知識
その寝物語は、今のオーランドにはたわいのないものに思えた。
『眠れるまで、旧世界の便利な物の話をすればいいのね?』
「ああ」
『んー、例えば、自動ドアとか? 大学は手を使わずに開けられるように、実験室がある建物には自動ドアがついてる。公的研究機関も』
「それは勝手に開くのか?紐でドアを内側に引っ張るのか?」
『勝手に開くよ。人が近づいたらスライドするドアなの。ノーデンにある押し戸じゃなくて、ガラスや金属の板を、床に埋め込んだ凹んだ溝に乗せて滑らせるの。役所や軍事施設でもよく見たわ』
「ドアを開けさせるために下男でも置けば、そんな絡繰を置くより、安く上がるような気がするのだが……」
『んー、技術って、人間が楽に楽しく暮らすために発展したものだからね。私の……実家の近くにあった軍事施設は、ノーデンの城よりも多くの人が出入りしてたから、人力じゃドアの開け閉めが追いつかなかった気もするわ』
「……たしかに、大人数はさばけないな。そうだ。楽しく暮らすといえば、旧時代の娯楽はどんなものがあった?」
『んー、読書してたのは変わらないかな。テレビ見たりとか。テレビっていうのは、電波を動画に変換して画面に映す……あそこの窓くらいの、動く絵が映る板が付いた箱の事ね。レンガくらいの薄さのものが、私が大学入った頃には主力になってたかな。豪腕ダッシュとかをレンチンであっためたスコーンと紅茶食べながら見るの、好きだったなー』
「レンチンとは何だ?」
『あー、電子レンジで物を温める事よ。電子レンジっていう、特殊な電波で物を温められる一抱えくらいの箱があって、温め時間をセットするの。時間が経ったら、チンって音がなる仕掛けになってるから、レンチンって言うの』
「娯楽はよくわかった。じゃあ、仕事には何を使っていたんだ? 例えば……書類を書いたりとか」
『物を書くのに使ってたのはパソコンね。文字を打ってプリンターで印刷するの』
「パソコンに文字を書くのか?」
『あー、説明足りなかったわね。パソコンは画面とキーボード、っていう文字の書かれた板からできてる。キーボードにはデタラメにアルファベットや数字が並んでるから、タイピングは慣れないと打ちづらいわ』
「どうして並びがデタラメになったんだ?」
『さあ? 使いやすいように考えて作られたはずだったんだけど、七面倒くさい並びだと分かっても、新たに考えるのが面倒だったんじゃないかしら。私もよく知らないの』
「そうか……おやすみ」
『おやすみなさい』
オーランドは目を閉じた。久しぶりに悪夢を見なかった。
自分の城に帰ってから、オーランドはとたんに忙しくなった。出来ることからやっていくしかない。出来ることからこの国を豊かにしていくしかない。
各村の村長に新しい農法を始めるように触れを出し、説得する。
休耕地に出来る限りクローバーを蒔かせる。
休耕地に植えるカブの種やじゃがいもの種芋を仕入れさせる。
そうこうしているうちに夏も終わりに近づいていた。ニールの未来が決まる賭けの時まで、もうすぐだ。城下の街から林道を抜けて、少し馬を走らせた所に教会直営の畑はある。行こうと思えば、すぐ行ける。
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城下町の教会直営の畑を管理するデズモンドは、次期領主の不可解な行動の数々に首をひねっていた。
そろそろ麦を撒こうかと思っていた秋のある日、次期領主がいきなり畑にやって来た。
「悪いが、これからしばらく……麦の芽が育つ頃まで、俺の言うとおりに畑の管理をしてくれ。ここの神父と少し賭けをしてな。これから蒔く麦の芽が腐らなかったら、俺の勝ちなんだ」
と言い出した日から、全ては始まった。
前作の残りの麦わらを集めて焼けというのはまだわからなくもなかった。灰はいい肥料になるからだ。しかし、焼いた石灰と銅の顔料を同じ重さずつ量りとれと言われたり、量り取ったその二つを別々に水に溶かした後、五百倍の重さの水で薄めてから合わせろと言われたりしたあたりで妙だと思うようになった。果ては、そうして出来た真っ青な液体に、蒔くためにとっておいた麦を浸せというのだ。
「麦がおかしくなっちまいますよ、次期領主様」
さすがにデズモンドは次期領主にそう言ったが、
「麦の芽が出るまでは俺の言うとおりにしてくれ。そうだ、今日、道具屋から調達した骨の削り屑が届くから、麦を蒔くついでに、畑にそれを撒いてくれ」
と、さらにわけの分からない返事が返ってきた。
首をひねりながらも、デズモンドは言われたとおりにした。しかし、その効果はまったく信じていなかった。今作もどうせ腐って、大半が駄目になるに決まっている。
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教会直営の畑から帰った夜、オーランドは不思議な夢を見た。目覚めた時には何が何だかわからなくなっていたが、旧世界の物を見たような気がしていた。
――はい。お父様。実家を離れても、お家のための努力いたします。
他の事はさっぱり思い出せなくなっていたが、なぜかそう言う女の声が一日中脳裏にこびりついて離れなかった。
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半月後。
青々とした芽が茂る麦畑を前に、オーランドは神父へ宣言した。
「では、このニール・エイミスはこちらに引き取らせてもらおう」
神父は、信じられないという目で目の前の畑を見ていた。ニールも目を丸くしていた。そんなニールを、着いてきたハーヴィーが小突いた。
「ほら、もっと嬉しそうな顔しろよ! 今日からお前、次期領主様の側仕えなんだぜ!」
畑の管理をしている男が、それは嬉しそうにオーランドに言った。
「この畑に、こんなに健康な芽が育つなんて、ここ何年もなかった事ですよ! 一体どんな奇跡を使ったので?」
オーランドは答えた。
「奇跡も何も、麦を消毒したのはお前だろう」
「あっしは、ただ次期領主様の言うとおりにしただけです」
「俺も言われた通りやっただけだがな」
「へ? どなたに言われたので?」
「いや……何でもない」
オーランドは頭を掻いてごまかした。
「それよりもだ、うまく行けば、この麦畑はよその麦畑よりよく育つぞ。一緒に蒔いた骨の削り屑が効けばな」
「へえ!? あれにはそんな効果があったので!?」
「あるらしい。ここがうまく行けば、よその畑でも試させるつもりだ」
オーランドは胸元の白い蛾に触れた。
数年後には、道具屋から出る骨の削り屑は、ごみから一転して高値で取引されるようになり、取り合う農家たちの扱いに四苦八苦するとは、オーランドは知る由もない。




