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予兆

見慣れない部屋の中にオーランドはいた。オーランドはどうやら草で編まれた絨毯の上にひざまずいていると、足と腕の感覚から推測した。





「――参りました。――に行ってまいります。お父様」





オーランドの意志と関係なく口が動く。





「来たか。お前は――家の跡取りだ。先祖代々の財産で勉強させて頂いていることをゆめゆめ忘れるな。――の身で学問をする以上は、蚕に無害な、桑に使える肥料や農薬を開発し、特許を取って来い。並みの男に負けることは、許さぬ」





渋い男の声が聞こえた。どうやら自分は家長の前にひざまずいているらしい。





「はい。お父様。実家を離れても、お家のため努力いたします」





「あれには挨拶せずに発て。あれは――の癖に、儂に楯突きおった。お前が発つとなれば、座敷牢にお前を入れかねん。行け」





「はい。お父様。行ってまいります」





オーランドは頭を上げ、奥にいる人物と顔を合わせないように立ち上がる。すり足で部屋を退出し、白い引き戸を閉める。




そして廊下を数歩歩いた先にある急な階段を上り、その先の部屋の戸を開ける。雨が降っているようなざわざわという音がする。天井から床までびっしりと棚が取り付けられ、その一つ一つに引き出しのような箱が置かれている。オーランドは手近の一つを覗こうとして――。





「次期領主様? 次期領主様?」





「……ああ。寝てしまっていた、か」





ニールが、執務机で寝落ちしていたオーランドに紅茶を差し出してきた。この数ヶ月で、オーランドの身の回りの世話が板についてきた。





「次期領主様、お茶です。ベッドで休まれてはいかがですか」





「ああ、まあ、少し……少しな」





暖炉で暖められた部屋とはいえ、木々が色づき、雪の気配がするこの頃にはありがたい。オーランドは紅茶をすすった。ズーデン産の黒糖の甘みが、疲れた体に染み渡った。





「その、次期領主様は最近いっそうお仕事に励まれていますが、どうしたのですか?」





オーランドは言いよどんだ。





「その、なんというか……この領地を少しでも価値のある、取引のしがいがあるものにしておきたいんだ」





「取引? オステンやウェステンの領主様と何かするのですか?」





ニールは、ノーデンと接している領地の名を挙げた。





「そういうわけではないんだが……」





「え、じゃあまさかセントラル……王様と!?」





「いや、だからそういう次元の話じゃない」





「?」





首を傾げるニールに、オーランドは言った。





「まあ、手始めに領地同士の貿易を考えるのも良いかもな。何か珍しい物を見聞きしたら教えてくれ、意外と価値があるかもしれん」





「珍しいもの……あっ」





「何だ?」





オーランドが促すと、ニールは堰を切ったように話し始めた。





「あの、ハーヴィ……パーキンスのこと覚えてらっしゃいますか」





「お前の友達だったな、どうした?」





「この間、手紙をもらいまして、燃える水の泉を見たそうなんです、パーソン異端審問官様のお付きでイースタンに行く途中に」





『石油!』





カーラの声を聞くと同時に、オーランドは椅子から立ち上がりかけた。





資源のうちの一つ。船の燃料とやらになるもの。……特に重要だとカーラが言ったもの。





「どこだ? その泉は、どこにあると書いてあった?」





目の色を変えたオーランドを見て、ニールは慌てだした。





「あ、あの、ちゃんとした場所が書いてあったわけじゃなくて、パーソン様も臭いだけだから触るなとおっしゃっていたそうで、それに……」





「大体の場所がわかれば、人をやって探す。どこだ」





ニールは目を泳がせていたが、やがて言った。





「オステンとノーデンの、ちょうど境の所、だそうです……だから、次期領主様と言っても、自由にすることは難しいかも……」





「……そうか」





オーランドは額に手を当てた。





国の外との取引を考える前に、どうやら国の中での取引を考えなくてはならないらしい。





しかし、成功すれば……。





「……カレー、コーヒー、チョコレート、か」





……食べさせてやることは、出来ないけれど。




オーランドの物思いは、ニールの心配そうな声で終わりを告げた。





「次期領主様? やっぱりお休みになった方がよろしいのでは? あと、手紙にウェステンで糸が高騰しているって書いてありました。布の早織りができる織り機が発明されて、ウェステン領主の命令で布を量産して、あちこちに売っていたら、糸が足りなくなったそうです」





