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110 あなたは私。私は、あなた

 体力の限界まで祐と戦った事や覚悟してもいても唯一恋した彼が死んだ事がショックで、あの後、私は気絶するように眠った。


 その夢の中で私は「彼女」に会ったのだ。





 これは夢だとすぐに分かった。


 上下左右全てが真っ暗で、まるで海の底に漂っているようだった。


 しかも今の私の姿は今生の私、ジョゼフィーヌ・ブルノンヴィルではなく、前世の私、相原祥子なのだ。


 十四歳の銅色の髪と赤紫の瞳の平凡な容姿の少女ではなく、三十歳の黒髪に暗褐色の瞳の絶世の美女だ。


 夢の中だから表出している前世の人格である相原祥子の姿になっているのだろう。


 私以外誰もいなかった空間に突然一人の幼女が現われた。


 夢だからというだけでなく「彼女」が現われるのを予感していた私は、驚くことなく目の前の幼女の存在を受け入れた。


「――祥子」


 当然だけど今生では呼ばれる事がない「私」の名前を幼女は口にした。


「――ジョゼフィーヌ」


 私の呼びかけに幼女は、にっこり微笑んだ。


 目の前の幼女は、三歳の時のジョゼフィーヌ(わたし)の姿だ。


 彼女こそが消えたはずの今生の人格であるジョゼフィーヌだ。


「……消えてなかったのね」


 死に逝く祐へ「お父様」と呼びかけた時に分かった。


「私」は絶対に祐を「お父様」とは呼ばない。


 ロザリーにとって人格が私でもジョゼフィーヌでも娘であったように、ジョゼフィーヌにとっても人格が祐でもジョセフでも「お父様」なのだろう。


 だから、愛する「お父様」の死の衝撃で私自身が関知できないほど精神の奥深くにいた「ジョゼフィーヌ」が一瞬だけ表出したのだ。


「ええ。消えたいと願い、消えたはずだった。でも、気がついたら、あなたの精神の奥深くにいて、ずっとあなたの生き様を見ていたわ」


「再び表出しようとは思わなかったの?」


 私の質問に、ジョゼフィーヌは幼女とは思えない、ほろ苦い笑みを浮かべた。


「わたくしは消えたいと願ったし……何より、わたくしより『あなた』がジョゼフィーヌ・ブルノンヴィルである事を周囲に望まれていたじゃない」


「そんな事はない」とは言えなかった。


 お祖母様は肉親の情よりも貴族としての在り方を優先する人だった。孫娘の人格が私でもジョゼフィーヌでも愛してくれたが、次代の辺境伯に相応しければ、どちらでも構わないと本気で言っていたのだ。


 そして、アンディやレオンにとって大切なのは、魂が同じであっても今生の人格(ジョゼフィーヌ)ではなく前世で係わった「私」なのだ。


「では、今になって出てきたのは、なぜ?」


「……わたくし自身、分からないわ」


 ジョゼフィーヌが表出したのは「お父様」の死がショックだったからだろうが、出てきて何をしたいとかは考えていないらしい。


「今更、この体を明け渡すつもりはないわよ?」


 本来この体で生きる人格が目の前の彼女、ジョゼフィーヌだとしても消えたいと願い生きる事を放棄したのは彼女自身だ。


 この十一年、ジョゼフィーヌ・ブルノンヴィルとして生きてきたのは「私」だ。


 今更明け渡すつもりはない。


 ロザリーが庇う前は祐に殺してと迫り死を受け入れようとした事は棚上げする。


「……分かっているわよ。周囲にとってはもう『あなた』がジョゼフィーヌ・ブルノンヴィルだし、そう望まれているのだから。……今更わたくしが表出したとしても誰も受け入れてはくれないわ」


