4 消えたいジョゼフィーヌと生きたい私
――本当に疎ましい。あの女にそっくりで、見ているだけで吐き気がする。
誰もが聞き惚れるだろう音楽的な声。けれど、幼いわたくしを容赦なく傷つける言葉を吐いている。
言葉だけではない。時には、幼いわたくしに暴力を振るう事さえある。
銅色の髪と赤紫の瞳。それだけをわたくしは彼から受け継いだ。そして、その事が、よりいっそう彼を苛立たせるのだ。それは紛れもなく、わたくしが彼の娘である証だから。
どんなに努力しても、彼から、お父様から愛されない事は、心のどこかで分かっていた。
それでも、認めたくなかった。
美しいお父様。
貴方に愛してほしかった。
妹に向けるのと同じ、柔らかな笑顔を向けてほしかった。
――あなたは確かに、わたくしの孫。わたくしの我儘で、あなたが生まれた。
お父様によく似た美しいお祖母様。
――わたくしの孫、ブルノンヴィル辺境伯の後継者に相応しい人間になりなさい。そのために、あなたを作ったのだから。
暴力こそ振るわれた事はないが、一度として優しい言葉をかけられた事や笑顔を向けられた事などなかった。
――私の大切なお嬢様。
わたくしに似たメイドのロザリー。唯一彼女だけが、わたくしに優しかった。
誰に教えられた訳ではないけれど、いつの頃からか、ロザリーがわたくしを産んだ母親だと気づいていた。
母親だと気づいても、優しくしてくれても、わたくしにとって彼女はメイドでしかなかった。
だから、いくら彼女に優しくされても、わたくしの心が満たされる事はなかった。
ロザリーには申し訳ないが、わたくしにとっての肉親は、お父様とお祖母、この二人だけだからだ。
……ロザリー同様、妹を肉親とは思えなかった。母親が違うからではない。わたくしには決して向けられる事のないお父様の笑顔を向けられる彼女が羨ましく妬ましかったのだ。彼女のせいではないのは分かっている。けれど、どうしても肉親の情よりも嫉妬が上回った。
お父様に、お祖母様に、愛されたかった。愛してほしかった。
お祖母様の仰る通り、ブルノンヴィル辺境伯の後継者に相応しい人間になればいいの?
確かに、それで、お祖母様は満足するかもしれない。
けれど、わたくしは……ジョゼは、本当は、ただ娘として孫として愛してほしいのだ。
ブルノンヴィル辺境伯の後継者に相応しくなくても、不出来な人間でも、ただ娘として孫として愛してほしい。
けれど、どんなに願っても、それは無理だと心のどこかで悟っていた。
それでも、ジョゼがジョゼである限り、そう願わずにいられなかった。
自分がどれだけ恵まれているか、分かっている。
貴族の娘として生まれたお陰で、飢えも寒さも知らずに生きてこられた。
母娘だと名乗れなくても、実母が傍にいて自分を愛してくれている。
「父親と祖母に愛されない事くらいなんだ」と大抵の人間は思うだろう。
分かっている。分かってはいるのだ。
けれど、どうしても――。
「ただ娘として孫として愛してほしい」という願いを消す事はできなかった。
それが無理なら、もう消えたかった。
愛されない世界からいなくなりたかった。
『……あなたがそう望んだから、私が目覚めたの?』
翌朝、昨日と同じ豪華なベッドで目覚めた私は日本語で呟いた。
ジョゼフィーヌ・ブルノンヴィルとしての記憶などなかった。
だから、私は可能性のひとつとして「転生ではなく魂がこの体に乗り移って本来のジョゼフィーヌの魂を追い出してしまったのでは」と考えていたのだ。
そうだとしても「今度こそ人生を謳歌してやる!」という気持ちは変わらない。
本来この体で生きるはずだった魂を追い出してしまったのだとしても、私が自ら望んでした事ではない。だから、罪悪感など抱かない。
けれど、幸いというべきか、ジョゼフィーヌ・ブルノンヴィルは、本当に私の転生らしい。
眠りの中で、ジョゼフィーヌとしての記憶がよみがえったのだ。
父親と祖母を慕う想い。
その二人から愛されない事への絶望。
おそらくジョゼフィーヌが「消えたい」と願ったから、前世の人格である私が目覚めたのだ。
だって、私は生きたかった――。
『あなたが消えたいと願うなら、私は遠慮なくこの体を使って生きるわ』
そして、今度こそ人生を謳歌してやる!