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波濤を超えて

オーランドは海辺にいた。見知らぬ建物が、自分は夢の中にいると告げていた。


オーランドは雲一つない青空の下、海を背にして岸壁の手すりにもたれかかっていた。左手には煉瓦で舗装された公園が見え、右手には手前に淡いオレンジ色の、ちょっとした屋敷並みに大きいオレンジ色の立方体の建物が見え、海の方を見ると灰色の建物が立ち並んでいるのが見えた。視界の端に、右から女が走ってくるのが見えた。オーランドは逃げたかったが、体が動かなかった。




「――! お待たせ!」




名前のような物を叫び、女は近づいてくる。いつかの夢の時のように、オーランドの体は勝手に動いた。自分を呼んだ茶髪の女の方に足が動く。




「ハンナ、おなか、大丈夫なの?」




「出しちゃったから大丈夫! ささ、乗っちゃお?」




「そうだね。軍艦を見られるなんて、珍しい機会だしね」




「観光船の上からだけどね」




ハンナと呼ばれた女は、普通の人間より肌が黄色いような気がした。オーランドとハンナは、親しげに会話をしながら階段を下り、船着き場の人間に何やら紙を見せたあと、紺色の船体に白い屋根が付いた、帆も櫂も見当たらない船に乗り込んだ。船の中には黒い髪に黄色っぽい肌の人間がすし詰めになっていた。少し蒸し暑かった。




「二階に上りましょ。潮風が当たって、きっと気持ちいいわ」




「そうね」




階段を上り、屋根の上に出る。帆布の日よけの下の椅子に二人が座った時、ごおっ、と強風のような音がした。




『本日は、軍港めぐりに乗船いただき、誠にありがとうございます――』




どこからともなく男の声がする。二人はまた会話を始める。




「――、おめでとう。この秋からアメリカ留学でしょ?」




「うん。ハンナこそ、留学すると思ってた」




「アタシのパパはアメリカ人で、ママは日本とアメリカのダブルだけど、どっちもお金ないから。本土に留学なんてできないんだ。アタシ、奨学金で大学行ってるし」




「そうだったんだ! ハンナ、私より頭いいから、てっきり海軍士官の娘かなんかだと思ってた!」




「あはは。貧乏で、娯楽が図書館しかなかったからね。でも、暇な士官さんが勉強教えてくれたりしたから、普通の大学にも行けた。――が留学するんなら、ぜったい今の彼氏とゴールインして、本土で暮らしてやる!」




オーランドの脳裏に、自分を少し優男にしたような金髪の男のイメージが浮かんだ。ハンナ、いい人見つけたじゃん、という感想も勝手に湧いてきた。




「ああ、今回の旅行で泊めてくれた人ね。ハンサムだし、いいんじゃない? ハンナ、肉食系だね」




「カーラが勉強以外興味ないだけじゃん」




「私は……親が決めた人と、結婚するのが決まっているようなものだし」




「土地持ちのお嬢様も大変だねー」




意識が揺らぐ。




……――はイージス・アショアの発展形である。最大の相違点は、パラディオン・システムはミサイルの代わりに戦術高エネルギーレーザー砲を使用するほか、捕虜の処刑まで統括管制を行う。




意識が遠のく。また女たちの声と、くぐもった男の声が聞こえてくる。




『皆様、右手をご覧ください。いつもならこの埠頭にはセンスイカンが止まっていますが、なんと今日は、サセボからのお客さん、トーキョーが来ています! まるで道路が浮かんでいるかのような船で、ヘリコプターも乗っていますが、この船はクウボではありません、ワスプ級キョウシュウヨウリクカンの6番艦です。名前は、日本軍とアメリカ軍が戦った古戦場からきているそうです』




視界が右を向く。そこには、屋敷の上に大通りを載せたような灰色の物体が浮かんでいた。オーランドには、それが動くとは思えなかった。海の上にあるが、きっと海底につながっているに違いない。ボー、と長く腹の底に響く音がした。ざばざばと水がかき分けられる音が続いた。




