幸運のお守り
早春、ノーデンの田園地帯は地平線のかなたまで青々と麦が波打っていた。さわやかな一面の緑を一筋、茶色の農道が切り分けていく。
その上を、海に向かって二頭の馬が走っていた。馬はどちらも男を乗せている。片方の男は若く、栗色の短髪が風にそよいでいる。空の体つきは巌のように大きく、厳つい。もう片方は白髪で背が曲がっており、年老いている。老人が若者に話しかけた。
「オーランド様。もういい年なのですから、奥様を迎えてくださいませ。相手はこの際、農民でも娼婦でも構いません、一刻も早くお世継ぎを」
年寄りの繰り言に、オーランドはいつものように返した。
「デリック、そのうち養子でも何でももらう、女だけは俺に近づけるな」
「オーランド様のお父上はまだ立場上は領主ですが、数年前に膝を痛めてからは引退同然と申し上げてよい状態です。新グレートブリテン王国ノーデン領の実権を握っていらっしゃるのは、嫡子オーランド・ガーティン、あなた様なのです。次期領主として、いい加減に奥様を迎えておちついてくださいませ」
奥様をむかえておちつけ、だって? オーランドは腹の底からいら立ちがこみ上げてきた。
この気持ちをデリックに対してぶちまけようかとも考えたが、そうすると、どうして自分は女が嫌いなのかデリックに説明する羽目になりかねない。女嫌いの理由だけは、誰にも言えない。特に信心深いデリックには。オーランドは全力で感情を押さえつけた。
自分に結婚をすすめ続けるデリックをうとましく思い、オーランドは目を逸らした。海辺の畑の合間に立つ〈神の目〉を磨く子どもたちが見えた。春の訪れを告げるノーデンの港町の名物だ。〈神の目〉はその名の通り、神がお創りになった物だとオーランドは聞いていた。海に向かって沿岸に多く立っており、大砲のような形をしている。砲口に当たる部分にはガラスが埋め込まれ、そのガラスを通して神は人々を見ていると言われている。オーランドは〈神の目〉に対して敬意をこめて一礼した。港町が近づいてきた。デリックの小言はまだ続いていた。オーランドは老僕に、今日の仕事について思い出させることにした。
「そんなことより、今は教会の宿舎を焼いたという怪鳥の調査だ。領民の不安を取り除かねば」
数日前、海からとてつもなく大きな鳥が飛んできて、その鳥が教会の宿舎に何かを落としていった。その直後に炎が上がり、宿舎は全焼した。幸いにも延焼はしなかった。
「ですが、それは再建のためのお布施だけでよいのではありませんか?」
「一歩間違えば民家を焼いていた。直接調査する必要がある。しかも、あの鳥は悪魔だという噂が立っている」
「悪魔の仕業なら、人間にできる事は無いでしょう。でしゃばれば教会と衝突いたします。破門される可能性もあるのですよ?」
デリックは心配性だ。教会の火事について少し調べるだけなのに。オーランドは言ってやる。
「教会が悪魔に燃やされたのなら、教会は神の力で悪魔を追い払うことに失敗したということだ。そんなことはありえないだろう?」
「その通りです!」
「つまり、あの鳥は悪魔ではなくて、ただの生き物の可能性が高い。羊の群れを食らう狼を祈祷の力で追い払うことはできないのと同じだ」
「その通りでございます。次期領主様」
「自分にどれほどのことが出来るかは分からないが、生き物なら俺にも何とかなる。神の力になりたいことの、どこに神の家から破門される要素があるというんだ?」
「それは、そうですね。次期領主様」
信心深いデリックは黙った。
港町に着き、オーランドは厩に馬をつなぎ、街の大通りを歩いた。鳥の目撃証言を聞くことになっている集会所は、馬で入るのが難しい、細い道にある。
復活祭の前だからか、街は普段よりにぎやかだった。大通りに、声変わり前の少年たちのよく通る声が響く。
「チャリティバザーやってまーす!」
「幸運のお守りはいかがですかー!」
オーランドが声の方向を見ると、白い服を着た少年たちがいた。彼らは地面の上に白い布を広げて、黒っぽいガラクタを売っている。
「チャリティ?」
オーランドの疑問にデリックが答える。
「火事で焼け残った物を売っているようですな、神学校の生徒たちです」
「それが何で幸運のお守りなんだ」
近くにいた巻き毛の少年がオーランドに呼びかけた。
「火事でも焼けなかった小物でーす! きっと幸運を持ってきてくれますよ! いかがですか、次期領主様ー!」
オーランドは少年たちに近づいた。
「商売上手だな、お前たちは。神父より商人になったほうがいいんじゃないか」
巻き毛の少年は照れ笑った。
「僕、神学校を出たら身寄りがいないので……。旧世界の物みたいですが、不思議なだけで無害ですよ! いかがですか」
布の上には奇妙なものが並べられていた。今では作り方もわからないような細かい金属の細工物や、燃える水から生成したという火に溶ける石ころ。焼け残って当然だ、とオーランドは思う。その中に、オーランドの興味を引き付けたものがあった。
細い鎖がつけられた、親指の先ほどの小さな白い蛾。煤にまみれて黒っぽいものが多いなか、それは目立った。オーランドはそれを手に取った。
「何だこの蛾は、生きてるのか?」
少年は胸を張って答えた。
「それ、すごいでしょう、本物みたいに見えますけど、すごく硬いし燃えなかったので、たぶん作り物です。鎖は僕が選んだんです。白い蛾と銀色の鎖で、にあってるでしょう?」
「ふーむ……」
オーランドはペンダントをじっくりと眺める。触角の先から、足の一本一本まで、たしかによく出来ている。いったいどのような職人が作ったのだろうか。まるで万物の創造主たる神が手ずから作ったような美しさだ。鎖はよくある安い物だったが、なんとなく品があった。気に入った。オーランドは少年に聞く。
「いくらだ」
少年は嬉しそうに答えた。
「ありがとうございます! 五百ユードです!」
そうして、その白い蛾は細い鎖をつけられ、オーランドの首元にぶら下がることとなった。