騎士と炭坑
雪が降り始め、誕生祭の頃に製糸工場は完成した。つぼの回転速度と糸枠の巻き取り速度の調整に多少てこずったが、百錘のガラ紡績機と、つぼに入れる梳毛を加工するための工房の二つからなる建物が無事完成した。
梳毛を加工するのは羊毛加工ギルドだが、ガラ紡績機に梳毛を足し、糸かせを回収するのは彼らではない。オーランドが集めてきた、路上で冬を過ごしていた物乞いである。工場の横の宿舎に住み、寝床と一般的な庶民の食事と、小遣い程度の賃金を報酬に彼らは働いている。
「オーランド様、貧民救済のための施設を作るのは素晴らしいのですが、貧民の救済は教会の仕事です。寄進なされては」
小言を言うデリックに、オーランドはあえて乱暴に答えた。
「デリック。俺はノーデンの飢饉対策のための金が必要だから、羊毛問屋が腐らせかけていた羊毛を買い上げて、糸が足りないウェステンと取引しようというのだ。そのための人手を、路上で遊んでいる連中に任せて何が悪い? 貧民救済ではない。ノーデンのための政策だ」
嘘は言っていない。貿易でもノーデンが豊かになれば、飢饉対策の手段が増える。デリックはしばらくの間ぶつぶつ言っていたが、無視し続けると黙った。
カーラはガラ紡の糸は品質が悪い、と言っていたが、手紡ぎの中品質の糸と全く変わらない、と糸問屋は太鼓判を押した。実際、ノーデンからウェステンに糸を輸出すると、ウェステンでは、ガラ紡糸にノーデンより10倍高い値がついた。ガラ紡糸は手紡ぎの糸の十分の一の値段で作れたので、実質百倍の利益と言える。
オーランドは工場で作った糸を自分の専売にしていたため、ガラ紡の効率性も相まって、あっという間に工場の建築費を回収し、着々とオステンの領主と取引するための素地を作っていった。
同時に、早織り機をウェステンから取り寄せ、構造を研究させていた。
星読みの報告によれば、今年の冬は特に厳しくなるらしい。今のうちに早織り機を量産し、毛布を大量生産して、安く領民に行きわたらせなければ。早織り機の構造の解析は終わったが、量産にはまだ時間がかかる。との報告を受け、オーランドは村落へ毛布を織るように、と達すると同時に、市場価格の四分の一の値でガラ紡糸の配布を行った。これで寒さをしのいでくれれば。オーランドは祈るしかなかった。
雪が薄く積もりは始めた頃、オーランドはアフェクに向かっていた。アフェクは山地で、麦畑に適していない、牧羊場として使われる丘陵と、鉱産物を隠す急峻な山々からできている。つまり、貿易で生計を立てている地域だ。ここから産する羊毛は工場の建設で重要性が高まったのは言うまでもないし、石炭はこれから先、部屋を暖める燃料として不可欠だ。次期領主直々に、視察しておく必要がある。
膝の痛みが悪化した現領主ローレンスの看病の為にデリックを城に残し、オーランドとニールは発った。
馬車は雪のヴェールを被った麦畑を通り過ぎ、船着き場に到着した。アフェクの城は川沿いにあるため、船で溯るのが一番早いのだ。アフェク市街は馬では通れない狭い通りばかりなので、オーランドとニールは徒歩でアフェク城へ向かった。いつも通りに真っ直ぐ進もうとしたオーランドを、ニールが呼び止めた。
「次期領主様、そこは直進よりも、左に曲がった方が城に早く着きますよ」
「そうか。詳しいんだな」
「アフェクは僕の、故郷なんです」
ニールはさみしそうに笑った。
「ちょうど僕らが5~6歳くらいの時に、アフェクで疫病が流行って、僕の親も死んじゃいました。怪しい呪術みたいな民間療法も跋扈して、それにハマって借金作っちゃったり、病気でお得意さんが死んで路頭に迷う人とか、たくさんいました」
雑談をしながらニールの案内に従って町を進むと、普段よりも早くアフェク城の正門についた。いつもなら日が傾くころに城に着くが、今日はまだ太陽が中天にある。オーランド達の姿を見て、召使たちは慌てているようだった。
「どうした? 出迎えの準備をするよう、手紙を送っていたはずだが?」
「次期領主様のための出迎えの準備はできておりますが……私どもの予想より非常に早くにいらっしゃったので、前アフェク女伯ブリュンヒルド様と、到着がかち合っております。そのため、今正面玄関が空いておりません」
「女伯? 女など、裏口から入れればいいではないか」
女伯とは伯位にある者の妻のことだ。選帝侯の跡継ぎの方が、通常は優先されるはずだ。
「田舎育ちの爺の子がよく吠えるわ。ゼントラム皇女とズーデン選帝侯の間の娘に、敬意が足りないのではなくて? オーランド」