『皆様、すぐ前方をご覧になってください! イージス艦グリーブスが、たった今出航しました!』




興奮した男の声。オーランドはハンナに手を引かれるまま立ち上がり、足元を見ながら船首へと走る。顏を上げたとき、彼は目を疑った。


灰色の櫓が、白煙を吐きながら海の上で動いている。二隻の櫓も帆もない曳船によってそれは引き出され、船らしい尖った船首を露わにした。続いて〈神の目〉に似た長い砲身と、角ばった砲塔が現れた。そして、八角形の大きな白い板が張り付いた、平面を傾斜させて組み合わせたような櫓が現れた。オーランドはその形に、強烈な既視感を覚えた。


再び、意識が揺らぐ。あの櫓は。まるで――。




……ノーデンに配備されたパラディオン・システムのコードネームは、ウリエルである。次に記すパスワードを詠唱して声紋を登録し、「願わくば/お願いウリエル」以下に命令を述べることで、口頭での管制も可能である。




「アセル城で一番高い塔の装飾だ!」




叫んで、オーランドは正気に戻った。なぜ地の底で、天高くそびえる塔について叫んだのかは分からなかった。声が反響して、ジンジンと頭のぶつけたところが痛んだ。


体の感覚を確認すると、彼は先ほど見た青い部屋の真ん中で、テーブルに向かって立っていた。無意識に立ち上がって進んでいて、その間白昼夢を見ていたようだ。


重みを感じて手に目をやると、彼は光る石板を持っていた。石版自体が光っているのではなく、そこに浮かび上がっている文字が光を放っているのだと気付くまで、しばらく時間がかかった。オーランドは文字列を読み上げた。




「ウリエル、神の御前に立つ四人の天使の一柱。神の光にして神の炎よ。裁きと預言の解説者よ。焔の剣を持ってエデンの園の門を守る智天使よ。懺悔の天使として現われ、神を冒瀆する者を永久の業火で焼き、不敬者を舌で吊り上げて火であぶり、地獄の罪人たちを苦しめる者よ。最後の審判の時には、地獄の門のかんぬきを折り、地上に投げつけて黄泉の国の門を開き、すべての魂を審判の席に座らせる者よ。我が声に答え給え……これが、ブリュンヒルドさんが言っていた祭文か?」




『わからないわ。私はキリスト教徒じゃなかったから知らないだけかもしれないけど、この祭文を見るのは初めてよ。その可能性は、高いと思う』




「頭が痛いから今日はこれで帰る。暇ができたらまた来よう」




『そうね』




オーランドは石版をテーブルに置いた。それから、誰にも見つかることなく地下室から自分の部屋まで戻った。


ニールが帰るまで暇なので、彼はオステン向けの親書に取り掛かった。




――親愛なるオステン領主様へ。妙なる音楽を奏でる楽器を神がノーデンへ授けましたが、我らにはその良さを十全に理解できるとは思えませんでしたので、地上で最も音楽の美を知悉している人物であるオステン領主様に差し上げることにいたしました。楽人一人でゼントラムの聖歌隊に勝るとも劣らない音色を奏でるこの楽器にご満足いただけましたなら、ノーデンとの境にある燃える水の泉を我々に下賜くださいますようお願い申し上げます。




概要を裏紙にまとめると、オーランドは領主同士に認められた最大限の謙譲語を使って手紙を清書しはじめた。ついでに全力で媚びへつらった世辞や、形式的な美辞麗句も大量に書き込んだため、清書の半ばでオーランドはぐったりしてしまった。少し休もう。ティーコージーからティーポットを取り出し、横にあったカップに黒糖を入れてから注ぐ。火傷しないようちびちびすする。疲れた頭と体に、黒糖の旨みが染み渡った。




『ねえ、この世界には黒糖しかないの?』




そういえば、この十年は黒糖ばかりだった。凶作のため、砂糖大根畑を麦畑に転用したままだったことをオーランドは思い出した。




「いや、白砂糖もあるぞ。今はノーデンでは作っていないが、砂糖大根を絞るんだ」




『砂糖大根があるなら、輪作でカブを作る代わりに、砂糖大根を作る畑を作った方がいいと思う。砂糖は貿易品になるから』




「そうだな」




あとで触れを出さねば。オーランドはメモにその由を書くと、再び親書に取り掛かった。




糖分補給のおかげか、巧言令色に満ちた仰々しい手紙は日が暮れる前に書きあがった。同時にニールも戻ってきた。ニールから宝箱の見積もりを聞こうとしたとき、オーランドの部屋のドアが激しくノックされた。




