないが彼は家令として充分有能で何より人格者だ。なので、アルマンもまたお祖母様にロザリーや孫娘の事を頼まれた一人だ。
普段傍にいて自分の世話をしてくれる有能な家令であるアルマンをジョセフも信頼している。だから、ロザリーは彼の名を出したのだ。
「……お前がロザリーだとしても構わん」
長い沈黙の後、ジョセフが言い放った言葉は信じられないものだった。
「その顔なら愛せる。愛人が嫌なら妻にしてやる。私のものになれ」
ロザリーだけでなく私も絶句した。
そんな私達の前で何を思ったのか、ジョセフはここにきて初めて笑顔になった。
「お前、私が好きだろう? 私の妻になれるんだ。嬉しいだろう?」
「……んな」
ロザリーから押し殺した声がもれた。感情が昂って、ちゃんと言葉が紡げないのだ。
「何だ? 何が言いたい?」
ジョセフはロザリーのただならぬ様子に気づかないのか、呑気に聞き返している。
「ふざけんな! 娘を虐待するクズをいつまでも愛せる訳ないでしょう! そこまで人間として堕ちてないわよ! 愛人も妻もどちらも絶対お断りよ!」
ロザリーは普段の控え目でおとなしい姿をかなぐり捨てて怒鳴りつけた。それくらい怒ったのだ。
おそらく初めて女に、しかもロザリーに怒鳴られたからか、今度はジョセフが絶句している。
そんなジョセフを見て怒る価値もないと思ったのか、今の激情が嘘のようにロザリーは静かに淡々と言った。
「……顔がこれなら、この世で一番嫌いな女でも愛せるとはね。その程度なのね。私への怒りや嫌悪や憎しみは。その程度で……お嬢様を疎んじて虐待していたのね」
ロザリーも心の奥底では思っていたのだろう。ジョセフにとっては無理矢理な行為の結果生まれてきたジョゼフィーヌを彼が愛せないのも虐待するのも仕方ない、と。
だのに、この世で一番嫌いな女でさえ顔が美しくなれば妻や愛人にできる。
その程度の感情で自分の娘を疎んじて虐待していた。
それに一番ロザリーは怒ったのだ。
自分が今でもクズを愛してると思われたからではない。
彼女は女性である前に母親なのだ。




