20 今生での邂逅
「……何で今更……」
いつも使っているのとは違うが同じくらい極上の寝心地のベッドの上で私は呟いた。
私の唇からこぼれたのは、日本語ではなくフランス語……いや、この世界ではラルボーシャン語だ。元々この体が慣れ親しんだ言語だ。一ヶ月以上この体で過ごせば、無意識の呟きもそうなるのは無理もない。
夢を見た。前世の私の最期を――。
ジョゼフィーヌに生まれ変わって一ヶ月以上になるというのに、なぜ今更、こんな夢を見るのだろう?
もう、前世の私に戻れやしないのに――。
ベッドは窓際に設置されているため顔を横に向けると厚いカーテンの隙間から薄明が射しているのが見える。
今、私がいるのはブルノンヴィル辺境伯家専用の豪華寝台列車の中。ブルノンヴィル辺境伯領から王都パジに向かっている。
最上級のベッドでも、どうしても列車の振動は伝わってくるのだが、今それはないから、どこかの駅に止まったのだろう。ブルノンヴィル辺境伯領から王都パジまで一日かかる。小休止と補給のため途中いくつかの駅に止まるのだ。
前世では、こんな豪華寝台列車自体、乗った事はなかったというのに、私に与えられたのは、お祖母様同様、一車両が一室になっている最上級の客室だ。
こんな時は、つくづく辺境伯家に転生してよかったと思う。
私はベッドに座ったままカーテンを開けた。
すると――。
目の前にいた男の子と目が合った。
ちょうど、この豪華寝台列車を見ようとしていたのだろう。
私も驚いたが、男の子のほうがもっと驚いたらしく尻餅をついた。
この体と同じ年頃か。灰色がかった金髪。灰色がかった緑の瞳。幼いながら整った顔立ちの男の子だ。
男の子は尻餅をついたままの格好で私を凝視したまま身動ぎしない。
私は窓を開けると男の子に声をかけた。
「あなた、大丈夫?」
『――』
男の子が呟いた。とても小さな声で聞こえなかったけれど――。
私は前世で読唇術を習得した。だから、男の子が何を言ったのか分かった。
――分かってしまった。
「――あなた!」
目を瞠る私の前で、男の子がくたりと倒れた。
「ちょっ! あなた!」
私は開いた窓から外に飛び降りた。三歳児の体だから前世のように俊敏には動けなかったが。
私が何とか男の子の前に降り立った頃、一人の少年がこちらに駆け寄って来た。
男の子より少し年嵩、四、五歳くらいか。しかも、男の子に似ている。男の子の兄だろうか?
「レオン!?」
男の子は「レオン」というらしい。
私は駆け寄ってくる少年に見覚えがあるのに気づいた。
いや、違う。「私」が見覚えがあるのではない。これは今生の記憶だ。
ジョゼフィーヌの三歳の誕生日会に参加した貴族の子息の一人だ。
名前は確か――。
「リュシアン・ボワデフル?」
ボワデフル子爵の孫息子。
ボワデフル子爵家は、お祖母様の母親、ジョゼフィーヌの曾祖母の以前の嫁ぎ先だ。お祖母様の異父姉ルイーズは現ボワデフル子爵の従妹になる。
「……ジョゼフィーヌ嬢?」
少年、リュシアン・ボワデフルは戸惑ったように私を見ている。誕生日会で会ったジョゼフィーヌと今目の前にいる「ジョゼフィーヌ」は、姿こそ同じだが「違う」のだと直感で分かったのだろう。
彼も転生者なのか、ただ単に勘の鋭いお子様なのか。
リュシアンとゆっくり話してみたいが、今は気絶した男の子、レオンをどうにかしなければ。
「この子、あなたの弟?」
「は、はい。弟のレオンです」
今年五歳になるリュシアンよりも、今生の私のほうが年下なのだが、身分では国王と辺境伯の孫娘であるジョゼフィーヌのほうが上だ。それで敬語を遣っているのだろう。幼児とは思えない弁え方だ。
レオンはジョゼフィーヌの誕生日会には来ていなかった。誕生日会の主役と同じ年頃とはいえ、あまりにも幼く分別がないだろう彼を連れて行くのは、彼の両親は不安だったのだろう。せっかく関係改善した辺境伯家に失礼があってはいけないから。
