冒険の始まり
なんで生まれてきたんだろう。
そう思ったのは何度目だろうか。俺がこの世界に生まれてきて12年がたった。なんの思い出も、達成感もない。何もないんだ。今日も窓の外を部屋から眺めるだけ。
人は何か目的があって生まれてくる。警察官になる人、政治家になる人、医者になる人、先生になる人。
俺に夢はなかった。ただただ、困っている誰かをそっと助けてあげられるような人間になりたいと思うだけだ。
その時部屋の扉を誰かが開けた。看護師はいつものように何も言わずに入ってきて、花瓶の花を乱暴に取り替えると部屋を後にした。
廊下には何人か看護師がいたらしく会話が聞こえてくる。
「病院に来て何年だっけ?」
「もう12年になるわね。」
「かわいそうにね。ご両親は?」
「さあ。あの子のこと捨てたんじゃない。歩けないし、生命維持装置がなければ心臓が止まってすぐに死んじゃうんだってね。」
「死なせてあげればいいのにね。」
俺は聞こえないふりをした。
俺は物心つく前から病院のベッドで寝て起きるだけの毎日だ。ここが俺の世界。毎日朝起きてチューブから栄養を注入されてチューブから酸素を入れられる。心臓は機械でできていて両手と両足の感覚がない。歩くことも立つこともできない。
生きがいはない。窓から眺める外の世界を見ること以外何もできない。テレビも病室においてあったがもう見なくなった。幸せそうにいきている人を見るのが辛くなったからだ。
一度でいいから普通の生活をしてみたい。何度も考えた。妄想の中の世界はいつだって幸せだ。
ある日俺は、山盛りに皿に乗っているご馳走を想像した。家族で食卓を囲んで、幸せそうな父さん。幸せそうな母さん。そして幸せそうな自分。
美味しいってこんなのなのかな。俺は想像した。
またある日俺は、友達と一緒に川に行って遊んでいるところを想像した。冷たい水と暑い日差し。
楽しいってこんなことかな。俺はまた想像した。
別の日に俺は、大人になっている自分を想像した。隣には妻がいて、家に帰ると可愛い娘が俺のことを待っている。仕事は辛くても家族のことを思うと頑張れる。
嬉しいってこんなことかな。
そしてある日は、おでこにキスをして寝かしつけてくれる母さんのことを思い出した。幼い日の消えかかっている記憶だ。
愛されるってこんなのだったかな。
そして、俺は想像している。
生きるってこんなのなのかなって。
だとしたら俺は死んでいるのと同じだ。歩くことも喋ることも食べることも呼吸することもできない。頑張ることもできない。
ただ起きて、栄養をとらされて、心臓を動かされて、呼吸させられる。どこにも俺の意思はない。
死んでいるってこういうことかな。これだけは想像じゃない。実体験に基づくものだ。
俺にとってはいきていることが、死ぬより辛い。
いつものように自分の境遇を呪っていた。もう夜になった。
今日も辛い時間を過ごしただけで一日が終わった。
寝ようと目を閉じた。このまま死んでしまいたい。そう願いながら。
そして誰かがドアを開けて病室に入って来た。おかしい。こんな時間に看護師が来ることはない。
薄眼を開けるとそこには小さな人影が。病室が暗くて誰かわからない。7歳くらいの子だ。病室を間違えたのか?
その子が俺に近寄って来た。そして、その子は俺の目を覗き込んだ。
女の子だった。その顔は初めて見る顔だった。だけどどこか懐かしいような気がした。テレビの子役か何かかな?
その子はじっと無言で俺の目を見て来る。すると、突然その子は泣き出した。涙を流しながら俺の目を見ている。俺はどうすることもできずに見つめ返した。
「うぐっ。ヒック。私のせいでごめんね。」その子は言った。
俺は訳が分からず、呆然としていた。
すると突然その子が生命維持装置を引き抜いた!!!
