26 前世の玲音
「……前世のあなたも男の子なのよね?」
こうして話すまで私は疑いもしなかった。前世のレオンは女の子だったのだと。長い髪にリボンとレースのついたひらひらしたワンピースがよく似合っていた。美しい幼女にしか見えなかったのだ。
けれど、この短い時間、レオンと接して分かった。前世のレオンも男の子だったのだと。
いくら男の子の記憶と人格を吸収したとはいえ、前世が女の子で、その前世の人格のほうが表に強めに出ているのなら女の子っぽい言動になったはずだ。
けれど、フランソワ王子や私に対する言動は、どう見ても男の子のそれだった。
「……うん。あんな恰好だったから貴女が誤解したのは無理ないけど、前世の僕も男だよ。藤條玲音、それが前世の僕の名前だ」
レオンは空に前世の自分の名前を書いた。
「前世も『レオン』なのね」
「うん。前世では大嫌いな名前だったけど、今生は、お祖父様が付けてくれた名前だから同じ『レオン』でも大切に思える」
レオンは、ふと暗い顔になった。
「……せっかく貴女に助けてもらった命だのに、僕は令和になった翌日、五歳の誕生日に死んだ。……殺されたんだ。前世のクズで下種で最低最悪な父親に」
レオンは最後は吐き捨てるように言った。
「前世のレオンは天寿を全うしなかったのでは?」という私の予想は当たっていた。けれど、それは私が思う以上に悲惨な結果もたらされたのだと今のレオンの言葉だけでも分かる。
「……話したくないのなら話さなくていいのよ」
今の彼は「藤條玲音」ではなく「レオン・ボワデフル」だ。つらかった前世を蒸し返す事はないだろう。
「……不愉快な話だけど、どうか聞いてほしい。貴女は、この世界で前世の僕を唯一知っていて、前世の僕を救ってくれた人だから」
レオンの「救ってくれた」という言葉には、ただ単に「命を救ってくれた」という以上の深い意味が込められているように思えた。
「……前世の僕の三歳の誕生日に母が出て行った。浮気相手と駆け落ちしたんだ。それから、父は、おかしくなった。愛する妻である母に裏切られて出て行かれた事がショックだったんだろう。
母に似た僕の髪を伸ばさせ女の子の格好をさせるようになった。母のように振る舞うように強要したんだ。……名前も『玲音』ではなく母の名前『礼音』と呼ばれるようになった。家に閉じ込められ父の『おもちゃ』でしかない人生だった」
レオンは何でもない事のように淡々と語っているが、聞いている私は胸が痛くなった。
前世のレオン、藤條玲音が、なぜ、あんな虚無的な目をしていたのか、ようやく理解できた。
物心ついた頃にはもう藤條玲音(前世のレオン)は、人間として扱われていなかったからだ。家に閉じ込められ、唯一接触する人間である父親は、彼を彼としてではなく出て行った愛する妻の身代わりとしてしか扱わなかったのだ。
今度こそ人生を謳歌してやる!
そう思っていた自分を私は恥じた。
復讐に身を捧げた人生であっても私は不幸ではなかった。他の誰でもなく私自身として生きられたのだから。
誰よりも今生で人生を謳歌すべき人間は目の前のレオンだ。
私ではない――。
「父が仕事で数日家を留守にしたのを幸い僕は家を出た。別に逃げようとか考えたんじゃない。そんな事、思いつきもしなかった。……前世の僕は父の『おもちゃ』としての人生しか知らない。それ以外の生き方ができるなんて考えもしなかったんだ」
レオンは自嘲の笑みを浮かべた。
前世の、父親の言いなりでしかなった自分を嘲っているようだが、それ以外の生き方しか知らなかったのなら無理もない。
彼が自分を嘲る必要などないのに――。
「ただ外を見たかったんだ。父が家にいる時はできないから」
外に出歩いて、そして、前世の私に出会う事になったのだ。
「……トラックが目の前に迫った時、最初に感じたのは『これで、あの男から自由になれる』という安堵と歓喜だった」
トラックが目の前に迫った時、玲音は確かに微笑んでいた。あれは、父親の「おもちゃ」でしかない人生を終わりにできる安堵と歓喜故の微笑みだったのだ。
「でも、貴女が命と引き換えに僕を助けてくれて考えが変わった。父親の『おもちゃ』でしかないこんな僕を助けて死んだ人がいる。だったら、貴女の分まで生きなければと思ったんだ。だのに――」
レオンは底冷えするような冷たい瞳になった。
「あの事故の後、僕も病院に送られた。男の子だのに女の子の格好……加えて、体には明らかな性的虐待の跡。お陰で家に帰されずに済んだ。取りあえず病院で過ごす事になったのだけれど……何をどう調べたのか、父がやってきて僕を取り戻そうとした。
病院の医者や看護師、職員の人達は必死に僕を渡すまいとしてくれたんだけど、母に出て行かれてからの父は正気じゃない。病院で暴れ回って、病院にいる人達を何のためらいもなく傷つけ始めた。僕と同い年くらいの女の子に刃物が向けられているのを見て目の前に飛び出した。それが、前世の僕の最期の記憶だ」
「その女の子を庇って死んだのね」
私の確認にレオンは頷いた。
「……せっかく貴女に助けられた命だのに、天寿を全うできなくて、ごめんなさい」
「私に謝る事など何もないわ」
私が勝手に彼を庇って死んだのだ。その命を彼がどう使おうと彼の勝手だ。何より、彼だって死にたくて死んだ訳ではない。
「でも、そうね。私に済まないと思っているのなら、今生こそ自由に幸せに生きて」
「だったら、お姉さん……ジョゼフィーヌも幸せに生きてほしい。そのためなら、僕は何でもする」
「さっきも言ったけど、前世の事で私に罪悪感や負い目を抱く必要はないの。私のために何かしようとか考えなくていいから」
誰かや何かの身代わりではなく、自分自身として幸せに生きてほしい。
「罪悪感や負い目じゃない。僕は貴女が――」
レオンは何か言いかけて首を振った。
「勿論、僕だって今生は幸せになりたい。そして、貴女にも幸せになってほしい。そのためなら僕は何でもする。それだけは譲れない」
頑なに言うレオンに私は苦笑した。
「分かったわ。困った時には、レオンの力を借りる事にする」
私の言葉に、レオンは嬉しそうに微笑んだ。前世で出会った時の彼からは想像できない本当に子供らしく無邪気な微笑だった。