 ジョゼフィーヌは、これまた幼女とは思えない諦念に満ちた笑みを浮かべた。


「それでも消えずに私の精神の奥深くで私の生き様を見ていたのは、本当は生きたいからじゃないの?」


 私の言葉にジョゼフィーヌは虚を衝かれた顔になった。


「この体を明け渡すつもりはないわ。でも、あなたと一つになって共に生きるのは構わない」


「……どうして、そんな事を言うの? 魂が同じで記憶を持っていても、わたくしを自分だと思えないのでしょう?」


 ジョゼフィーヌの疑問は尤もだ。


 それでも彼女を受け入れる理由は――。


「ロザリーが、お母様が、あなたの幸せも願ったから」


 ――()()()の分まで幸せに。


 ロザリーが最期に言った「あの子」は、本来のロザリーの娘の人格、消えたと思っていた目の前の彼女、ジョゼフィーヌだ。


 肉体が自分が産んだ娘なら人格が「私」でも「ジョゼフィーヌ」でも構わないんだな思っていたけれど、それは私の勘違いだったようだ。


 ロザリーは人格が「私」になっても変わらず娘を愛したが、だからといって消えてしまったと思い誰にも顧みらる事がなくなった「ジョゼフィーヌ」の事も忘れてはいなかったのだ。


「自分を庇って死んだお母様の望みだから?」


 ジョゼフィーヌにとってもロザリーは生物学上の母親にすぎなかった。けれど、表出しなくても私の生き様を見ているうちにロザリーを心から「母」だと思えるようになったから「お母様」と言えるようになったのだろう。


「それだけでなく、後味が悪いのよ」


「どういう意味?」


 首を傾げるジョゼフィーヌに私は言葉を足した。


「この体を乗っ取った訳じゃない。そう自分に言い聞かせても……私の精神の奥深くに、あなたが、本来この体で生きるべき人格(ジョゼフィーヌ)がいると思うと……後味が悪いのよ」


 ジョゼフィーヌは、しばし沈黙した。私の提案について考えているのだろう。


 私は急かす事をせずジョゼフィーヌが口を開くまで待った。


「……わたくしと一つになれば、あなたは今までのあなたでなくなるかもしれない。そうなれば、あなたを愛してくれる人達が離れてしまわない?」


「その程度で離れるのなら要らないわ」


 ジョゼフィーヌの言うように、今生の人格である彼女と一つになれば「私」は変わってしまうかもしれない。


 それでも、それを受け入れたのは私で、そんな私を受け入れられないのなら、そんな人間は要らない。


「……あなたの言う通り、わたくしは生きたかったのかもしれない」


 ジョゼフィーヌは、ぽつりと呟いた。


お母様(ロザリー)は愛してくれていたのに、お祖父様もお祖母様もでき得る限り、わたくしに愛情を示してくれていたのに、愛されてないと勝手に絶望して消える事を選んだくせに……『あなた』が表出して、あなたの生き様を見て……羨ましかった。お祖母様に認められて、皆に愛されて。同じ魂でも、わたくしは『あなた』になれない。再びこの体に表出しても、わたくしでは皆、喜ばない。だから、あなたの精神の奥深くで、あなたの生き様を見ていたわ」


「見るだけでなく、共に生きましょう」


 私はジョゼフィーヌに向かって手を差し伸べた。


「あなたの弱さも想いを棄てられない所も私と同じよ」


 私の女としての弱さも、恋情と肉親の情と違いはあるけれど愛されないと分かっていても想いを棄てられない所もジョゼフィーヌに通じるのだ。


「今なら、あなたは私だと認めれる」


 あなたは私。私は、あなた。


「『あなた』だけでは生きていくのがつらくても『私』と一緒なら、きっと耐えられるわ。私の生き様が羨ましかったのでしょう? だったら、ただ見ているのではなく『私』と喜びも苦しみも共有しよう。それが生きているという事で、あなたやお母様(ロザリー)が望む幸せは、きっとその先にあるから」


「祥子」


「私」の名を呟くジョゼフィーヌの姿が変わった。


 三歳の幼女から十四歳の少女になったのだ。鏡で見慣れたジョゼフィーヌ(わたし)の姿だ。


 この体で生きていたのは私でも、私の生き様を見ていた彼女だって精神的にはもう幼女ではないのだ。


「ええ。わたくしも『あなた』と生きたい――」


 ジョゼフィーヌは私の手を握った。


 そうして私達は一つになった。


 前世と今生の人格が融合した「私」は本当の意味でジョゼフィーヌ・ブルノンヴィルとなったのだ。







 


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