3 ジョゼフィーヌの出生
「精神が大人なら話しても大丈夫ね。かなりつらい話だけど、『今のあなた』に関する事だから」
祖母ジョセフィンには息子ジョセフがいる。「今の私」、ジョゼフィーヌ・ブルノンヴィルの父親だ。
「見かけはね、わたくしに、いえ、亡くなったわたくしの双子のお兄様に似ているの。だから、お兄様と同じジョセフと名付けたのに」
ジョセフはジョセフィンの男性名だ。
ちなみに、ジョセフィンはジョゼフィーヌの英語読みだ。このジョゼフィーヌという名は祖母である彼女からとられたのだろう。
この世界と前世の私がいた世界で遣われている言語は、さして変わらないと思う。何せ、フランス語に聞こえる言語を「この体」になってから出会った三人が遣っているのだから。
「性格は真逆で、はっきりいってクズなの。あれが、わたくしがお腹を痛めて産んだ、たった一人の息子だと思うと、時々、世を儚みたくなるわね」
……実の母親(祖母)からそう思われている今生の私の父親は、いったいどういう人間なんだろう?
「……母親なのに、どうしても息子を愛せない」
……お腹を痛めて産んだ我が子でも愛せない母親はいる。実際、前世の私の母は、私の事は愛してくれたが、自分がお腹を痛めて産んだもう一人の娘、私の妹の事は愛せなかったのだから。
「そんなわたくしの気持ちが伝わったのでしょうね。ジョセフは事あるごとに、わたくしに反発してくれて、結婚相手ですら、わたくしが大嫌いな姉の娘ですもの」
どれだけ祖母が結婚に反対してもジョセフは聞き入れなかった。
従姉を愛しているのではない。母親への反発からだ。
「……あの姉の血を引く子供がブルノンヴィル辺境伯になるなど耐えられなかった。だから、わたくしは母親としても人間としても最低な事をしたわ」
お祖母様は少しだけつらそうな顔になった。
「……ロザリー、あなたにそっくりでしょう?」
「……彼女が、この体を、ジョゼフィーヌを産んだ母親なのですね」
もしかしたらと思っていた。あまりにも「今の私」に酷似していたから。
けれど、彼女、ロザリーは「今の私」を「お嬢様」と呼んでいた。「ジョゼフィーヌ」ではなく。
それに、この豪華な部屋からしてジョゼフィーヌは、ちゃんと貴族の令嬢として扱われている。だのに、ジョゼフィーヌの母親であるロザリーは、明らかにメイド扱いだ。
何か事情があるのだろうか?
「息子はね、中身はクズだけど外見はお兄様に似て完璧だから、あの見かけだけで惚れる女性は多かった。ロザリーもその一人。だから、わたくしは命じたの」
――息子の子を孕みなさい。
「オルタンス、姉の娘と結婚する約一年前に、ジョセフに、こっそり媚薬を飲ませてロザリーを抱かせたの」
「……それで、ジョゼフィーヌが生まれたのですね」
「……ジョセフは、ロザリーは勿論、ロザリーに似たあなた……ジョゼの事も疎んじている。ジョゼは何も悪くないのに」
「ジョゼ」は「ジョゼフィーヌ」の愛称だろう。
「……ジョセフは予定通り、オルタンスと結婚し娘のルイーズが産まれた。ジョゼの一つ下の異母妹よ」
「今の私」にも妹がいるのか。ただ母親は違うけれど。
……妹という存在は、私にとって愛しいものではなく胸が痛むものだ。
前世では同じ両親から生まれながら私だけが両親から愛された。その上、あの子を犠牲にして私は生きてきた。
……今生でも、おそらく、心温まるような姉妹の情とは無縁になるだろう。
私にはまだジョゼフィーヌ・ブルノンヴィルという自覚がない。妹だという子を紹介されても、きっとそう思えない。
いや、今までのジョゼフィーヌでも、きっとそうなっただろう。彼女の出生を思えば、母親の違うルイーズを妹とは思えなかったはずだ。
「……ルイーズを産んだ直後に、オルタンスは自殺したわ」
