39 幼くても恋に堕ちる
「……ようやく貴女と話せる」
侍女がティーカップやお菓子等をテーブルに置いて去った後、レオンは、ほっとしたように言った。
ボワデフル子爵家に到着した車から私が出てきた途端、待ち構えていたレオンが私の腕を引っ張って私室に連れてきたのだ。
レオンの部屋はブルノンヴィル辺境伯領にある私の部屋よりも少しだけ狭い。置かれている家具も私の部屋のほうが格段に良かった。それでも、庶民から見れば充分、羨望の対象になるだろう。実際、前世の私が住んでいたワンルームマンションなどレオンの部屋に比べれば物置小屋にしか見えない。
「ごめんね。手紙のやり取りはしていたけど、実際に会って話すのは一年ぶりね」
私はソファに腰掛けテーブルを挟んで対面のソファに座っているレオンに言った。
去年、ブルノンヴィル辺境伯領に戻る前にレオンに別れの挨拶をした際、「手紙のやり取りをしよう」と提案されたのだ。
前世で私が助けた子だ。生まれ変わったのだ。前世の縁は関係ないと思っていても気にならない訳ではない。だから、思わずレオンの提案に頷いてしまった。
それを知ったアンディには「今生は人生を謳歌したいと仰っていたのに、前世の貴女の死の原因になったあの子供に係わるんですか?」と呆れられてしまったが。
「……フランソワ王子と婚約したんだよな?」
レオンは何ともいえない複雑な表情になった。
レオンには手紙で婚約の事を報告したが、社交界では私とフランソワ王子の婚約は公然の秘密となっているだろう。いくら公表するのはフランソワ王子の十八の誕生日会の時と決めても、人の口には戸が立てられないのだから。
レオンは私の口から直接、婚約の話を聞きたいのだろう。
王宮に滞在していたが、王妃教育で忙しく王都にいるレオンに今まで会いに行けなかった。
去年までボワデフル子爵一家は、領地であるボワデフル子爵領で生活していたのだが、レオンの兄のリュシアンがジュール王子の従者となると決まったため領主である祖父以外の家族が王都で暮らすと決めたのだ。
レオンに王宮に来てもらってもよかったのだが、下級貴族の彼には敷居が高いかなと思い直して私が王都にあるボワデフル子爵邸にやって来たのだ。私も直接レオンと話したかったし。
「ええ。王家の命令だもの。断れないわ」
私が投げやりに言うとレオンは頷いた。
「……うん。僕も今生は貴族に生まれた。だから、愛だけで結婚できないのは分かるよ」
転生者とはいえ私とアンディとは違い外見と精神年齢にさして大きな隔たりはないはずだのに、レオンはやけに大人びた事を言う。
「でも、貴女はこのままおとなしく、あのクソガキ……フランソワ王子と結婚しないだろう?」
私はレオンがフランソワ王子を「クソガキ」呼ばわりしても気にしないのでスルーした。
「どうして、そう思うの?」
「貴女は、いくら王家の命令でも唯々諾々と従う人じゃないと思うから。王妃の地位やフランソワ王子に魅力を感じているのなら、おとなしく結婚するだろうけど、違うだろう?」
レオンとは前世で出会ってから(しかも、死ぬ間際だ)今生でもさして長い付き合いではないのに、私という人間を見抜いている事に驚いた。
「貴女がフランソワ王子と婚約解消したいなら僕も手を貸す。……とはいっても、悔しいけど子爵の孫息子に過ぎない僕では大した力にはなれないね」
言葉通り、悔しそうなレオンに私は首を振った。
「その気持ちだけでも嬉しいわ」
レオンが私の力になろうと言っているのは、前世で私が彼を助けて死んだ負い目があるからだろう。そんなレオンに迷惑はかけられない。
「……僕、フランソワ王子から自分の従者にならないかと言われた」
「え?」
レオンの思いがけない科白に私は驚いた。
初対面のレオンのフランソワ王子に対する態度は、私ほどではなかったが貴族令息として褒められたものではなかった。一応、レオンは自分の態度をフランソワ王子に謝ったとはいえ、彼のレオンに対する印象はよくなりはしないだろう。
だのに、自分の従者になれと言ってくるものだろうか?
