間章ー3
だが、こういった想いは、北白川宮成久王殿下や林忠崇侯爵だからこそ、今となっては想う想いであるというのも事実ではあった。
明治の頃は、こういった点について今とは異なっていた。
そもそも明治天皇陛下の皇子、皇女全員が皇后陛下の実子ではなかった。
そういった事情もあったのだろう、北白川宮能久親王殿下に至ってはとんでもない事態まで引き起こした。
何と、薨去後に子どもの認知を求める女性が2人も現れたのである。
宮内省が慌てて調査した結果、その女性2人が産んだ子は、何れも北白川宮能久親王殿下の実子と判断されたが、皇室典範はそういった事態を全く想定しておらず、関係者は苦悩することになった。
そうした中で、北白川宮能久親王の富子妃殿下は、その2人の女性が産んだ子を、夫の子だからということで、自分の手元に速やかに引き取り、実子同様に成人するまで愛しんで育てた。
こういった背景もあったことから、明治天皇のお声掛かりもあり、その2人の女性が産んだ子は、共に北白川宮能久親王殿下の実子と認められたうえで伯爵に叙されて華族に列することが出来たし、その子達は富子妃殿下を実母いやそれ以上に敬愛することにもなった。
北白川宮富子妃殿下を間近で見てきた北白川宮成久王殿下や林忠崇侯爵からしてみれば、そこまでのことをしろとは言わないが、岸忠子は何で土方(篠田)千恵子(や村山幸恵)を受け入れられないのだ、そもそも、民法上は嫡母庶子である以上は、岸忠子は母として千恵子を総司と同様に可愛がるべきだろう、という想いに駆られることになったのである。
一方、岸忠子にしてみれば、何で嫡母だからといって、夫の愛人の子まで実子のように可愛がらねばならないのだ、という想いに駆られていたのだ。
(猶、忠子のこの想いについて、土方千恵子や村山幸恵は確かに分からないでもない、と分かってはいる。
だからといって、自分達に対する処遇について不満を持ってはいる、という関係にあった。)
(更に細かいことを言うと、りつの子が女子で、忠子の子が男子だから、まだマシとも言えた。
これが逆だったら、りつの子が「彼」の家督相続人ということになり、忠子の子は家督相続人で無くなるのが、民法上の規定(嫡出子の女子より、非嫡出子の男子が家督相続では優先される)であり、(この世界の)現在、嫡出子の女子を家督相続の際には優先させよ、という民法改正運動が水面下で高まる事態を引き起こしていた。
話がずれすぎるので話を元に戻す。)
「それで、総司にこのことを伝えられるのはいつ頃になりそう」
「最低でも2か月先の話です。私の手紙が夫に届くのにも、それくらいは掛かりますし」
幸恵の問いかけに、千恵子はそう答えた。
幸恵が落ち込んだように千恵子には見えた。
「分かってはいるのよ。欧州まで遠いのはね。でもね、余りにも欧州は遠い。何で弟がそんなところで戦わねばならないのか、と思ってしまうの」
「本当にそうですね。言ってはならないことですが、私も同感です」
幸恵と千恵子は更に会話した。
その後も、幸恵と千恵子は会話を続け、更に総司の子の面倒を見る合間に、通夜や葬儀の手伝いまでも二人は務めた。
一通りのことが済んだ後、幸恵が帰宅するのを千恵子は見送った。
更に、総司の子を忠子に預け、自らは義祖父母と共に帰宅しようと千恵子はした。
その場には、岸三郎もいた。
「どうも、色々と済まなかったな。本来はもう少し楽にしてもらいたかったのだが」
「いえ。甥の面倒を見れて良かったです」
岸三郎の言葉に、千恵子は答えた。
「偶には我が家を訪ねてくれ。義祖父母と共にな」
「はい」
これが雪解けの機会になれば、と千恵子は想った。
ご都合主義と言われそうですが。
北白川宮能久親王の子どもについては、史実でもほぼ同じことがありました。
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