すると瞬く間に全身に激痛が走り、俺は動かない体を悶えさせて苦しんだ。
その時俺の脳裏に巡った考えは、「生きたい。」ではなかった。
やっと楽になる。この子は天使で死にたいと願う俺の願いを叶えに来たんだ。神様が俺のことを助けてくれるんだ。やっと、これでやっと楽になれる。
もう苦しまなくていいんだ。もう夢見るだけじゃないんだ。もう生きなくてもいいんだ。
やっと死ねるんだ。
そして、女の子は鳴り響く警報を止めると、俺の胸の機械でできている人口心臓を外した。俺は血液を全身に巡らせることができなくなった。
次に女の子は全身についている栄養摂取用のチューブを引き抜いた。チューブを体から引き摺り出されている間。全身に苦痛が走った。だけど俺は我慢できた。死ぬためならこれくらい平気だった。
最後に、女の子はチューブ痕と心臓があった空間を見て呟いた。
【暗闇の中の光】
すると、そこにドクンドクンと波打つ赤い心臓が生まれた。そして、チューブ痕と開かれた胸の傷がみるみる治って行く。
ふざけるな!余計なことをするな。やっと俺の願いが叶いそうだったのに。その女の子は自分を死なせてくれる天使じゃなかった。自分を生かしに来た悪魔に感じた。
俺は自分の口で呼吸し始めた。全身に血と酸素がめぐり、筋肉に力がこもる。ゆっくりと一呼吸一呼吸ずつだが自分の臓器で呼吸ができてしまう。
俺は初めて口を開いて声を出した。
「余計な、、、、、ことを、、するな。」
女の子は少し驚くと、気にせず俺の体の治療を続けた。
「よく聞いてね。あなたはこれから今までとは違う生き方をするの。あなたは自分が思っている以上の存在よ。」泣き顔でにこりと笑った。
「俺に、、何ができるんだよ。字も、書けないし、歩け、、、ない。それどころか名前もない。」
「大丈夫!すぐにできるようになるよ。それに、あなたにはちゃんとした名前があるわ。」
「お前は一体誰だ???なんで俺を助けた?聞きたいことが山ほど、、、。」
「ええ。わかっているわ。だけど今は時間がないの。今すぐ逃げないと。」
「逃げ、、る?何から???」
「あなたを殺そうとするものから。」
俺は訳が分からなかった。今日一日でやっと死ねると思ったら助けられて、助けられたと思ったら殺されそうになる。第一俺を殺してどうなる!?ほっといてもすぐ死ぬだろうに、、、。
「さあ!きて!」女の子は手を差し出した。
俺はその手を取れなかった。どうしていいのか分からなかったから。戸惑いと緊張が俺の体を支配する。
そしてその女の子は無理やり俺の手をとった。俺は立ち上がった。よろよろと。
そして俺は歩き出した。ゆっくりと。
普通の人なら感動して泣くのかな。だけど俺は泣かなかった。
戸惑う俺と女の子は病室の外に出た。
その時、耳をつんざくような叫び声が聞こえた。
「何あれ?誰かの悲鳴か?看護師たちは何している?」楽に呼吸と会話ができるようになってきた。
「もう、、、みんな殺されてるころよ。」女の子は淡々と無感情に答えた。
「は?殺された?待ってくれ何が何だか、、、。」戸惑う俺をよそに女の子は俺の手を引いて行く。
「今から異世界への扉を作るわね。完成したら中を通って振り向かずに真っ直ぐ道なりに進んでどこに行けばわかるようにできているから。それとこれも。」女の子は手紙を俺に渡した。俺は黙って受け取った。
「それとあなたの名前はアイよ。男の子だけど。」
「じゃあアイ!今から異世界への扉を作るから邪魔しないでね。」
何を言っているのかよくわからなかった。ついていけなかった。
女の子は地面に手を当ててブツブツ呪文のようなものを唱え出した。俺はそれを呆然としながら黙って見ていた。すると地面から光の鏡のようなものが出て来た。俺は久しぶりに自分の姿を見た。やせ細っていて髪がぼうぼうに伸びている。目はくぼんでいて今にも死にそうだ。だけど生きている。手も動くし、足も動かせる。
すると突然階下で大きな物音がした。何がが地面を這っているような音と。巨大な生物が駆け回っているような音。それだけじゃない何人もの人々の悲鳴が聞こえる。
耳を覆いたくなるような悲鳴だ。みんな死にたくない。死にたくないと叫びながら死んでいっているのがわかる。
女も子供も老人も躊躇なく殺されている。俺は恐怖を始めて感じた。怖いと思った。だけど何に?自問自答した。さっきまであんなに死ねることに喜びを感じていたのに。俺は、、、生きたいのかな、、、、、。俺は分からなかった。この感情がなんなのか。
そして、階下にいた何かは階段を見つけたらしく笑い声のようなものをあげながらこちらに向かってくる。何かは階段を登り終わるとまっすぐこちらに向かってきた。
そして、獲物を見つけたらしくその巨大な化け物は俺に襲いかかって来た。
カッ!!次の瞬間一瞬だけ廊下を光の矢のようなものが走った。暗い部屋を明るく照らした。そして化け物は体を矢で射抜かれて、は生命を維持できなくなり床に倒れこんだ。
