第4章ー12
都市を維持するには、大量の物資が必要である。
それこそ、食糧等の自給を都市はできないからだ。
物資の供給路である鉄路や水路を叩くという日本空軍の戦略爆撃は、共産中国が統治下においている都市の弱点(都市に対する物資の供給路を阻害するという点で)を的確に衝くものといえるものだった。
更に、米陸軍航空隊による都市に対する直接攻撃が行われる。
共産中国政府といえど、完全に住民の意向を無視はできない。
統治下にある都市の住民の間で、物資が不足し、更に陝西省や湖北省、湖南省等では、米陸軍航空隊の戦略爆撃による直接被害が生じていることから不満が高まりつつあるのを察した共産中国政府は、ある意味で性質の悪い対策を講じることになった。
都市の住民の農村への疎開を、政府主導で行ったのである。
都市の住民にしてみれば、空襲の被害を受けるくらいならば、と政府の指導に従うことになったが、それは往々にして都市に在住していた女性や子ども等(要するに兵役に耐える男性以外)が選ばれることになり、更に行き先は兵役に耐える男性が徴兵された後の農村ということが起こった。
そのような農村では働き手が不足している。
そのような農村で、これまで農作業等に従事したことの無い都市の住民、それも女性や子ども等が新たな働き手として送り込まれたとして、どこまで役立つかというと。
新しく都市から農村へ送り込まれた住民は役に立たないとして、以前からの住民から敵視されることが多発することになった。
他にも様々な生活習慣等の違いもあり、以前からの住民と、新しく都市から送り込まれた住民の間での対立が各地で多発した。
そして、大抵の場合、以前からの住民が多いし、力も持っている。
都市から農村へと送り込まれた住民の多くが苦難に喘ぐことになり、餓死等の悲劇を引き起こした。
日米の戦略爆撃はこういった悲劇も、また中国においてもたらすものでもあったのである。
こういった戦略爆撃が行われる一方で、地道な共産中国系のゲリラ討伐戦闘も日本軍が確保している地域では従前どおりに継続して行われていた。
「本音を言えば、何もかも現地に任せてしまいたいくらいだが、そういう訳には行かないからな」
第52歩兵師団長である赤柴八重蔵少将は、そうこぼしつつ、管轄する区域内のゲリラ討伐戦闘に明け暮れる羽目になっていた。
何しろ、日本軍から生活のための物資供給を受けたというだけで、その村の住民全てが共産中国系ゲリラの虐殺対象になるのだ。
共産中国系ゲリラの主張は明確だった。
「侵略者である日本軍を助け、援助を与えた住民は敵であり、殺しても構わない」
この主張は、戦時国際法の解釈として間違っているとは言い難い。
だからといって、裁判等抜きで、飢餓に苦しんでいる住民を見かねて日本軍が生活のための物資を供給したことが、供給を受けた住民が、侵略者である日本軍を助け、援助を与えた見返りの証拠である、と主張されて住民を虐殺されては、日本軍としてはたまったものではない。
実際、その恐怖感が日本軍の占領統治下にある住民の多くを、共産中国系ゲリラ支援に奔らせていた。
共産中国系ゲリラを支援しなければ、命はない、と住民の多くが考えていた。
それに日本軍はいずれは日本に帰還するだろう、そうなったら、共産中国政府が元のようにここを統治するだろう、そういった事態に備えて、共産中国系ゲリラを支援せねば、そう考える住民も多かったのだ。
日本軍が、個々の戦闘では共産中国系ゲリラを圧倒しながらも、日本軍の占領下の住民の多くが中々、共産中国政府を見限らなかったのは、こういった事情があった。
日本軍は苦悩して戦うしかなかったのである。
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