51 彼女との出会い④
「あの男のやった事を考えれば当然ですね」
リリアーナは幼女とは思えないほど醒めた顔で頷いた。
「だから、提案なのだけれど、あなた、モーパッサン家を継がない? 現当主がやった事がやった事だから伯爵位のままではなく子爵か男爵に落とされるけど、あなたなら伯爵位に返り咲けると思うわ。あなたが父親の不正の証拠をわたくしに渡した事を知れば陛下だって反対はなさらないわ」
お祖母様の「提案」にリリアーナは素直に驚いている。その様は今までの幼女とは思えない言動とは違い年相応なものだった。
「……わたしをそこまで買ってくださるのは嬉しいのですが、お断りします。あの男の物など何一つとして受け継ぎたくないのです」
リリアーナが父親にされた事を思えば彼女の言い分は尤もだが、ノブレス・オブリージュ(高貴なる者の義務)の生き方を体現しているお祖母様が引き下がるだろうか?
「庶子でも貴族の家に引き取られた以上は、国と民のために尽くすべきでしょう。父親が不正をしたのなら娘のあなたは領民に対して尽くしなさい」と言うのではないか?
「あなたなら、いい領主になれると思ったのだけれど。分かったわ」
私の心配をよそに、お祖母様は意外にもあっさり引き下がった。
「知っていると思うけど、人身売買の組織に売り飛ばされた人達の中には、モーパッサン伯爵家の使用人だった人達もいてね。わたくしの部下達に助けられた後、あなたを助けてほしいと彼らはわたくしに懇願してきたわ。だから、あなたに何かを無理強いする気はないから安心して」
お祖母様の言葉で、彼女もまたリリアーナが父親に何をされているのか知っているのだと分かった。人身売買の組織に売り飛ばされたモーパッサン伯爵家の元使用人達が話したのだ。
「……自分も大変な目に遭ったのに、わたしの心配なんて」
リリアーナの前世のレオンに酷似した顔が泣きそうに歪んだ。その顔を隠すためか彼女は俯いた。
「……そもそも彼らが人身売買の組織に売り飛ばされたのは、わたしがあの男の『おもちゃ』にされている事を知って、同情して一緒に逃げてくれようとしたからなのに。……わたしのせいなのに」
「そんなの、あなたのせいじゃない。悪いのは、全部モーパッサン伯爵なんだから」
「……ジョゼフィーヌ様」
やはり泣いていたのだろう。前世のレオンとは違うが、前世の私と同じ暗褐色の瞳は潤み、白磁のような頬には透明な雫が幾筋も流れていた。
その顔を見て私は胸が痛んだ。前世の私の最期の記憶、玲音の泣き顔にあまりにもそっくりで。
「あなたを心配していた元使用人の人達は大丈夫よ。劣悪な環境にいたせいで、しばらく入院させたけど全員回復して、それぞれ新たな就職先が見つかったそうだから」
「……そうですか。ありがとうございます」
リリアーナは、お祖母様に向かって頭を下げた。彼らを助け出しただけでなく入院の手続きをしたり新たな就職の斡旋などをお祖母様がしてくれたのだとリリアーナにも分かったのだ。
「あなたはどうしたい? 不正の証拠を渡してくれたし、できる限りの事をするわよ」
モーパッサン家を継がないのならリリアーナは孤児になる。このままでは、どこかの児童養護施設(この世界では孤児院と言うべきか?)に入るしかないのだ。
「では、お願いがあります」
リリアーナは最初の「お願い」を言った時と同じ真摯な顔になった。
「わたしをジョゼフィーヌ様の侍女にしてください」
「え?」
リリアーナの「お願い」が全く予想外で私は目を瞠った。
「……私の侍女? レオンじゃなくて?」
「はい。貴女にこの命を捧げます。お傍に置いていただけませんか?」
「前世のあなたを命と引き換えにしてまで助けたのはレオンで私じゃないわよ。どうして私の侍女になりたいの?」
「貴女がレオン様の大切な方だから。そして、わたしはレオン様の傍にいるべきではないと思うので」
「どうしてそう思うの?」
「今のわたしは前世のレオン様にそっくりで……その上、実の父親から『おもちゃ』にされている境遇まで同じです。いいえ、同じではありませんね。きっとレオン様のほうが、わたしよりもずっとつらい思いをしたでしょうから」
おそらくリリアーナは、前世のレオンと父親の会話で知ったのだ。彼が父親に何をされていたのか。
「わたしを見たら前世の嫌な事を思いだすでしょう? だから、傍にいるべきではないと思うのです」
「前世の自分にそっくりであっても、あなたに前世の自分を重ねたりなど絶対にしないわよ。だから、あなたの心配は杞憂に終わるわ」
身代わりを強要され自我を認められない事に誰よりも傷ついたのは、前世のレオンだ。
いくら今生のリリアーナが前世の自分にそっくりで、父親の「おもちゃ」にされている境遇まで同じであっても、自分と彼女を同一視する事は絶対にしない。
「でも、あの男の不正を調べるだけでなく人身売買の組織に売り飛ばされた人達を助けたのはジョセフィン妃です。そのジョセフィン妃とジョセフィン妃の孫娘でありレオン様の大切な方であるジョゼフィーヌ様に命を捧げたいです」
今生の自分、リリアーナ・モーパッサンに係わる人達を助けてくれたから恩に報いたいという事だろうか?
「わたくしは貴族としてなすべき事をしただけよ。わたくしに恩を感じる必要はないの。……あなたは今まで父親の下で、ひどい目に遭ってきたのでしょう。これからは好きに生きればいいのよ」
お祖母様の口調は最初は淡々としていたが最後は優しく温かみがあった。
「そう仰ってくださるのなら、どうか私を雇ってください。お二人の役に立つ人間になってみせますから。お願いします!」
未だに立ったままのリリアーナは床につくほど頭を下げた。