「何事だ」




「オーランド様に、来客です!」




下男だった。しかし、オーランドに誰かを招待した覚えはなかった。教会に蓄音機がばれたのか? 彼は身構えた。




「誰だ」




「夏に舟遊びをなさった時の船頭だそうです!」




飛行機の残骸を探しに行った時の漁師か。オーランドはほっとした。




「会おう。ここに通せ!」




「はい!」




下男に連れられ、漁師はすぐに部屋にやってきた。恐縮した様子で、ニールが差し出した椅子にも座らず、ミルクと黒糖たっぷりの紅茶にも手を付けない。彼はホルンを外した蓄音機くらいの箱を抱えていた。オーランドが漁師の顔色を窺うと、なれない場所で緊張しているというより、何かで憔悴しているように見えた。




「遠路はるばるご苦労であった。次期領主として命じる。椅子に座って紅茶を飲め。立たれたままだと、話しづらくてかなわん」




「は、はい」




漁師はやっと椅子に座り、紅茶を飲んだ。漁師が落ち着いた頃合を見計らい、オーランドはできるだけ穏やかに話した。




「どうして、このような激しい吹雪の中城までやってきたのか? 春まで待ってもいいだろうに」




「い、いえ、実は……勝手に、音が鳴る箱が流れ着いたんです。蓋を開けたら、聴いたこともないような音楽が流れるんです。それが……旧世界の物そっくりで。でも、どう見たって新品なんです。こんな箱を拾ったってばれたら、教会にばれたら家族全員縛り首……ならましです。村全員異端審問にかけられて、拷問されて地獄みたいな苦しみの末に死ぬかもしれねえんです。この箱の中身はオーランド様にもらった贈り物で、とても漁師の持ち物にはふさわしくないから返しに来たって言って、ここまで来たんです」




漁師は箱を差し出した。箱はぼろぼろの毛布に包まれ、中身が分からないようになっていた。オーランドが包みをほどくと、案の定ホルンがついていない蓄音機が顏を出した。




「よくやった。この箱は私の権限で処分しておく。他の者には、贈り物を取り換えたという話で通そう。勇気ある行動に対する恩賞として、お前に麦三か月分と、中品質の毛布を家族の人数分送ろう。家族は何人いたか?」




「嫁さんと、子供が4人です」




「6人家族か。今すぐに船に積み込んで、転覆する危険性はないな?」




「はい。沖まで出られる船ですし、この風ならベタ凪です」




「ニール! 貯蔵庫から麦三か月分と、毛布を六枚この漁師の船に積み込ませろ! 今すぐにだ。作業が終わったら呼びに来い。漁師を早く帰らせるぞ」




「はい!」




ニールは元気よく部屋を出ていった。オーランドは漁師を自分のベッドで仮眠させた。


 日が暮れるころ、荷物の積みこみは終わった。運よく雪は止み、皓々と満月が川面を照らしていた。




「これなら、夜明けまでに帰れます。次期領主様、本当に、本当にありがとうございました」




漁師は何度も何度も頭を下げ、城の船着場から去って行った。




『ねえ、さっきの箱、海を漂流してきたのに、綺麗すぎじゃない?』




オーランドが部屋に戻り、一人になった瞬間、カーラは口を開いた。オーランドは再び箱を手に取った。海藻も貝もついていない、ニスのかかった木箱に見えた。




「ああ。つまり、最近海に流されたものだろうな」




『やっぱり、海の向こうには旧世界の技術を保った人々がいるんだよ。今回は箱だったけど、船がやってきてもおかしくないよ』




「そうだな。案外、貿易ができるのもすぐかもしれん」




オーランドは寝床についた。出来事が凝縮された一日だったため、彼は夢のない深い眠りに落ちていった。



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