三十三 もう訳がわからない
好きな人とのキスはいつだって気持がフワフワとする。
体に回る太い腕の力強さも腕に当たる筋肉質なかたい胸板も重なった唇も全てが心地よい。舞花は恍惚とした気分でそれを受け入れていた。触れていた温もりが消えたとき、やめないでと思ってその唇を視線で追いかける。ガングニールズ将軍はそれに気付いたのか、ニヤっと口の端を持ち上げた。
「マイカ、続きは後でだ」
色気ダダ漏れで耳もとで囁いたガングニールズ将軍の低い声にぞくりとする。ガングニールズ将軍は舞花の両肩を押してすぐ後ろの椅子に座らせると、流れるような所作で裸足の足にガラスの靴を履かせた。ガラスの靴は舞花用にアナスタシアがつくったものなので、当然靴は舞花にぴったりと合う。
「勝者、リークウェイ=スタンスト=ガングニールズ北方軍将軍!」
アナスタシアの声を合図に周囲に歓声が巻き起こる。その歓声に舞花はハッと我に返った。いつの間にか舞花が先程まで居た密林は姿を消し、ここは先程まで終戦十周年式典を行っていた王宮の大広間だ。
もしかしてキスシーンを見られたのかと赤くなる舞花をよそに、進行は粛々と進んでいく。ガングニールズ将軍も全く気にとめる様子もない。
「ガングニールズ将軍には賞品としてプロテイン百本、魔法のダンベル、魔法のゆりかご及びテンテン鳥一羽を贈ります」
アナスタシアが声高々に叫ぶ。賞品のテンテン鳥はなんと舞花がお喋りしていた『テテちゃん』だった。テンテン鳥とはダチョウみたいな鳥だとずっと舞花は思っていたのに全然違うじゃないか!
「ガングニールズ将軍。あのテンテン鳥ちょうだい!」
「食うのか?」
「違うよ! 飼うの!!」
テテちゃんはあの不安な状況を共に乗り越えたパートナーであるからして、食べるなど有り得ない。テンテン鳥は確かに絶品だが、それとこれとは話が別だ。それに、テテちゃんは人懐っこくてかわいいのだ。
「わかった。うちの庭に鳥小屋を造らせよう。そこで飼うと良い」
「いいの?」
思いがけない提案に舞花は目を輝かせた。テテちゃんを魔術師用の寮の個室で飼うと怒られるかも知れないと気になっていた舞花としては大助かりだ。
「大事なマイカのお願いだ。すぐに叶えよう」
見上げる舞花にガングニールズ将軍は優しく微笑む。その様子が厳しい顔をしているいつもと違いすぎて、舞花は戸惑いを隠せなかった。
何人かのご夫人から魔法のゆりかごに対して羨望の声が上がっていた。魔法のゆりかごはその名の通り、赤子の虫の居所が悪く泣き叫んでいてもゆりかごに乗せるとたちまちご機嫌になると言う魔法のゆりかごらしい。世界中の赤子を持つ母親にとっては咽から手が出るほど欲しい夢の一品である。
「それってガングニールズ将軍には必要ないよね?」
舞花はその話を聞いて思わずそう呟いた。
賞品にプロテインと魔法のダンベルはわかる。いかにもガングニールズ将軍向きだ。でも、魔法のゆりかごとテンテン鳥一羽は正直どうなんだろうと思う。
舞花はガングニールズ将軍をちらりと見上げた。テンテン鳥は舞花が貰ったが、魔法のゆりかごはガングニールズ将軍はもちろんのこと、舞花にも必要ない。
「すぐに必要になる」
ガングニールズ将軍は舞花を見下ろすと意味ありげに片眉を上げてみせた。舞花はその返事に忘れかけていた事実を思い出した。ガングニールズ将軍は婚約者がいるのだ。
「結婚するの?」
「するさ」
わかっていたとは言え、やはり本人からその事実を知るのはこたえる。でも、舞花は聞かずにはいられなかった。自分が想いを寄せたこの人は、この会場のどこに居るどのご婦人と結ばれるのだろう?
「ど、どの人と?」
「マイカと」
「へ?」
舞花は予想外の答えにぽかんと口を開けたままガングニールズ将軍を見上げた。この人は一体何を言っているのか?
「先ほど魔法の契約書に双方サインした。お前は俺のものだ。そして俺もお前のものだ」
ガングニールズ将軍は自らの左腕手首に巻きついたチェーンブレスレットを見せた。
舞花は慌てて自分の左腕手首を見る。同じようにチェーンブレスレットが巻き付いており、魔法の文字が書いてある。最近勉強して少しだけは読めるようになった。
「我はこの……リークウェイ??」
舞花は眉をひそめる。何と書いてあるのかまだちゃんと読めないのだ。
「我はこの身と心をリークウェイ=スタンスト=ガングニールズに生涯にわたり捧げる」
ガングニールズ将軍はうまく読めずにうんうんと唸る舞花に囁く。
「俺のほうは『我はこの身と心をマイカ=トモコ=ヒサガリに生涯にわたり捧げる』と書いてある。マイカは『マイカ=トモコ=ヒサガリ』と言う名だったんだな」
トモコとは舞花の母の名だ。漢字で『智子』と書く。正確に言うと舞花は『マイカ=トモコ=ヒサガリ』では無くて『日下舞花』だが、この世界の名前は女の人は名字と名前の間に母親の名前が来るようなので『マイカ=トモコ=ヒサガリ』はこの世界風の舞花の名前ということになる。
しかし、そんなことより舞花は重大なことに気付いた。
「婚約者がいるんでしょ!?」
手のひらを返したように突然甘い雰囲気を出し始めたこの人には婚約者がいるはずなのだ。いくら好きな人とは言え、現代日本で生まれ育った舞花に一夫多妻制は相容れない。他の妻への嫉妬に狂う日々など真っ平ごめんだ。
「ああ、そうだ。国王陛下の許可が下りるまでは正確には結婚出来ないからお前は俺の婚約者と言うことになる。だが、すでに魔法の契約書に双方のサインがあるから実質的には妻と同じだ」
お前は俺の婚約者? 実質的には妻と同じ??
この人は一体何を言っているのだろうと舞花は頭を抱えた。
もう、日本語が通じない。ガングニールズ将軍が話すのは日本語では無いのかも知れないが、とにかく言語が通じない。訳がわからない。
舞花は額に手を当ててうーんうーんと考え込んだ。どんなに考えてもやっぱりわからない。
「どうやら体調が悪いようなので休憩してきます」
「それは良くないな。部屋までつき合おう」
ガングニールズ将軍は心配そうに眉を寄せると軽々と舞花を抱き上げる。周囲から沢山の冷やかしの声が上がったが、ガングニールズ将軍はむしろ楽しそうにそれをかわしている。
本当に訳がわからない。
なぜこんな事になっているのだろうか。
舞花はなんだか何もかもがどうでも良くなってきて、考えることを放棄した。