悠々と正面玄関から鎧武者が降りてきた。兜の中から響く低い声と、女口調がやけにちぐはぐだった。皇女と選帝侯の間の子供は、女であろうと選帝侯同士の子の子供より優先される。女と関わりを持たなかったせいで忘れていた。オーランドはほぞをかんだ。しかも、それだけ良い家柄なら貴公子もより取り見取りだったろうに、このお姫様は何をトチ狂ったかノーデンのド田舎の貧乏領主に嫁いできた。息子が成人したのをきっかけに引退し、夫婦水いらずの生活を送っている、とオーランドは聞いていた。
「騎士殿、主君に無礼を働いたことを陳謝する」
鎧武者はおかしそうに笑い、兜をとった。艶やかな赤い前髪と、紅を引いた口を見た瞬間、オーランドは悪寒がした。鎧武者――ブリュンヒルドはくるりと後ろを向いた。
「ノーデン次期領主の気分を害したことについては謝ろう。過去の血筋がどうであれ、妾は貴殿の部下の妻である。則を越したことをした」
やはり、男のような低い声である。女の頭が鎧の上についていて、その上並みの男には扱えそうもない長槍を背負い、大剣を持っているのがオーランドには理解できなかった。ブリュンヒルドは部下に何事か指示すると、素早く立ち去って行った。
すぐにオーランドの出迎えの為に玄関は整えられ、先ほどの一件はまるで嘘のように消えてしまった。玄関での出迎えの後、オーランドは前領主シグルドの部屋に案内された。
「妻が無礼を働いたようだ。このようなことが無いよう、こちらからも言い聞かせておく」
「いえ、こちらも皇女の娘に取るべき礼をとれませんでしたし」
「あれは、生まれる性別を間違えたような女だ。男なら、今頃帝のお抱え騎士になっていただろう。昔は儂の方が強かったんだが、あれは若いころと全く力が変わらん。今となっては、アフェクであれに勝てる者はおらんよ。盗賊の鎮圧や狼狩りは、あれに任せている」
「オリヴィエではなく?」
「ああ。息子は大局的な視点で指揮をとるのはうまいが、実地でのとっさの判断はあれの方が早い。今はあれに、若い騎士の教育も任せている。兜をかぶって男口調で話せば、あれが女だと気付くものはおらん」
「たしかに……母と全く声が違います」
貞淑な妻にして母を演じていたが、夜になればその仮面を脱ぎ捨て、小鳥のようなこえで喘ぎながら獅子のように荒れ狂っていた女。昼か夜の違いはあるが、勇猛さは姉妹ともに変わらないようだ。しかし、美しいブロンドの髪だった母親と、燃えるような赤毛のブリュンヒルドが姉妹というのは、違和感があった。
「ああ。フレーデグンデ殿か」
その瞬間、影がシグルドの瞳をよぎった。
「あれからは、母親が違うと聞いている。あれの母親は皇女だが、フレーデグンデ殿は前ズーデン公第二夫人の、身分は低いが美貌と体つき、声に優れる歌姫だったらしい。自分は家柄、フレーデグンデ殿は美貌を売り物に、前ズーデン公は皇室へ自分たちを入れようとしたらしい、と聞いている。すべてご破算にできて清々している、とも。まあ、あれは破天荒な女だが、怒らせない限り、きちんと礼は心得ている申し分のない貴婦人で、武芸の心得もある儂には過ぎた女さ。そっとしておいてくれ。さて、本題を聞こうか」
「あの、オリヴィエはどこに」
シグルドの惚気を聞きに来たわけではないのだ。現領主から話を聞かないと何も始まらない。オーランドはシグルドがオリヴィエを呼んでくれることを期待した。しかし、シグルドの口からは衝撃的な事実が飛び出した。
「息子なら、ここから三日かかるところの炭鉱にいるぞ? なんでも、蒸気を使ったくみ上げポンプを開発した炭鉱夫がいるとか何とかで、おととい視察に出たからしばらく帰って来んぞ?」
『もしかして、蒸気機関?』
カーラが呟いた。蒸気機関と言えば、紡績機の動力源になる機械だ。ぜひ見に行かねば。オーランドは身を乗り出した。
「どこですか?! 私も行きます」
「待ちたまえ。オリヴィエが居る炭鉱へは、特に険しい山々を抜けていく必要がある。しかも今は冬だ。専用の装備を準備するのには一日かかる。今日はここに泊まってくだされ。明日の昼には発てるようにする」
「ありがとうございます」
「本題だが、次期領主殿は羊の具合と――」
シグルドの話をまとめると、羊の生育は問題ないが、寒波で凍死する可能性を考えるとどうなるかは春にならないと分からない。炭鉱については、冬に備えて炭鉱の採掘を拡大した結果、水脈を掘り当てる鉱山が続出し、対策に追われているとのことだった。そのためアフェク現領主オリヴィエはほとんどの政務をシグルドに任せ、鉱山を飛び回る生活をしているそうだ。
『なんだか、一気に物事が進んでる……怖いくらいに』
カーラの呟きは、シグルドとオーランドの熱の入った打ち合わせにかき消された。