女の子が何かしたらしい。俺は女の子の方を見た。その時にはもう異世界への扉作りに戻っていた。異世界への扉はもうほとんどできているようだ。
そして俺は化け物の死体に恐る恐る近づき、まじまじと見た。体は大きなムカデのようだ。たくさん足があってその全てに人間の肉片のようなものがこびりついていた。顔は巨大な骸骨のようで気のせいだろうか笑っているように見えた。
そして戸惑う時間もなく次が来た。
グルルルルルルルル。唸り声が聞こえた。二体目はすぐそこまで来ていた。
「離れて!!」女の子が叫んだ。
化け物の死体から慌てて女の子の方へ走った。二体目の化け物は犬のような体をしているが3メートル以上あり、目が全身についている。口から人間の臓器のようなものとよだれを垂らしている。おそらくこの病院で人間の形を保っているのは俺と女の子だけだ。
「まだできないのか?それになんなんだ、この化け物どもは??もうすぐそこまできている!!おしまいだ!俺も君も殺される!!」俺はまるで生きたがっているようなセリフを吐いたことに気づいた。
「よし!できた!来て!!異世界への扉の中に入って!早く」女の子は質問には答えず、叫ぶように急かした。
俺は恐怖ですぐに飛び込んだ。「さあ!!君も早く。」
だけど女の子は来ない。後ろには廊下を埋め尽くすほどの化け物ども。最初は警戒して近づかなかったが、ジリジリと距離を詰めてくる。
「私は行けないの。」笑顔で言った。
「なんでだよ?殺されるぞ!!」
「異世界への扉は一人用なの。そんなことよりよく顔を見せて。」笑顔で言った。
俺は黙り込んだ。
「顔はお父さん似ね。私はこれから死ぬけど後悔はないわ。最後にあなたに会えてよかった。」そういうと女の子背伸びしては戸惑う俺のおでこに優しくキスをした。それは恋人にするキスではないような気がした。どこか暖かい、溢れるような愛情が冷たい俺の心を溶かすような。そして俺は思い出した。もうほとんど覚えていない昔のことを。病院で寝たきりになる前の記憶を。優しかった大好きだった。俺の家族を。
「母さん?」俺はつぶやいた。目から涙が溢れ出た。目の前の少女が母親のはずがない。年齢的にも矛盾している。だけど確信していた。
女の子は何も言わずににこりと笑った。愛おしそうに俺の目を覗き込んでくる。
そして耳元であることを囁いた。
そして、、、、、、、、、、母さんは化け物どもに一斉に襲われた。俺の目の前で母さんが死んだ。トンネルの入り口の透明なガラスに血しぶきが飛び散った。
俺は無力だった。何もできなかった。目の前で死ぬ人間をただ見ているだけだった。病室の窓ガラスから外の世界を眺めるように、ただじっと母さんが死ぬのを見ていた。歩けるようになった。立てるようになった。呼吸ができるようになった。だけど何も変わらなかった。
そして弱い俺はトボトボとその場を後にした。
どれくらい歩いただろうか、道に看板がある。それを頼りにして来た。三つ目の看板を過ぎた後に階段を見つけた。
階段を降りるとそこは駅のホームになっていた。実際に駅のホームにくるのは初めてだった。なぜ駅のホームなのかそんなことはどうでもよかった。
俺は誰もいない駅のホームで誰も乗っていない電車に乗り込んだ。
ジリリリリリリ。ベルが鳴り響き電車が動き出した。
アナウンスが響く、次の停車駅は異世界ナンバー05「確率の世界」。到着予定時刻は120年後。
俺は耳を疑った。
「120年後だと!?」俺は戸惑ったがどうでもよかった。
席に座って今日一日のことを考えていた。突然現れた少女。そして化け物どもの襲来。母親の死。
あれだけ死にたいと願っていた。そしてそれが叶うと思った。やっと楽になれると思った。だけど全て間違いだった。生きていても苦しいだけだった。
俺は母さんが死に際に残した手紙を思い出し、開いて読んだ。
「アイへ。 この手紙を読んでいることには私は死んでいるでしょう。だけど気にしないでください。私は幸せに死ねました。
それと、今までのあなたの状況は知っています。言葉も出ません。
あなたが死にたがっていたのは随分昔から知っていました。そしてあなたがそうなったのは私のせいです。本当にごめんなさい。私のことは恨んでいいです。
これからあなたはあなたが今まで過ごして来た世界と違う世界に行きます。詳しいことはかけませんがそこで困難に直面し、命を狙われます。だけど自分の力を信じて。あなたならきっとできる。信じています。
最後に、私は何度もあなたを死なせようとした。あなたが苦しんでいるのを見ることが辛くて、そしてあなたがそれを望んでいたから。
ごめんなさい。ごめんなさい。あなたの力になってあげられなくて。
あなたがどんなになっても、私の可愛い息子だから。
あなたのことを殺せなかった。」
何度も死にたいと考えたことを思い返した。生きている事が辛かった。今だって辛くて仕方がない。
