50 彼女との出会い③
「ありがとうございました。ジョセフィン妃、ジョゼフィーヌ様」
リリアーナは、ほっと息を吐くと、ドレスの裾を摘まみ、お祖母様や私に向かって一礼した。幼女で、しかも伯爵令嬢としての教育を一年しか受けていないのに何とも見事な一礼だ。
「いいのよ。それより、あなた、わたくしに何か話があるのでしょう?」
さすがにお祖母様もリリアーナの思い詰めた表情で自分をがん見していた事に気づいていたようだ。それもあって、こちらに来たのだろう。
「は、はい。聞いて頂けますか? できれば、次代のブルノンヴィル辺境伯になるだろうジョゼフィーヌ様もご一緒に」
「ええ、いいわよ」
「だったら、僕は行かないほうがいいね」
了承する私の隣でレオンは寂しそうに微笑んだ。
リリアーナは、私に「次代のブルノンヴィル辺境伯として一緒に聞いてほしい」と言った。
モーパッサン伯爵は何かと後ろ暗い噂が多い人物だ。十中八九、彼女の今生の生家、モーパッサン伯爵家に係わる事だと幼いながら賢いレオンにも分かったのだろう。
レオンはボワデフル子爵家の人間だ。いくら親しくても聞かないほうがいい事もあるのだ。
「……申し訳ありません。レオン様」
リリアーナは言葉通り、申し訳なさそうに頭を下げた。前世の恩人を除け者にしてしまって心が痛むのだろう。
「僕の事は気にしなくていいから、君は君の事だけを考えていればいい。このお二人だったら、きっと君にとっての最善を考えてくださるはずだ」
「……わたしの事はいいのです。こうして今生で貴方に会えた。それだけで、これまで生きていてよかったと思えるから」
「これで別れじゃない。同じ世界にいるんだ。いつだって会えるよ」
今生の別れのようなリリアーナの科白に、レオンは安心させるように微笑みかけた。
「……ええ、そうですね」
リリアーナは、ほろ苦く微笑んだ。
お祖母様は私とリリアーナを執務室に連れてきた。
私の誕生日会だが、貴族がパーティーに参加する主な目的は社交だ。主役の私がいなくなっても大した問題はない。寵姫で辺境伯であるお祖母様と親しくなりたかった人は彼女が消えて残念がっているだろうが。
お祖母様は一人掛けのソファ、私は彼女の左側のソファに座ったが、リリアーナだけ扉の前で立ち尽くしている。
お祖母様が座るように促す前に、リリアーナは思ってもいなかった行動に出た。「失礼します」そう一言断ると何とスカートをまくり上げたのだ。
ぎょっとする私とお祖母様の前で、リリアーナはお腹に巻いた晒しからA4サイズの封筒を取り出した。
ちらりと見えた彼女の脚には薄紅や紫になった痣ばかりでなく……どう見ても縄で縛られたような跡まであった。
伯爵のリリアーナを見る目で彼女が何をされているのか気づいてはいたが……実際、その痕跡を見せられると何とも言えない気分だ。
第三者である私や他人がどう思おうと、今現在、地獄のただ中にいるリリアーナにはどうでもいい事だろう。その地獄から救い出されない限り、彼女には何の意味もないのだから。
「こんな所からすみません。あの男に見つからないように持ち出す方法を、これしか思いつかなくて」
リリアーナは取り出した封筒をお祖母様に渡した。
リリアーナが言う「あの男」は、彼女の父親、モーパッサン伯爵だろう。彼に見つからないように持ち出したという事は、彼にとってやばい物なのだ。
お祖母様が封筒から取り出したのはA4サイズの分厚いノートだった。ノートのページをぱらぱらとめくるうちに、お祖母様の顔色が変わってきた。
お祖母様の傍に行き横からノートを覗いた私は、なぜお祖母様の顔色が変わったか分かった。
「……こんな物、よく持ち出せたわね」
リリアーナがお祖母様に渡したのは、いわゆる裏帳簿というやつだ。モーパッサン伯爵の不正の証拠だ。
私は呆れと感心の混じった視線をリリアーナに向けると彼女は肩をすくめて見せた。
「あの男にとって、わたしは人間ではなく『おもちゃ』ですから。わたしの前で何のためらいもなく金庫からこれを取り出していました。だから、わたしがこっそり持ち出すのは簡単でしたよ」
「わたくしにこれを渡したという事は、あなたは父親を断罪したいのね?」
隣の領地の領主というだけでなく国王の寵姫でもあるお祖母様に裏帳簿を渡したのだ。国王に父親の不正を告発してほしくて渡したのだろう。
「ええ。そして、お願いがあってきました」
リリアーナは転生者とはいってもレオンと同じで肉体と精神の年齢にさほど違いはないはずだのに、この時の表情は心身共に子供とは思えない程、真摯なものだった。
「何かしら?」
「その裏帳簿を見ればお分かりでしょうが、あの男は、モーパッサン伯爵は、領民を人身売買の組織に売り飛ばしています」
それがモーパッサン伯爵の後ろ暗い噂の一つだ。領民から多大な税金を搾り取るだけでなく見目の良い子供や女性を人身売買の組織に売り飛ばして私腹を肥やしているのだ。リリアーナが持ってきた裏帳簿こそ、その証拠だ。
「売り飛ばされた人達を助けてほしいのです」
「それならもうやっているわ。さすがに、売り飛ばされた人全員を助けられていないけど」
お祖母様の言葉にリリアーナは目を瞠った。
「隣の領地だもの。何かと噂は聞こえてくるわ。わたくしは陛下の妾妃でもあるし、放っておく事などできなかった。だから、噂の真偽を確かめた後、秘密裏に売り飛ばされた人達を助けたの。後は、モーパッサン伯爵の不正の証拠を何とか見つけたかったのだけれど、あなたが持ってきてくれたわ」
お祖母様がただの辺境伯であれば、隣の領地の領主にどれだけ後ろ暗い噂があろうと放っておくべきだ。貴族の不正を調べるのは国王の影の仕事なのだから。お祖母様自身が首を突っ込むのは越権行為になる。
けれど、お祖母様は国王の妾妃、国王の「妻」の一人であり王子も産んでいる。準王族ともいえる存在だ。彼女が貴族の不正を暴くために動いても誰も咎められないのだ。
「……私が動くまでもなかったようですね」
リリアーナは苦笑した。
「そんな事ないわ。わたくしの部下では、これを見つけ出すのに、もう少し時間がかかったでしょうから」
お祖母様の言う「これ」は、リリアーナが持ってきた裏帳簿だ。
「モーパッサン伯爵がした事を思えば、彼自身が斬首刑になるだけでなく家が取り潰されるのも免れないわ」
お祖母様は幼女を相手にするには場違いな真摯な顔で語り始めた。この時、お祖母様はリリアーナを幼子ではなく一人の人間として対すると決めたのだ。
「父親の不正の証拠を持ちだしただけでなく、まず最初に願ったのが保身ではなく人身売買の組織に売り飛ばされた人達を助けてほしい」だったので感心したのだと後にお祖母様は私に語った。




