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別れと出会い

五月に入り、麦が穂を出し始めた頃、妹の訃報が届いた。忙しさを理由に結局生きているうちに会えなかったことに申し訳なさを感じる一方、女に会わずに済んでオーランドはほっとしていた。彼女の葬儀はハロシェテの教会で行われるそうだ。オーランドはデリックを伴い、馬を走らせて葬儀の前日にハロシェテ伯の居館に赴いた。





「ずいぶん久しぶりだな。オーランド。まさか乳兄弟の俺の顔を忘れたってわけじゃないだろうな?」





ハロシェテ伯ルーシ・デレヴリャーネは悪戯っぽくオーランドを迎えた。




「単に忙しかっただけだ。デカい鳥がやってきて教会を焼いたり、麦の出来を見て回ったりな。アホみてえに忙しかったんだからな」





「お疲れさん。まあ、馬はうちの者に任せて二人で語り明かそうや。嫁さんに部屋を準備させてある。デリックにも別の部屋を用意してある。うちの召使の指示に従うように。従妹の葬儀でバタバタしてるんで、大したおもてなしはできないがゆっくりしてくれ」





「わたくしもお手伝い致しましょうか?」





デリックの申し出に、ルーシは首を横に振った。





「手伝いは要らん。デリックの能力を信用してないわけじゃないが、屋敷の勝手が分かってないものに動かれても迷惑だし、何より身分に関わらず、お客様を働かせるなんてデレヴリャーネ家末代までの汚名だ。どうせオーランドの野郎にこき使われてんだろう? 死んだ親父と同年代なんだし、今夜はのんびりしてくれや」





「承知しました」





デリックが廊下の奥に消えたことを確認して、ルーシは歩き始めた。





「ルーシ、そっちはお前の部屋とは反対方向じゃなかったか?」





「ああ。だからだ。デリックの知らない部屋で話すぞ」





ルーシは入り組んだ廊下を通り抜け、オーランドが今まで入った事のない場所へ連れて行った。





「おい、ここは奥方が使う屋敷の主人以外男子禁制の場所じゃないか?」





「だからどうした? 密談にはぴったりだろう」





「香水と女くさい! 場所変えてくれ!」





「会談場所はそうじゃなくしてある。ちょっと我慢してくれ……ほら、ここだ」





ルーシに案内された部屋は、彼の言葉通り書物と、テーブルに活けられたバラのにおいしかしなかった。オーランドはわざとらしいほど深呼吸した。




「あー生き返る。というか、こんな部屋、あったか?」





「嫁さんを貰ってから増築したんだよ。ほら、俺の嫁、お前が断ったゼントラム皇女様だぜ? ゆっくり読書できる図書室がほしいと言われたら、作らないわけにいかんだろ」





「……そうか」





「あのお姫様も物好きだぜ。ズーデン次期領主との縁談もあったのに、ノーデンの田園風景が好きだからノーデン以外には嫁がないってダダこねてさ。オーランド、お前のおかげで俺は美人の嫁さんもらえてよかったぜ。案外気さくで面白い嫁さんだぜ」





「夫婦仲も、良いようだな」





オーランドは絵本を手に取った。細密な絵柄で、ノアの方舟に載せられた動物たちがいきいきと描かれていた。何度も読み聞かせたらしく、ページの隅が擦り切れている。





「まあな。立ち話もなんだから座れや」





ルーシはテーブルから椅子を引き、どかりと座った。オーランドも彼の向かいに腰掛ける。





「本題に入るぞ。お前、どうして直属の部下を置かない? 本来なら俺がお前の腹心として活動すべきなんだが、お前のオカンに追い出されたせいでダメになってんだぞ。この意味、分かってんのか?」





「……デリックがいるだろう」





ルーシは大きなため息をついた。





「あー、分かってねえー。ローレンス様も質実剛健すぎだしな……」





「何が言いたい」





苛立ったオーランドに対し、ルーシは先ほどまでの調子の良さを消した。





「お前、ゼントラムとのパイプがないんだよ。考えてみろ。凶作が続いて、お前の城の備蓄を吐き出しても足らなくなったら、ゼントラムに頼るしかないだろ? でも、凶作はどこも一緒だ。ゼントラム帝としては、仲のいい奴から支援したい、ってなるんだよ。しかもノーデンはここ十年は凶作だが、穀倉地帯と十分言える。ゼントラム帝の命令で、ノーデンの民から麦を搾り取って、ほかの地域に回さなければならなくなる事態もありえるぞ。今からでも遅くねえ。コネを作っておくんだ」





「善処する」





「あとお前、いい加減に嫁を貰えよ。跡継ぎだけじゃない。次期ゼントラム帝のお妃を差し出すのも選帝侯の義務だ。赤ん坊が生まれたとしても、7つにならないうちに死んだり、出血で嫁さんが死んでしまったりもあり得るぞ。嫁を4人貰って仕込みまくるのも仕事の内だぞ」





