一 大魔女アナスタシアの企み
大魔女アナスタシアは暇を持てあましていた。
何か面白いことは無いだろうかと辺りを見回してみても、いつもと何もかわらない。グツグツと煮込まれる薬草の数々、どこかで魔法に失敗したようで爆発音がしてミシミシと建物が揺れている。予算対実績の計算が合わないようで奇声を上げる瓶底眼鏡の若者魔術師。そして淹れたてのコーヒーが入ったコーヒーカップがふわりふわりと部屋の空を舞っている。
アナスタシアは空中のコーヒーカップをパシッと掴むと一口それを口に含んだ。
毎日毎日同じ事の繰り返しで、面白味の無いことこの上ない。
「ナターニャ、何か面白いことはないかい? 毎日毎日暇で堪らないよ」
「お言葉ですがアナスタシア様、国王陛下からの毛生え薬、ピアンカ侯爵からの惚れ薬、ナスタ商店からの夜の薬の納品依頼に、ヤング伯爵からのご令嬢の先見のご依頼がまだ処理できていません」
彼女の一番弟子のナターニャは胸元から小さなメモ帳を取り出すと、そこに書いてある師匠の本日のやることリストを読み上げる始めた。そして一枚めくって更に読み上げようとしたとき、手に持っていたメモ帳は突然ボンッと燃えて灰になった。ナターニャの手からハラハラと灰が落ちる。
妖艶な師匠の睨みにも動じずに黒縁のお洒落眼鏡を片手で持ち上げたナターニャは澄ました顔で師匠を一瞥した。そして、おもむろに胸元からまた別のメモ帳を取り出した。
「先見の予約については一日五件処理しても向こう2か月はいっぱいに埋まっています。あとは、財務担当長官から魔法予算に関する打ち合わせを早急に日程調整したいと連絡が入っておりますがまだ返事をしていません。それに、……」
「あー、煩い! 私は忙しいんだよ!!」
イラついたアナスタシアがバシンと机を叩くと、コーヒーカップからコーヒーが少し机に零れた。
「先ほど、暇で堪らないと伺った気がしますが?」
ナターニャは眼鏡の端をもう一度片手で持ち上げると、すまし顔でアナスタシアを見つめた。
「お黙り! 本当に可愛げの無い一番弟子だね」
アナスタシアは黒く波打つ長い髪を掻き上げると一番弟子のナターニャをキッと睨み付けた。ナターニャは師匠の睨みにもどこ吹く風で全く動じない。
「可愛げでは仕事は進みませんよ。さあ、つべこべ言わずにさっさと仕事を済ませて下さい。あと、ガングニールズ将軍から回復薬を早急に納めるようにと連絡がありました。あとで取りに来るそうです。それに、来月遠征訓練に行きたいから治癒魔法を使える魔術師を複数人確保をして欲しいと」
「この間二百本納めたばかりだろう? あの仕事馬鹿が。仕事ばかりでなく少しはプライベートを充実させればいいものを」
「アナスタシア様もそうなった一因でしょう?」
アナスタシアは美しい顔を顰めてて片手を振った。そして立ち上がると部屋の扉へと無言で向かう。
「アナスタシア様、どちらへ?」
「仕事を片づけにだよ。全く、面白くない!」
イライラからついアナスタシアの語気も荒くなる。
国一番の大魔女と言えば聞こえは良いが、アナスタシアはいい加減色々な事にうんざりしていた。
薬の調合や先見の依頼、様々な面倒ごとの相談が後を絶たないのだ。アナスタシア以外にもできるものはいるが、アナスタシアが一番効果が高いし確実に仕事を遂行してくれるからと誰もがアナスタシアに頼みに来る。ナターニャはとても優秀な弟子だが、自分と同じレベルまで到達するにはあと十年はかかるだろう。
それに、魔術師というのは魔術バカばかりで事務作業の実務がとことん出来ない。弟子たちのその尻拭いをするのもアナスタシアだ。本当に面白くない。何か刺激のある面白いことは無いだろうか。
そこまで考えて、アナスタシアはふと良いことを思い付いて口の端を上げた。そろそろ先の戦争が終わって十年が経つ。自分の仕事を減らして、且つ、このつまらない日常に刺激を与えてくれそうな出来事がおこる時期だ。
一人ニヤリと満足げに笑うアナスタシアの姿に、ナターニャはまた師匠が良からぬことを考えているのではと嫌な気配をびんびんと感じ取っていた。