52 彼女との出会い⑤
「……ジョゼが構わないなら」
リリアーナにここまで言われて絆されたのか、お祖母様は私に決断を丸投げしてきた。
リリアーナは転生者とはいえ外見と精神年齢が一致している。けれど、前世では生まれつき心臓が悪く死を意識せざるを得ない境遇で、今生では父親に性的虐待されたという、どちらも意味は違っても過酷な人生だ。そのせいか、正真正銘のお子様でも非常に大人びて見える。
子供は嫌いだが、こういう子なら傍に置いても煩わしくないだろうが。
「私とレオンが敵対する事はまずないけど、もし万が一そうなったら、どうする? 私を裏切ってレオンに付く?」
私の試すような(実際試しているけど)言葉に、リリアーナは「何言っているの? この人」という顔になった。
「そんな事、ありえません」
「ええ、そうね。万が一の話よ」
「万が一も何も、レオン様がレオン様である限り、貴女を裏切る事はありえないんです」
リリアーナは、やけにきっぱり断言してくれるけれど。
「レオンは今生の家族を愛しているわ。家族を盾に取られて私と敵対しろと言われれば、そうなってしまうかもしれないわよ」
「そうなったら、今生の家族を捨てるでしょうね」
リリアーナは、あっさり、そんな事を言った。
「家族を捨てる事で生涯苦しむでしょうけれど、それでも、貴女を裏切るくらいなら、そうしますよ」
「いくら前世で私が玲音を助けたからって、いくら何でも、そこまではしないわよ」
「今生でレオン様と知り合って二年だのに、分からないんですか?」
肉体年齢は変わらないが、精神年齢はかなり年下の子から呆れた視線をもらってしまった。
「そういうあなたは前世でレオンと知り合ったのは亡くなる間際だし、今生だって出会ったばかりだわ」
「あなたこそレオンの何が分かるの?」という私の言外の言葉に気づいたのか、リリアーナはやけに挑戦的な眼差しを私に向けてきた。
「分かりますよ。これだけは分かるんです。わたしも同じ想いを持っているので」
「分かったわ。私を裏切らないならいい。好きなだけ傍にいなさい」
「ありがとうございます!」
リリアーナは子供らしく全身で喜びを露にしていた。
「明日、陛下に、この裏帳簿を渡してくるわね」とお祖母様が約束し、私とリリアーナが執務室から退出しようとした時、モーパッサン伯爵を調べていた部下が駆け込んできた。
部下の報告によると、モーパッサン伯爵が領民達に生きたまま焼き殺され、彼の正妻とその娘(リリアーナの継母と異母妹だ)は行方不明だそうだ。
私の誕生日会の途中、モーパッサン伯爵が慌てて帰ったのは、多数の領民が領主館を襲っていていると知らされたためだ。
多大な税金を搾り取られた上、家族を人身売買の組織に売り飛ばされたのだ。領民達の長年の鬱憤や怒りが、ついに爆発したらしい。
こう言っては何だが、リリアーナを我が家に引き留めておいてよかった。モーパッサン伯爵と一緒に帰っていたら彼女も巻き添えで殺されたかもしれなかった。彼女もまた領民同様、被害者だのに。
部下が事後処理のために退出すると、今まで立ちっぱなしだったリリアーナが力が抜けたようにソファに座り込んだ。こんなにあっさり自分と領民を苦しめていた元凶が消えて、喜びよりも戸惑いが大きい様子だ。
「斬首刑なら、この世界でも断頭台を使うそうだから一瞬で首が吹っ飛ぶから大して死の恐怖は与えられないけど、生きたまま焼死ならさぞ苦しんだでしょうね。よかったわね」
私がざまぁする手間が省けた。
にこにこ笑って言う私に、お祖母様は何とも言えない複雑な表情になった。
「……ジョゼ、子供相手に、そういう事を言うのは、おやめなさい」
確かに、いくらリリアーナが大人びていても幼子に言うべきではなかった。
「……ごめん。リリアーナ」
「……いえ。あの男が苦しんで死んだのなら何よりです」
リリアーナは、ふと憂い顔になった。
「……奥方様もイライザも、どこで生き延びてくれればいいのですが」
モーパッサン伯爵の正妻であるリリアーナの継母カトリーヌとその娘、彼女の異母妹であるイライザは、彼女に暴力を振るう事はなく、ただ無視していただけなので、リリアーナは彼女達に対して別段思う所はなかったのだという。
夫がメイドに手を出して産ませた娘だ。余程心根が優しい、それこそ天使や聖母のような女性でなければ、優しくできる訳がないと割り切っていたようだ。
継子に対する態度はともかく、夫の不正で得た利益を享受していたのだ。貴族籍を剥奪され娘と一緒に修道院送りになるだろう。領民に遭遇すれば、夫と同じように生きたまま焼死させられるだろうが。
行方不明のままでも傅かれるのが当然だった貴族の母娘が突然市井に放り出されたのだ。リリアーナは「無事に生き延びてくれれば」というが、まず無理だろう。
「二人の事より、まず自分の事を考えたほうがいいわよ」
転生者だろうとリリアーナは精神も肉体も幼いのだ。そんな彼女が他人を気遣ったとしても何かできる訳がない。
まして、自分に意地悪をしなかったとしても、モーパッサン伯爵家に引き取られてからずっとつらい目に遭っていた彼女を無視していた継母と異母妹なのだ。彼女が何かしてやる義理はないだろう。
「そうですね」
「生き延びてくれれば」と言っているが、正直、リリアーナにとって継母と異母妹はどうでもいい存在なのだろう。
リリアーナはあっさり頷くと話題を変えた。
「あの男に引き取られる前のわたしの名前は、リリ・ベルトランです。『リリ』では伯爵令嬢に相応しくないと、あの男に『リリアーナ』と改名させられたんです。……『リリ』は前世と今生のお母さんが付けてくれた名前だのに」
リリアーナは最後は悔しそうに呟いたが、嫌な気持ちを振り払うように頭を振った。
「だから、わたしは元のわたし、リリ・ベルトランに戻ります」
「……前世も『リリ』というの?」
晴れやかに笑うリリアーナ、いやリリを前にして私は複雑な気持ちになった。
「はい。漢字で璃凛です」
リリは空に名前を書いた。
「あの、この名前が何か?」
リリは私の複雑な感情に気づいたようだ。
「……前世の母の名前なの」
前世の私、相原祥子の母の名前は莉々だったのだ。
「……それは、呼びにくいですね」
リリは困った顔になった。
「でも、あなたの前世と今生のお母さんが名付けてくれた名前でしょう。だったら、私もそう呼ぶわ。勿論、あなたに母を重ねたりはしないから安心して」
前世のレオンに酷似した外見だろうと、前世の私や母と同じ黒髪に暗褐色の瞳だろうと、前世の母と同じ名前だろうと、彼女は彼女、たった一人のリリ・ベルトランなのだから。
その後、モーパッサン伯爵領はブルノンヴィル辺境伯領の一部になった。
不正が明らかになる前にモーパッサン伯爵が亡くなったとはいえ、そのままにするお祖母様ではない。
それでは、父親の「おもちゃ」にされていたリリや人身売買の組織に売り飛ばされていた人達の気持ちがおさまる訳がないのだから。
お祖母様が言っていた通り、モーパッサン伯爵家は取り潰された。
ずっと領主不在のままにする訳にはいかないので、モーパッサン伯爵の不正を明らかにした功績と隣の領地という事もあって、ブルノンヴィル辺境伯領の一部とするように、お祖父様、国王陛下が命じたのだ。




