第5章ー9
ノルウェー方面に展開した零式艦上戦闘機の部隊が、独本土への空襲を開始したのは、1940年10月に入ってからだった。
日本海軍航空隊とポーランド空軍の部隊は手分けをして、主に英本土を基地とする米陸軍航空隊の重爆撃機部隊が主に独本土東方へと爆撃を加えるのを支援することになった。
これは主に仏本土に展開する米英の重爆撃機部隊が独本土の西方を主な目標とするのとは対照的な行動だったが、これにはそれなりの合理的な理由があった。
独本土西方に対する爆撃は、既述のように独陸軍と英仏米日の陸軍等の地上部隊が直接に対峙している西方戦線を抱えていることもあり、独戦闘機部隊が集中している所を(ある程度は)正面突破する必要があった。
そのために独空軍と、英仏米の航空隊が大規模に直接対決する状況になっていた。
そうした中で、ノルウェー方面からの爆撃が独東方に対して継続的に行われるようになったらどうなるか。
以前、日本海軍の戦闘機部隊と米陸軍航空隊の重爆撃機部隊の共同した大部隊が、ベルリンに対する大空襲を実行したことがあったが、それは1回きりのある意味では奇襲攻撃だった。
それでも、ベルリンに対する空襲が再び行われることを警戒し、一部の戦闘機部隊を西方戦線から独空軍は引き抜く羽目になったのだ。
そして、実際に恒常的にノルウェー方面からの空襲が行われるようになったら、西方戦線に展開する戦闘機部隊を更に独空軍は引き抜かざるを得ない。
その影響だが。
今、独陸軍が西方戦線で苦戦しながらも、再度の攻勢を取ることを諦めていないのは、西方戦線の航空優勢を独空軍が完全には失っていないことが一因だった。
1940年9月現在の航空戦は、独空軍が劣勢とはいえ、まだまだ英仏米日等の航空隊に対して、完全に航空優勢を失っているとは言い難かった。
だが、こうした状況下で、独空軍が首都ベルリン等の防空に力を入れねばならない事態になったら、西方戦線において、数的劣勢から独空軍は航空優勢を完全に失うと見られていた。
そうなっては、独陸軍が西方戦線で攻勢を再度取ろうというのは、極めて困難な話になってしまう。
かと言って、独空軍が首都ベルリン等を重視しない、というのも極めて困難だった。
ノルウェーを前進拠点とすれば、首都ベルリンのみならず、ザクセンやシレジア、旧チェコ領等が、零式艦上戦闘機の護衛の下、米陸軍航空隊の重爆撃機部隊の空襲圏内に悠々と入る事態が起きてしまう。
そして、米陸軍航空隊の重爆撃機部隊が戦闘機の護衛の下、白昼堂々と上記の地域に大規模な空襲を行うようになり、それを独空軍の戦闘機部隊はろくに迎撃しないという事態を引き起こしては。
東方の独市民は、ヒトラー率いる独政府への信頼を失い、旧チェコ領においては反独運動がより過激化、武装化する事態が起こりかねない、と懸念されていた。
こういった状況を懸念すれば、独空軍は首都ベルリン等の独東方の防空をそれなりに重視しない訳には行かなかった。
更に問題があった。
1940年秋当時の独空軍の戦闘機の主力はBf109Eであり、米英の重爆撃機迎撃には火力が不足していたのだ。
かと言って、後継機と言えるFw190Aは、未だに試作段階と言っても過言ではなかったという哀しい現実があった。
(もっとも、Fw190Aが1940年秋の段階で、既に順調に量産化されていたとしても、高度8000メートル以上から侵攻してくる米英の重爆撃機相手に、どこまで優勢裡に戦えたか、疑問があるが。)
戦闘機の火力が不足している現状から、一部の独空軍戦闘機乗りは体当たり戦闘すら辞さない覚悟だったが、それはそれで機体の損耗を増やすこととなった。
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