「……そんな言い方、やめろ。苦手だ」





母親のみならず、さらに4人の女に体を弄ばれると考えるだけで、オーランドは吐きそうだった。ルーシは目をそらした。





「悪かった。だがお前、変わったな。5つになって俺たちが城を追い出されるまで、お前は普通に俺のオカンのオッパイ揉んでげんこつ喰らったり、かわいい女の子のスカートめくってげんこつ喰らったり、ヒツジに炭でゴン太眉毛書いてげんこつ喰らったりしてたよな」





「……成長したんだよ、俺も」





「お前が女嫌いだって聞いたときは、単に変な女に引っかかって散々貢がされたのかと思ったんだよ。だがお前、前遊びに来た時に俺のオカンを見ただけでガタガタ震えだしたじゃねえか。オカンで悪寒が止まらない、って状況だったじゃねえか。深くは聞かないが、酷い目にあったな」





「……そうだな」





自分をやさしく抱いて乳を与えてくれたという思い出そのものが、オーランドにとっては恐怖だった。その柔らかさが夜になれば猛獣になる。そう考えると、骨から滲み出すような怖気に震えるしかないのだ。





「本題に戻るぞ。お前、さっさと従僕を作れ。10人くらい。半分は自分の身の回りの世話させて、残りは遊学とかの理由つけてゼントラムに送って、ゼントラム中枢とコネを作るんだ」





「デリックに話を通しておく」





「それだけはやめろ!」





ルーシは怒鳴った。





「デリックはローレンス様の従僕だ。ローレンス様は公明正大な方だから、こういった類の薄暗い政治術を好まれない。あと……デリックはお前をリーダーとして信頼していない」





「デリックは俺の忠実な召使だ!」





「いや。あいつ、ローレンス様には俺の手紙を見せたのに、お前には手紙を見せなかった。次期ゼントラル帝皇后候補のオリガ公女の見舞いは、次期領主の公務だ。それなのにデリックはお前が女嫌いだからその手紙を握りつぶした。本当に忠実な召使は、主人が嫌がっても公務をやらせるものだ。自分の主人が舐められて、よその領主に倒されないようにな。そもそも、召使には主人に届いた手紙をすべて届ける義務がある。デリックがぞの義務を怠ったという事は、情報を判断して指揮をとるのはお前じゃなくて、デリック自身だと思ってることなんだよ。この話はデリックにはするな。逆恨みで本当に裏切るかもしれない」





「分かった。適当に人を選んでおく」





「人選に困ったら俺に言え。すぐ手配してやる。そろそろ晩飯ができるころだ。お前の部屋は子供時代と変わらん。場所はわかるな?」





「ああ」





「じゃあ、またな」





「また夕飯」





ルーシとの密談を終え、オーランドは部屋を出た。見知った廊下に戻った時、後ろから声がかかった。





「次期領主様!」





オーランドが後ろを振り返ると、少年が二人いた。聖職者しか身に着けられない貴重な白い絹をあしらったその衣装は、領地内からよりすぐった声の聖歌隊の少年たち、ほんのわずかな間しかその歌声を発揮できない少年たちにのみ許されるものだった。





つり目の少年が名乗った。





「あのっ、次期領主様、俺、ハーヴィー・パーキンズと言います。こっちはニール・エイミスです」





少年二人のうち、声をかけてきたのはつり目の少年らしかった。もう片方、うつむきがちにつり目の少年の影に隠れている巻き毛の少年に、オーランドは見覚えがあった。





「お前、俺にお守りを売りつけた子供じゃないか。あれは役に立っているぞ。あの時の元気の良さはどうした」





『わーい、私お役立ちー!』





カーラの声が聞こえたが、オーランドは無視した。巻き毛の少年は、何か思い悩んでいるように、さらにうつむいてしまった。





「あの……その……」





巻き毛の少年は、うつむいたまま、つり目の少年の袖を引っ張った。





「やっぱりいいよハーヴィー、次期領主様にご迷惑かけちゃ……」





「何言ってるんだ、決心つかずに毎日べそべそしてる奴が。もう次期領主様に頼るしかないだろ」





オーランドは首を傾げた。





「どうした、何の用だ?」





つり目の少年は、意を決したように言った。





「あのっ、次期領主様は神父様よりえらいですよね!?」





「は?」





質問の意図がつかめない。オーランドはさらに首を傾げたが、一応こう答えた。





「今は俺が領主としての務めをしているが、現領主はまだ俺の父親のローレンス・ガーティンだ」





「そっ、それでも次期領主様のほうが神父様よりえらいですよね!?」





「神父になにかあるのか?」





つり目の少年が何か言おうとした時、屋敷にある鐘が鳴った。オーランドは言った。





「ほら、夕食の時間だ、お前たち、早く行かないと遅れるぞ」





「……はい……失礼しました」





つり目の少年はまだ何か言いたげだったが、オーランドに向かって一礼し、巻き毛の少年を促してもと来た方へ駆けて行った。






*******************************************************************************




オーランドは夕食はたわいのない会話を楽しみ、翌朝、部屋に運ばれてきた朝食を食べ、デリックと合流して教会に向かった。教会はハモンとの境にあり、馬で行く必要があった。行列の先頭を妹の棺を積んだ馬車が進み、その後ろに神父と聖歌隊が乗った馬車がゆく。そのあとからルーシやルーシの母、妹の母親が馬に乗って続く。最後尾あたりにオーランドはデリックと続いた。