「本当か?!」





オーランドは色めきだった。糸の取引がうまくいき、富を得られたならばオステンの領主との取引成功の可能性が高まる。オステンの領主は猫と音楽にしか興味がない――裏返せば、その二つに対しては、聖書の聖人や賢者も真っ青なほどの知識と、経験がある。つまり、珍しい毛色や鳴き声かつ、血統のいい猫を送るか、ゼントラム帝の楽団に勝るとも劣らない超一流の楽師を紹介しなければ、交渉のテーブルにすらやってこないのだ。そのためには言うまでもないが――金が要る。





「そうか。それなら、糸商人に話を通さねばな。あと、ウェステンの早織り機も取り寄せねば」





「しかし……次期領主様、商人は男ですが、糸をつむいで織るのは女です。どこかで職工と話をしなければならないことになると思いますが、大丈夫ですか?


オーランドは額に右の掌をたたきつけた。しまった。考えていなかった。羊毛を洗ってほぐし、揃えてから糸車にかけ、糸の太さまで引き伸ばすとともに、撚りをかけて糸を紡いでいくところまでは知っていた。しかし、それをするのが女だったとは。盲点だった。





「……善処しよう。ニール、お茶をありがとう。下がっていい。お前も一服してこい」





「ありがとうございます!」






*******************************************************************************





ニールが部屋から出るや否や、オーランドは蛾をつついた。





『はいはい、なにか御用ですか? 次期領主様』





まったくしょうがない、といった風のカーラの声に、オーランドは勢いよくまくし立てた。





「旧世界には、女なしで糸を作れる機械はないのか? すぐに作るための方法を教えてくれ!」





『……私も詳しくは分からない。でも、機械だけで糸を作ってたよ。電気とか蒸気機関で糸車を回す機械があって、紡績機って呼ばれてた』





「分かった。水車で糸車を回せばいいんだな!」





オーランドは勢いよく立ち上がった。今にも思い付きを実行に移さんばかりだ。カーラは冷静に彼をたしなめる。





『待って。タダの糸車じゃないの。いまから教えるわ』





「しかし、水車は疲れ知らずだ。女の腕と違って」





『糸車なら、結局女性が糸を繰り続けなきゃいけないじゃない。もっと効率的なものがあるの。設計図を描いて欲しいから、座って』





「ああ」





オーランドが再び腰かけて裏紙とペンを用意し、カーラの指示に従うと、一時間ほどで不思議な絵が描きあがった。






https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=70799410






「なんだこれは」





『ガラ紡績機。回転する綿から直接糸を紡いで、天秤機構によって撚り掛けと引き伸ばしを自動制御するの。でも、洋式紡績機より均質な糸の紡出が難しいという欠点があるの』





「仕組みはどうなっているんだ? どうやって糸をつむぐんだ?」





『運転がはじまると、回転するつぼと「上コロ」が回す糸枠の張力によって、つぼ内の綿の表面では繊維が引き伸ばされて、撚り掛けされながら糸を紡ぎ出すの。つぼの回転速度は糸枠の巻き取り速度よりちょっと早く設定するの。だから、撚りが強くなり天秤のバランスがくずれて、つぼごと引上げられることになり、羽根がはずれてつぼの回転が止まるの。この間も巻き取りによる引き伸ばしが行われるから、撚りがあまくなってつぼは下降し、再び羽根が接触すると撚り掛けが行われるの』





