62 悪手を打ってしまった
女性が不快に思うだろう事を書いています。
ジョセフは、あくまでも今生の私の父親だ。
ロザリーが整形した顔だって正確には前世の私ではなく《エンプレス》だ。
けれど、前世の私に酷似した顔を持つ女性に、今生の私の父親が「愛人になれ」と迫る姿など聞いているだけで私にはおぞましい。
まるで「私」に「父親」が性的関係を強要しているようで――。
「……初めて、本当の意味で、お母さんの気持ちが分かったわ」
私が今呟いた「お母さん」は無論、今生の私の母親であるロザリーではない。前世の私の母親、莉々の事だ。
実の父親から性的虐待されていた母。
父親を殺して《アネシドラ》に拾われ、前世の私の父、相原融と出会って愛し合い過去の苦しみから解放されたのだ。
同じ女であっても、私は母が受けた苦痛や屈辱やおぞましさを本当の意味では理解できなかった。
想像力が欠如しているとか、実際に体験してみなければ分からないからというのではない。
実の父親からの性的虐待こそないが(前世の父は今生の父親と違って人格者だった。間違っても娘を虐待するクズではない)母と似たような体験はしていたからだ。
前世は秘密結社の実行部隊員で絶世の美女だった。そんな私を上層部がハニートラップやら性欲の捌け口やらに使わない訳がない。私自身、《アネシドラ》を壊滅させるために顔と体を「武器」にするのをためらわなかった。
女性にとって、それは最も苦痛で屈辱でおぞましく生涯のトラウマにもなるという。
けれど、私は、そうならなかった。
性欲の捌け口にされても、仕事でも、《アネシドラ》壊滅のためであっても、目的が何であれ、また相手がどんな男でも、どれだけ体を弄られても快楽も苦痛も何も感じなかったからだ。
むしろ、狂ったのは私を抱いた男達だった。
何の反応も返さない女を抱いてもつまらないだろうに、彼らは、むしろ私から反応を引き出そうと躍起になった。
「ここを開けろ!」
前世の事を思い返していた私は、突然聞こえてきた、しかも聞き慣れた音楽的な声とけたたましく鳴る玄関の呼び鈴、おまけに玄関の扉を乱暴に叩く音で我に返った。
私とアンディが事前に訪ねてくるのが分かっていたのだ。まして、ウジェーヌは基本引きこもりだ。他の来客があるとは思えない。
私の考えが合っていた証拠に、家主であるウジェーヌは不快気に柳眉をひそめた。
「……どうして、あの方がここに?」
「お前を尾行したか調べたかして、この家を突き止めたんだろう」
首を傾げるロザリーに、ウジェーヌは素っ気なく答えた。
「私とアンディは隠れるから悪いんだけどジョセフの相手をして」
尾行したか調べたかはともかく、わざわざロザリーがいると知って来たのなら話はおそらく「愛人になれ」云々についてだろう。
ロザリーの話を信じない訳ではないが(彼女が私に嘘を吐く理由がない)百聞は一見に如かず、ジョセフが整形した彼女にどう接するか直接この目で見たいのだ。
一瞬だけ面倒くさそうな顔になったウジェーヌだが、ここは家主である自分が応対すべだと思い直したのか、仕方なそうに玄関に向かった。ロザリーも心配そうに彼の後について行く。
私とアンディは、そっと開けた居間の扉の影に隠れ玄関先を窺った。
ウジェーヌが鍵を開けた途端、ジョセフは室内に踏み込もうとしたが阻まれた。
「何の用だ? お前を招待した覚えはないが? はとこ殿」
ウジェーヌの今生の父親、アルヴィエ子爵とジョセフの母親は従兄妹だ。なので、ウジェーヌとジョセフは、はとこになる。一応親戚なのでジョセフとウジェーヌは互いの顔を知っているのだ。
「お前に用はない。私は、そこの女に話があってきたんだ」
相変わらず偉そうに言うジョセフに、私からは後ろ姿しか見えないが明らかにウジェーヌが不快感を覚えたのが分かった。
前世の双子の姉が唯一無二で自分自身さえどうでもいいと思っている人間に見えるが、これで案外彼は自尊心が高い。
そんな彼がプライドも何もかも棄てられるのは、唯一無二の存在である「祥子」が係った時だけだ。彼女の生まれ変わりであるお祖母様の息子だろうと、親戚だろうと、「祥子」以外からの傍若無人な振る舞いを許すわけがない。
「こいつの家政婦をするより高い金を払う。だから、私の愛人になれ」
「何度も言いますが、お断りします」
ジョセフはウジェーヌの隣に立つロザリーに向かって言い放ったが彼女は即座に断った。
それにほっとしつつ、自分の今生の父親が「私」の顔になったロザリーに「愛人になれ」と迫る姿を直接見せられて(私が勝手に見ているんだけど)不快感が半端なかった。
「私はブルノンヴィル辺境伯だ」
ジョセフは異母兄に確認しなかったのか? 一年も経っているのに未だに自分がブルノンヴィル辺境伯に襲爵したと思えるとは。こいつも、もう一人の娘と同じで脳内花畑なのだろうか?
「お前に贅沢な生活をさせてやれるぞ」
「私は今の生活に満足しています。それに、ブルノンヴィル辺境伯は、おじょう……あなたの娘、ジョゼフィーヌ様でしょう?」
ロザリーは事実を言っているのにジョセフは鼻で笑った。その様すら完璧な見掛けのお陰で美しく見えてしまう。唯一の取り柄に感謝すべきだろう。
「前ブルノンヴィル辺境伯である母上の息子は私しかいない。私以外の誰が継ぐというんだ? それに何より、外見だけでなく中身もどうしようもないあの小娘に務まる訳ないだろう?」
今生の人格であれば傷ついただろうが、今更お父様に何を言われても「私」は気にしない。まあ、後でしっかり暴言を吐いてくれた「お礼」はさせてもらうけど。
けれど、ロザリーは違うらしく、ちらりと見えた彼女の横顔は、はっきりと怒りを露にしていた。
「……どうしようもないクズは、あなたじゃない。ジョセフ様」
「ウジェーヌ・アルヴィエ。お前の望む額を払うから、この女をくれ」
ロザリーとジョセフは同時に言ったため、ジョセフはロザリーが言った事を理解できなかったようだ。理解できていたら彼の性格からしてスルーできなかっただろうから。
「「馬鹿だな」」
私とアンディは同時に呟いた。隠れている身だのに思わず口から出てしまうくらい呆れたのだ。
ロザリーが頷かないのでジョセフは彼女の現在の主であるウジェーヌと交渉する気なのだろうが、彼に対してこれは悪手だ。
「おもしろい事を言う。この私を金で買収する気か?」
ウジェーヌは声を上げて笑った。笑い声でありながら彼が今感じているだろう怒りと不愉快さが伝わってくる。
当然だ。プライドが高く、その気になれば小国の国家予算くらい余裕で稼げる才覚を持つ人間を金で買収しようとしたのだ。
ジョセフは、これ以上はない悪手を打ってしまった。