お祖母様が辺境伯になる以前、ボワデフル子爵家とブルノンヴィル辺境伯家には軋轢があった。お祖母様の父親(ジョゼフィーヌの曾祖父)、前辺境伯がボワデフル子爵家だけ交易を禁止するという、あからさまな嫌がらせをしていたのだ。愛妻の以前の嫁ぎ先での扱いに腹を立てたらしいが、辺境伯という地位にいる人がしてはいけない事だろう。
その前辺境伯が亡くなり、お祖母様が辺境伯になってからは、勿論そんな事はなくなった。お祖母様は大嫌いな異父姉ばかり贔屓する両親を愛せなかったのだという。仮に両親を慕っていたとしても私怨で権力を嫌がらせに使う人ではないのだ。
「目が合ったら、いきなり気絶したの。悪いんだけど、ご両親か誰か、大人を呼んできて」
私の言葉遣いは三歳児にしては大人びたものだっただろう。いや、それ以前に、ジョゼフィーヌは、こんなにはきはきと喋ったりはしないのだ。
誕生日会の主役だというのに、お祖母様やロザリーの後ろに隠れて、他家の令嬢や令息と交流しようとしなかった。おとなしい令嬢だという印象がリュシアンにはあっただろう。だからか、リュシアンは驚いた顔になったが、今は気絶した弟を優先すべきだと思ったのか、それについては言及せず、おとなしく私の言う事に従ってくれた。賢い子だ。
「お嬢様? 何をしていらっしゃるんですか?」
リュシアンが離れて少し経った頃、この一ヶ月でようやく聞き慣れた綺麗なボーイソプラノが私を呼んだ。前世では大人の男性の声だったので、どうしても違和感があったのだ。
私が彼を「アンディ」と今生の愛称で呼ぶように、彼も私を「お嬢様」と呼ぶ。元々、彼は今生の私をそう呼んでいたのだが。
「ジョゼと呼んでも構わないのよ」と言ったのだが固辞された。曰く「貴女は私の主の一人ですから、愛称で呼ぶなどできません」だった。
私が泊まっている客室(車両)の隣の車両にアンディが泊まっている客室がある。一車両に三部屋あるうちの一部屋だ。そこから窓を開きアンディは私に声をかけたのだ。主がネグリジェで、しかも裸足で車外に出ているのを窓から見えたからだろう。
「目が合ったら、この子がいきなり気絶したの」
私が説明すると、アンディは私と違い俊敏な動作で開けた窓から車外に飛び降りた。早朝だというのに、きちんとした身形で、ちゃんと靴も履いている。
アンディは男の子の前に膝をつくと彼の手首を手に取った。彼は前世でも今生でも医者の資格を持っているのだ。
ちなみに、お祖母様もそうだ。彼女の前世の知識は主に医学関連で、ブルノンヴィル辺境伯領、いや、ラルボーシャン王国の医療が発展したのは、彼女の尽力が大きいのだという。
「私が診たところ、体に異常はありませんが」
「そう。よかった」
私がほっと息を吐くと、両親らしい大人を連れたリュシアンが戻ってきた。
気絶したレオンをボワデフル子爵家の人々が連れて行った後、アンディが私を抱き上げて歩き出した。私が裸足だから気遣ってくれたのだろう。
少年の彼が抱えるには三歳児の体は重いだろうに、揺るがないしっかりとした足取りだった。外見こそ氷人形だが意外と力はあるようだ。
私にあてがわれた客室のソファに私を下ろすと、アンディはお湯で濡らしたタオルを持ってきて、裸足で外を歩いたため少しだけ汚れてしまった私の両足をぬぐい始めた。
「……あの子だった」
絨毯が敷かれた床に跪いて私の小さな両足をぬぐっているアンディの普段私からは見えない旋毛を見ながら、ぽつりと呟いた。
「お嬢様?」
顔を上げたアンディの、いつもより近い距離にあるアイスブルーの瞳と目を合わせて、今度はきちんと言った。
「……あのレオンって子、前世で私がトラックから庇った子だった」
普通なら驚くと思うのだが、さすがは《アイスドール》というべきか。アンディは表面上は、いつもと変わらず冷静だった。
「……前世の貴女の死の原因になった子供ですか?」
アンディには、もうすでに前世の私の死因を話してある。
「――ええ」
私は目を閉じるとアンディの肩に頭を預けた。
気絶する直前、レオンは確かに日本語で言ったのだ。
――おねえさん、と。