「洋式紡績機を作るとしたらどうなるんだ?」





『詳しくは知らないわ。知っている範囲を話すと、ミュールやリングといった洋式紡績機の精紡法は、紡錘による撚り掛け引き伸ばしか、回転速度の異なるローラーによる引き伸ばしと撚り掛けといった方法をとるの。いずれの場合も、精紡するためには混打綿から粗紡までの前工程で多くの機械を通して粗糸そしをつくる必要があったの。このため工場の規模は大きくしないといけなかったの』





随分難しそうだ。カーラが説明してくれたガラ紡績機を作るのが最適解のようだ。





「そうか。なら、川沿いの別荘でも潰して、製糸工場を作らせるか」





『別荘?! どこにあるの?』





「アッコの港町のはずれだ」





『港? 海じゃなくて、川沿いにあるの?』





「お前を買ってからは行っていなかったな。ゼントラムから流れ出る大河がある。その向こう岸だ」





『そう。でも、買ったっていう言い方はやめて。水商売みたいだから』





「……そうか。すまなかった」





そういえば。オーランドはふと思った。娼婦という仕事が成り立つのは、女との一晩を買う男が数多くいるからだ。オーランドには彼らの感覚がまったく理解できなかったが、なんとなくそのことが思い浮かんだ。





「書類整理がひと段落ついたら、飛脚屋に行って来よう。あの屋敷は母親が死んでから、放置されたままだ。多少片付けなければ、草ぼうぼうで入れやしない」





オーランドは設計図を片付け、さらさらとその旨を手紙に書いて封筒に入れ、封蝋を終わらせ、立ち上がって上着を羽織った。呼び鈴を鳴らしてニールを呼ぶ。





『お母さんって……もう亡くなってるの? 姿を見ないとは思ったけど』





「ああ。十年前に、馬から落ちて死んだ。馬が暴れて振り落されて、引きずられた上に踏まれて、酷い様子だった、と聞いている」





息子にも欲情する女の末路にはふさわしい、とオーランドは思っている。カーラはおずおずと聞いた。





『助けたりは、できなかったの?』





そう思うのも道理だ。カーラは母が自分に何をしたのかも知らないし、母がどこで死んだのかも知らない。





「アフェクの城の近くで死んだらしい。母親の姉で、アフェク領主の妻になったブリュンヒルドさんのところに遊びに行った帰りに、馬が蜂に刺されて暴れたらしい。遺体の損傷が激しかったという理由で、ここ領都アセルの城に運ばれてから埋葬されるまで、棺の蓋は開けられなかったからな。死因も分からん。案外、蜂に刺されたのは母親だったかも知らん」





『そう……お悔やみを申し上げるわ』





「……ありがとう」





気まずい時間は永遠に続くかと思われたが、ニールがやってきてすくに霧散した。オーランドは手紙といくらかの金銭を持って城下町に行った。飛脚屋に行くまでの道のりは、いつもよりきれいに見えた。





「物乞いが減りましたね。豊かになった証拠でしょうか」





「いや……寒さのせいで死んだのかもしれん。物乞いについては教会の慈善行動に任せているからな。俺は把握していない」





『何か領主の方でできないの?』





カーラの声。否の意味で首飾りを1度つつく。オーランドは独り言のようにいう。





「一定額を貧民援助用に寄付はしている。しかしその取り組みが具体的にはどうなっているかはわからん」





その言葉に、ニールが勢いよく応えた。





「きっと大丈夫ですよ! 次期領主様。きっと援助のおかげで、物乞いたちは教会の妊婦としての仕事を得て、家の中で温かい食事にありついていますよ!」





「神学校出身のお前が言うなら、間違いはないな」





「はい!」





そうこうしているうちに飛脚屋につき、オーランドは領内担当の飛脚のテーブルへ進んだ。飛脚を一人呼び止めて、届け先を伝え、手紙と規定の料金を渡す。すぐに彼は西へと向かっていった。





『ずいぶんにぎやかね。どこまで物を届けられるの?』





帰りがけにカーラが呟いた。オーランドは壁の料金表を確認した。





「領内、オステン……国中どこでも。料金は変わるが」





『そう。ありがとう』





オーランドは、数年後カーラに飛脚の存在を教えたことを、後悔することになる。








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