そして手紙の最後には別れ際に耳元で呟いた一言が書いてあった。
「あなたに生きていてほしい。」そして俺は生まれて初めて人生に希望を見出して泣いた。
初めて感じた生きているという実感は死ぬことより苦しくて、初めて感じた愛情は悲しみに取って代わった。だけど今ははっきり感じる。「生きたい」と。
ピンポンパンポン。電車の中にアナウンスが流れた。
「アイ様
アイ様にはこれより自身の人生を選択していただきます。あなたが載っているのは時空次元電車です。この電車は時空と次元を超えて目的地まであなたを運びます。その対価としてあなたは120年間この中で過ごさなければいけません。」俺は黙って聞き入った。
「この中では肉体の寿命や精神の寿命は成長しません。老衰死することはございません。ご安心を。あなたのお母様がプログラムしたトレーニングデータがあります。あなたはこれを受けるか受けないか選択する事ができます。」
「トレーニングデータの内容は?」俺は尋ねた。
「トレーニングデータの内容は、大まかに知識学習と肉体訓練です。知識学習では数学、現代文、科学、生物学、物理学、気象学、生理学、予防学、医学、心理学、歴史学、地学、考古学、倫理学、政治学、経済学を全てマスターしていただきます。失礼ながらアイ様の知識レベルは4歳の時から変わっておりません。
続いて、肉体訓練の説明に移ります。肉体訓練では、アイ様の弱り切った肉体を健康な状態にし、戦えるようにします。
まず、低カロリー高栄養価の食事を三食とって軽い運動から始めます。肉体がやせ細り弱り切っているため高負荷なトレーニングは逆効果と推測されます。軽いウォーキングやストレッチから始めていただきます。
次に、体が健康な状態に戻ったら、本格的な肉体強化のトレーニングに移ります。高負荷なウエイトトレーニングを行っていただきます。」
「ウエイトトレーニング??どこでやるんだ?それに食事だって、、、。」
「この電車の中に全て生活に必要なものはございます。あなたのお母様がプログラムしました。抜かりはありません。では説明に戻ります。
ウエイトトレーニングで肉体強化が一通り終わったら次は特殊能力訓練に移ります。お母様が目の前で何度か発動されたはずです。
そのためには、高度な知識と頑強な肉体と強い精神力が必要です。
幸運、、、、と言っていいのかわかりませんが、アイ様は幼少の頃からずっとベッドで過ごされているはずです。本来この120年間の訓練は精神に異常を来たすため禁止されています。しかしアイ様の場合は達成できるとお母様は推測されました。あなたが病室でずっと苦しんでいたことは今からはネガティブなものではないです。
死よりも苦しい日常と地獄の苦痛に耐える事ができます。これからはあなたの苦しみは長所に取って代えられました。
恐怖は勇気に取って代えられました。
苦痛は精神力に取って代えられました。
絶望は希望に取って代えられました。
孤独は愛に取って代えられました。
最後に確認します。この訓練は死ぬより苦しいものとなります。ほとんどの人は途中で断念するか精神に異常をきたして死んでしまいます。
あなたはもう一度地獄へ戻りますか?それとも120年間寝て過ごしますか?だれかが助けてくれるのを待ちますか?
あなたが決めてください。」
俺は少し黙り込んだ。だけど心の中では返事は決まっていた。
「もちろんやらない。」俺はきっぱりと言い切った。
「そうですか。それは残念です。では、、、」
アナウンスを遮って俺は答えた。
「普通の人ならな。もう一度地獄に足を踏み入れるなんて正気の沙汰ではない。だけど、、、、、死ぬより苦しい。その程度なら大丈夫だ。俺ならやれる。今は殺されることを死ぬことを待ち続ける毎日じゃないんだ。
立てるし、歩けるし、何かを学べる、努力する権利もある。それらは俺にとって苦痛ではない。
訓練を受ける。」
そうして120年間の訓練は始まった。
[120年後]
「じきに目的地に到着します。アイ様は全てのトレーニングを予想以上にこなしました。
ですが、これから新世界であなたに様々な困難が襲いかかるでしょう。
しかし、、、」
「わかっている。俺なら耐えられるよ。」
「良い心がけです。目的地に到着するとすぐに敵に迎撃される事が予想されます。これからあなたは自身がだれなのか、なぜこの戦いに巻き込まれてしまったのか。それをご自身の力で確かめてください。」
「教えてくれないのか?」
「はい。お母様が自身でその答えを探すことに期待されています。ではどうか良い旅を。」
「わかった。今までありがとう。」俺は不思議と少しワクワクしていた。
「勿体無いお言葉。では気をつけて。」
そういうと、電車は空中にあいたワームホールから空に飛び出した。
見渡す限りの緑の平原、青い海原、澄んだ空。全てが新鮮だった。もう寝たきりの自分はどこにもいなかった。
そして始まる俺の異世界生活が。