1 今度こそ人生を謳歌してやる!
西暦二〇一九年四月三十日。
平成最後になるこの日は、私の三十歳の誕生日、そして――。
命日になった――。
ぱちりと目を開けると、心配そうに私を覗き込んでいた女性と目が合った。きちんと結い上げた黒髪と暗褐色の瞳の二十歳前後の女性だ。
小柄で華奢な体にメイド服を着ている。メイドカフェで見かけるようなひらひらしたものではなくヴィクトリア朝時代のメイドが着ていたようなクラシカルなデザインだ。
「……あ、気がつかれましたか? お嬢様」
その女性は安堵した様子を見せた。
容姿は日本人っぽいのに話している言葉はフランス語だ。彼女が容姿にそぐわない言語を当然のように遣っている事よりも、まず私が疑問に思ったのは――。
(……お嬢様? それは、私の事?)
「ジョセフィン妃とお医者様に、お嬢様が気がつかれたと、お伝えしてきますね」
声には出さず心の中だけで疑問に思う私に構わず、その女性は部屋から出て行った。
(……確か、私は信号無視で突っ込んできたトラックから子供を庇って)
そう、胸に抱えた子供の感触も、トラックにぶつかり路面に叩きつけられた体の痛みも憶えている。
(……あの子は無事だろうか?)
私がトラックから庇ったあの子は――。
あの子の事も気になるが、今は、私のこの状況を把握するのが先だと思い直す。
ここは、明らかに病院ではない。
私が今いるのは、五つ星ホテルのスイートルームと言われても納得できる部屋だったのだ。
私は天蓋付きの豪華なベッドに寝かされていた。私が今まで使っていたベッドとは比較にならないほど寝心地がものすごくよかった。
置いてある家具も、そういう事に疎い私が見ても分かるほど上質な物ばかりだ。
しかも、トラックにはねられたのに、体に痛みは全くなかった。
試しに上半身を起こした私は、ようやく自分の異変に気づいた。レースとリボン付きのひらひらしたネグリジェに包まれた私の体――それは明らかに三十になった女の体ではない。あまりにも小さい。
『……何よ、これ?』
発した声は日本語だが自分のものではない。甲高い子供のものだ。
今までよりずっと小さな体では高く感じるベッドから降りた私は鏡台に向かった。
鏡台の扉を開け、恐る恐る鏡を覗き込むと――。
映っているのは子供、三歳くらいの女の子だ。欧米人のように白すぎる肌。薔薇色の頬。長く真っ直ぐな銅色の髪。赤紫色の瞳。けれど、その顔立ちは――。
日本人っぽい。というより、驚くほど先程の女性に酷似していた。お世辞にも美女とはいえないが醜くもない、ごく平凡な顔。
記憶にある私の顔ではない。そもそも私は三十女だったし、髪と瞳の色が違う(私は先程の女性と同じ黒髪に暗褐色の瞳だ)。それに、自分で言うのもなんだが私は超美人だった。
けれど、こうして鏡に映っている以上、どんなに信じられなくても「これ」が私なのだ。
『……これは、異世界転生というやつか?』
暇潰しで読んでいたネット小説。私がよく読んでいたのは、現実世界から異世界に転生する女性の話だった。
大抵は貴族令嬢で、ものすごい美人設定なのだけれど、私に「美人設定」のほうは適用されないらしい。
部屋の感じからして貴族ではなくても、お金持ちの家の令嬢なのだと思う。先程の「今の私」に激似の女性も「お嬢様」と呼んでいたし。
けれど、容姿のほうは、成長しても期待はできない。「今の私」に似たあの女性を見れば簡単に予想はつく。
まあ、前世(もう、そう思うしかない)が超美人だったのだ。今生まで、それを望むのは贅沢だろう。
(……いやいや、待て待て、まだここが異世界とは断言できないぞ)
それでも、ここが異世界かどうかはともかく、私が転生したのは、まぎれもない事実だ。
まあ何にしろ、前世の記憶を持ったままとはいえ、お金持ちの家の令嬢に生まれ変わったのだ。
今度こそ人生を謳歌してやる!
この時は、そう思っていたのに――。