第4章ー14
簗瀬真琴少将は、更に想いを巡らせた。
本来から言えば、少将が(丙師団とは言え)師団長を務めるようになったのは、それこそ最近の話だった(それも、海兵師団の師団長という前例があったからだった。)。
軍といえど官僚組織であることに変わりはない。
陸軍の師団長は、本来は、複数の県をまたいだ管区を有する関係から、県知事よりも上級の官職であるべきだという暗黙の了解もあって、中将が任じられてきた。
(例外もあるので、基本的にという話になるが、県知事は高等官二等なのに対し、中将は高等官一等になる。なお、少将だと高等官二等で、県知事と同等になる。)
だが、先の世界大戦の大量の損耗もあり、陸軍といえど、微妙に将官が足りなくなってしまった。
そういったことから、少将に過ぎない自分が第56師団長に任じられたのだ。
ちなみに第56師団の兵団文字符は「龍」。
丙師団には、相応しくない兵団文字符のような気も自分にはするが、名前に相応しい戦いをしようと、自分の指揮下にある部下達は懸命に戦っており、実際、この3か月間で死傷者1500名余りを出すのと引き換えに、共産中国軍ゲリラ3万名以上を死傷させた、と推定されるだけの大戦果を挙げている。
(推定となるのは、共産中国軍ゲリラが襲撃に失敗等した場合、速やかに撤退するからである。
そのために戦場に遺棄された死体や捕虜への聞き取りから、日本軍は共産中国軍に与えた損害を推定するしか方法は無かった。)
しかし、それだけの戦果を挙げたからと言って、勝利に近づいているかというと。
「会津出身のせいかもしれないが、勝利に近づいているかというと、悲観的にならざるを得ないのだ」
簗瀬少将は、思わず呟かざるを得なかった。
実際に北満州方面では、この年末までに残置されたソ連軍兵士を主力とするゲリラ活動は、ほぼ脅威を与えられないと(自分も含めて)日本軍の幹部からは判断されるだけに縮小されるのでは、というだけの戦果を日米満韓連合軍はこの3か月余りで上げることに成功している。
冬季であるために土木作業等は極めて遅延した事態を招来するだろうが、来年の春、というより初夏になる来年5月には、いよいよソ連領への逆侵攻が可能になるだろう。
何だったら、今、北満州で戦っている陸軍士官学校同期生の栗林忠道少将等に、自分の判断が間違っていないか、尋ねてもいい。
栗林少将等も、自分の見解に同意するだろう。
北満州では、地元住民が(勝ち馬に乗ろうという心理があるのかもしれないが)日米満韓軍寄りなのが、それだけの戦果を挙げられた一因だ。
だが、中国本土の住民の多くの意思は、北満州の住民とは違っているようだ。
日本軍が大戦果を挙げれば挙げるほど、それだけ中国の人間が殺傷されたとして、中国本土の住民の反感を買う一方になっているように、自分には思われる。
かと言って、共産中国軍ゲリラが自分達を襲ってくる以上、日本軍は戦わない訳には行かないのだ。
「まるで、戊辰戦争後の長州と会津のようだな。長州人に言わせれば、自分達は寛大だと言うが、会津人の自分としては未だに許せないことがあるからな」
簗瀬少将は更に呟いた。
長州人に言わせれば、戊辰戦争の際に会津藩士の戦死者等の埋葬を禁じたのは、自分達の愛国心に満ちた正当な活動を、会津藩主で京都守護職を務めた松平容保が弾圧したことの恨みからだ。
あの程度のことを根に持って恨むとは、会津人は心が狭い、とまで長州人の一人に言われたことが自分にはある。
しかし、幕末の京都の街中等で、長州藩がやったことは明らかにテロ行為と言われても仕方ない。
それを取り締まるのは、当然ではないか、と自分には思えてならないのだ。
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