心配症の老人は、馬に乗った段階から、すでに気を揉んでいた。





「オーランド様、くれぐれも神父様と揉めませぬよう」





「俺は揉める気はない。俺のすることに文句をつけるのは、だいたい教会の方だ」





「しかし……」





デリックが何事か言おうとしたとき、聖歌隊が歌いだした。







光なる君の 共に在しまさば 





眼を暗ます 暗闇はあらじ





御助けあらずば 生き行く術





主 共に在さずば 死は実に恐ろし





乏しきを富まし 悩むを慰め





病めるを安けく 憩わしめ給え







独唱の節になり、ひときわ澄み渡るような歌声が響いた。







目を覚ますごとに まず恵み給え





永久の朝 目覚むる時まで







カーラが囁くように言った。





『あ、あの子、さっきの子じゃない?』





独唱しているのは、昨晩の巻き毛の少年、ニールだった。たいして音楽には詳しくないオーランドが聞いても、よく通る素晴らしい歌声だった。




教会に着くと、棺は馬車から降ろされて聖職者の手で教会の中へ運ばれた。女性が最初で最後に教会に入る場面だ。馬から降りたルーシの母や他の親族の女性も、教会に入らず外の芝生に置かれた椅子に座っている。




聖書は、男の頭は神であり、女の頭は男であると教える。故に男は神の家たる教会に行く義務があるが、女は男の家で男の話を聞いていればいい、教会に入り聖職者を惑わす女は悪魔の手先だーーという理由で、女性が教会に入る事は禁じられている。




しかし、女も男も一度死んでしまえば人間にはどうしようもない。神の慈悲を乞い、神の国へ迎えてもらえるよう教会でミサを開く事しか出来ないのだ。教会とのいざこざとは無縁なのは羨ましい、とオーランドは思った。





巻き毛の少年の見せ場は、葬儀の最中にもあった。





神ともにいまして 行く道を守り




天の御糧もて 力を与えませ




また会う日まで また会う日まで




神の守り 汝が身を離れざれ








荒れ野を行くときも 嵐吹くときも




行く手を示して 絶えず導きませ




また会う日まで また会う日まで




神の守り 汝が身を離れざれ





歌いだしの一行を冬の青空のような澄みきった声で歌い、そのあとに聖歌隊が続いたが、彼の独唱の方がオーランドには美しく聞こえた。女の葬式に出なければならないと決まった時には憂鬱だったが、美しい歌声に出会えてよかった。不謹慎にそう思ってしまうほどの魅惑の美声だった。




妹との永久の別れを惜しむだけで終わればよかったのだが、憂鬱なのは葬儀が終わってからの後のことだった。妹の葬儀を行った神父は中央協会と近しい。中央教会の呼び出しを断ったせいで、今度は彼を通して文句を言われるのだろう。





案の定、葬儀が終わって人が去り始めた頃、神父がオーランドに近づいてきた。





「次期領主様、領地の視察に熱心で、領民の声を聞いてくださるのは、大変結構なことですが、教会の意向も聞いていただきませんとな。港で何か変わった物が見つかれば、すぐ中央協会に持ってくるようにと早馬が来ております」





「聖書には、変わったものを教会に捧げよとは書いていないがな」





デリックがとりなそうとするのをよそに、オーランドと神父は、しばらく睨み合った。やがて神父が目を逸して言った。





「……まあ、変わったものが見つからなければ、それでよろしいのですが。平穏無事が何よりです」





「ところで、聞きたいことがある」





「何でしょう」





「さっき、聖歌隊で独唱していた子供がいただろう」





神父の表情がぱっと明るくなった。





「次期領主様も、あの歌声に気づかれましたか! あの少年、素晴らしい歌声でしょう、あの歌声を長く聞き続けたいものです」





少年の歌声は、ほんのひと時の間だけ許されたものだ。長く楽しめるものではない。オーランドは不思議に思い……次の瞬間、あることに勘付いた。





オーランドは言った。





「……素晴らしい歌声の少年だ、さぞ立派なテノールの持ち主になるだろう」





「…………」





神父は、やや顔をしかめた。オーランドと神父の間に、何とも言えない緊張感が漂った。





カーラも何かを勘付いたようだった。





『ひょっとして……まさか、あの子が泣きそうな顔してたのって……まさか、カストラート……』





返事の代わりに、オーランドは白い蛾に触れた。





「……少し、さっきの二人と話したい。デリック、呼んでこい」








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