「……フランソワ王子は、またどうして、あなたを従者にしたかったのかしら?」
無意識の呟きだったのでレオンの返答は期待していなかった。彼にだって分からないだろうと思ったのだ。
けれど、レオンから意外な答えが返ってきた。
「フランソワ王子によると、僕なら絶対に彼を甘やかさないし、ジュール王子と比べないからだって。何より――」
ここで、レオンは苦笑した。
「僕が貴女と仲がいいから、僕を通してフランソワ王子は貴女と仲良くなりたいんだって」
「……誰かを通して仲良くなっても無意味でしょうに」
それに、フランソワ王子が何をしても私は彼と仲良くなる気は全くない。破談する気満々なのだから。
「断るつもりだったんだ。兄上がジュール王子の従者だのに、弟の僕がフランソワ王子の従者になるなど、ボワデフル子爵家はジュール王子とフランソワ王子、どちらに付くんだと非難されそうで」
幼くても賢いレオンは、その懸念を予想できるのだ。
「『断るつもりだった』と言ったわね。今は断るのをやめたって事?」
「貴女がフランソワ王子の婚約者になったから。フランソワ王子の従者になって彼の事を知れば、いろいろと貴女の役に立てそうだ」
「私のために嫌な事をする必要はないのよ。あなたの言う通り、ボワデフル子爵家だって困った事になるでしょう?」
今生の家族を愛しているレオンは、この言葉でやめるだろうと思ったのだが――。
「確かに、どちらに付くんだと非難されるだろうけれど、僕と兄上がフランソワ王子とジュール王子、それぞれの王子の従者になるのなら、ボワデフル子爵家は中立だとも思ってもらえそうだ。実際、お祖父様も父上も中立でいるつもりだし」
ラルボーシャン王国の慣習からして将来国王になるのは、王太子妃の息子であるフランソワ王子だ。
けれど、あまりにも聡明な、天才と言っても過言ではないジュール王子こそが王になるべきだと考える臣下があまりにも多いのだ。
臣下の間では、フランソワ王子派とジュール王子派に別れているくらいだ。
「勿論、これは僕の一存では決められない。まずは、お祖父様と父上と母上の許可を頂かないと」
まだ幼いレオンは何をするにも祖父と両親の許可が必要なのだ。
「二人が許してくれるなら、フランソワ王子の従者になるつもりなのね?」
「……貴女は反対みたいだね」
「私のために、あなたが嫌な事をするのが嫌なの。以前も言ったけど、私に負い目や罪悪感を抱いているのなら」
「そんなんじゃない」
レオンは私の言葉を途中で遮った。声量こそ普通だったが強い口調だ。
「……確かに、僕のせいで貴女を死なせた事は、本当に申し訳なく思っている」
レオンは一転、弱々しい口調になった。
「それは私が勝手にやった事よ。あなたが気にする必要は全くないの。前世の事は気にしないで、今生は人生を謳歌すればいいのよ」
復讐に人生を捧げた私よりも、レオンのほうが、ずっと悲惨な人生を歩んだのだ。だからこそ、今生は前世の事など気にせず人生を謳歌してほしい。
「貴女の力になりたいんだ。貴女が前世で僕を救ってくれた人だからってだけじゃない。貴女だから――」
レオンは何か言いかけ首を振った。
「貴女だって、前世で自分を庇って死んだからってだけで、アンドリュー・グランデを傍に置いている訳じゃないだろう? 僕だって同じだよ」
まさかアンディの事を言われるとは思わず私は目を瞠った。
けれど、何となくだがレオンが言わんとしている事が理解できた。
前世でレオンを庇って死んだ事で、彼が私に対して負い目や罪悪感を持っているのは確かだろう。
けれど、「力になりたい」と言ってくれるのは、前世の事を抜きにしても、レオンが私に対して好意を持ってくれているからだ。
その好意は恋愛感情ではないだろう。外見同様、精神も幼い彼が、そういう感情を抱くとは思えない。
この時、私はすっかり忘れていたのだ。前世で両親を殺した「彼」、《バーサーカー》に恋したのは、私がまだ十歳の幼女だったという事に――。
幼かろうが老いていようが、いつの間にか堕ちてしまうのが恋なのだ。




