第5章ー4
そんなことが起こっていること等、9月初め頃の土方歳一大佐にとっては無縁な話だった。
土方大佐は、遣欧総軍司令部と新たな米仏軍司令部とのやり取り、調整に追われる羽目になっていた。
「本来なら、参謀長である石原莞爾中将がやるべきではないか」
と土方大佐は、内心では思わなくもなかったが、石原中将は作戦の神様ではあるが、人間関係調整については余り得手でない、と土方大佐は、一時は石原中将を部下としていた父の土方勇志伯爵から聞いている。
ただでさえ、米仏軍では様々な事情から司令官が交替するという事態が引き起こされており、摩擦を和らげることが急務であることからすれば。
土方大佐は溜息を吐きつつ、米仏軍司令部との調整に奔走せざるを得なかったのである。
もっとも石原中将自身も対独反攻作戦の立案に多忙を極めていたのも、また事実だった。
1940年9月初め、ようやく米陸軍の地上部隊が、米への英仏等からの要請(というより圧力に近いものがあった。)により、欧州に展開するようになっていた。
そして、日本本土からも日本海軍航空隊が増援部隊として遥々と駆けつけもしていた。
こういった状況から英仏米日等の連合軍は、対独反攻作戦を立案するようになっていたのである。
そして、そのために米仏では司令官の異動が行われていた。
「全く。あれ程、忠告したろうが」
「わしは悪くない」
「その態度がいかんのだ。ともかく、君には米第3軍司令官に異動してもらう。せめてもの温情だ」
「温情か。また、指揮する部隊がいないというのに」
「自業自得だ。私が米第1軍司令官になる。なお、陸軍省からの指示で私が上官になる」
目の前にいるパットン将軍に対して、アイゼンハワー将軍は、そのように言い渡した。
パットン将軍の表情は、ますます仏頂面になった。
欧州に赴任以来のパットン将軍の態度は、英仏軍との間に摩擦を引き起こしていた。
そして、その話が米本国にまで届いたことから、陸軍参謀総長のジョージ・C・マーシャル将軍が動き、アイゼンハワーを将軍に抜擢して、米第1軍司令官に任命していた。
パットン将軍を、本国に召還することまでマーシャル陸軍参謀総長は考えたが、アイゼンハワー将軍が懸命に宥めて、名目上の軍、米第3軍司令官にパットン将軍を任命するという形で収めたのである。
だから、本来ならパットン将軍は、アイゼンハワー将軍に感謝しこそすれ、そんな表情をするのは筋違いなのだが、米陸軍の部隊が駆けつけて、いよいよ戦場に赴けると思った瞬間に、梯子を外されるようなことをされては、パットン将軍は仏頂面をせざるを得なかった。
「ともかく、暫く身を慎んでくれ。ほとぼりが冷めたら、部隊を与えるように、マーシャル陸軍参謀総長に掛け合うから」
アイゼンハワー将軍は、パットン将軍に言い渡した。
そして、仏軍司令部では、総司令官であるガムラン将軍が8月末で辞任するという事態が起こっていた。
ポーランド軍と日本海兵隊の助けが無ければ、アルデンヌ地方を独軍が突破することに成功していたというのは、衆目の一致するところであり、その場合、英仏軍が大敗してパリが陥落したのではないか、とまで仏国内の新聞等で非難されては、ガムラン将軍も総司令官を辞任するしかなかった。
そして、その後任だが。
「アンリ・ジロー将軍か」
土方大佐は、その情報を受け取って興味深げな表情を浮かべた。
アルデンヌ地方を守備していた仏第9軍の司令官ではないか。
土方大佐の評価する限り有能な将軍だろう。
だが、その後ろに政治的な影が差している。
反独主義者としてそれなりに著名なのだ。
「徹底して対独戦を戦うという仏軍の宣言だな」
そう、土方大佐は考えた。
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