驚く私に、お祖母様は淡々と話を続けた。
「ジョセフはオルタンスを愛して結婚した訳じゃないし、オルタンスには愛する方がいた。あの方とは結婚できなかったから仕方なくジョセフと結婚したの。貴族なら政略結婚は当然で、それでもうまくやる夫婦もいる。けれど、あの二人の性格では到底無理だった」
だから、オルタンスは、異母妹の母親は、自殺したのか。
「……正妻が亡くなっても、ロザリーがメイドのままなのは、やはり、ジョセフ……お父様が嫌がったからですか?」
前世の私がいた世界の歴史や物語で、正妻が亡くなったら愛人を次の正妻に迎えるのは貴族ではよくある事だ。貴族なら政略結婚は当然だというこの世界でも、きっと同じなのだろう。
正確にはロザリーは父の愛人ではない。祖母に命じられて、父にとっては無理矢理な行為の結果、ジョゼフィーヌを産んだのだから。それでも、父のもう一人の娘の母親だ。彼女が次の正妻になっても誰もおかしいとは思わないだろう。
「それもあるけど、ロザリーはメイドとしては優秀だけど、貴族の妻には相応しくないから。ロザリーも、母娘としてでなくても、あなたの傍にいられるだけでいいと言ったわ」
……けれど、「今の私」は、彼女が傍にいたいと思っているジョゼフィーヌではない。
「前世がどういう人間だろうと、その体で生きた記憶が欠落していても、今のあなたは、わたくしの孫、ジョゼフィーヌ・ブルノンヴィルなの。それ以外の生き方は許さないわ」
「今の私」と同じ赤紫の瞳で、お祖母様は真っ直ぐに私を見据えた。心の弱い者なら逃げ出しそうな強い眼差しだ。
けれど、私の精神は一般の女性よりも過酷な人生を歩んだ三十女だ。私はお祖母様の眼差しを受けとめると目を眇めた。
「……孫の中身が見知らぬ女になっても構わないのですね」
「魂は同じでしょう」
彼女の言う通り、魂は同じなのだろう。ただ、どういう訳か、前世の人格が表出し今生の人格が消し飛んだという事なのだろう。
「いえ、違ったとしても構わない。わたくしの孫、ブルノンヴィル辺境伯の後継者に相応しい人間なら、今までのジョゼでも、あなたでも、どちらでもでも構わないわ」
肉親の情を感じられない非情な発言だが貴族としては当然なのだ。貴族とは国と民のために生きる者なのだから。
「……今度こそ人生を謳歌してやる。それが、私の願いです」
「私」は死んだ。けれど、「私」という人格を持ったまま、新たな肉体を得た。
元の自分に戻れないのなら、新たな肉体で人生を謳歌する――。
そう願って何が悪い?
「それでも、この体、ジョゼフィーヌ・ブルノンヴィルとして生きる以上、義務は果たします。あなたのご期待にそえるかは分かりませんが」
半分以上は保身からの言葉だった。
……全てを放り出して生きるには「今の私」は無力な三歳児だ。今はまだ祖母である彼女の庇護が必要なのだ。ここは、彼女の言う通りにするしかない。
「おそらく、わたくしが持っている前世の知識は、前世のあなたがいた世界に依るものだと思う。前世のあなたがいた世界は、この世界よりも文明が発達している。だったら、期待しているわよ」
お祖母様もナポレオンを知っていた。
おまけに日本語を話した。この世界と前世の私がいた世界が同じ言語を遣っているのなら、おかしい事ではないのだけれど。
それでも、お祖母様も前世の私がいた世界、それも日本からの転生者だと考えて間違いないだろう。ただし、私と違って前世の知識だけを持った。
「……転生者だからといって、有益な知識を持っているとは限りませんよ」
実際、私は人間にとって害悪な知識しかないのだから。
けれど、それを言ってしまえば、彼女は私を放り出すだろう。
体が幼い今、そうされては困る。
今は、とにかく彼女の望むブルノンヴィル辺境伯の後継者に相応しい人間だと示すしかない。