第3章ー17
小畑敏四郎大将は、樋口季一郎中将らと協同して基本作戦を立案し、クルーガー将軍らと打ち合わせて、それを更に修正した上で、マッカーサー将軍にハルピン攻略作戦を示した。
マッカーサー将軍は、これを裁可し、7月初めにハルピン攻略作戦は発動された。
全部で38個師団に膨れ上がっていた日米軍の内、日本軍6個師団、米軍4個師団の合計10個師団がこの作戦に投入されていた。
なお、残りの部隊は、満州全土の回復を目指して少しでも進撃することになっていた。
これは、ソ連軍のハルビン救援作戦を少しでも困難にすることにもつながるとの考えからだった。
確かに兵力分散の危険はあるが、こちらが内線を基本的に占めることになるし、自動車化も進んでいる。
航空優勢を確保しているし、こちらには機甲師団5個が存在しているので機動防御が可能だろう、という判断からこの作戦が採用された。
だが、一部の部隊からは、不服が出る作戦計画でもあった。
「こんなところを前進するのですか」
辻正信中佐は、第7師団の作戦参謀として師団長に不服を述べていた。
「こんなところ、アルプスを想えば平坦極まりない」
第7師団長を務める牟田口廉也中将は、平然と辻中佐に言葉を返した。
「しかしですね。補給の問題が」
「航空補給で問題ない。20年以上前にもやっていたことだ。さっさと前進を指示しろ」
辻中佐の懸命の反論を、牟田口中将は上官としての立場から叱り飛ばし、前進を督励した。
幾ら第7師団が、先の世界大戦の直後に山岳師団に改編され、山岳地帯の突破を得意にしているとはいえ、無理があるだろう。
先の世界大戦の全く無い辻中佐にしてみれば、無茶苦茶な話だった。
第7師団はハルピン市の東側を迂回して北側に回り込み、ハルピン市の完全包囲の一翼を担うことになってはいたが、その道程は基本的に山岳地帯で、辻中佐の見る限り、補給途絶の危険のある道程だった。
しかし、牟田口師団長の厳命とあっては、さすがに横紙破りで知られる辻中佐もどうしようもない。
渋々ながら、第7師団と共に前進するしかなかった。
実際問題として、小畑大将からも、この第7師団を中核とするハルピン市街を北から包囲する作戦はリスクが高い、と事前に推測されてはいた。
だが、航空補給を頼りにしてハルピン市に対する包囲網を完成させることにより得られる効果の方が大きいという判断から、この作戦は断行されたのである。
先の世界大戦の経験を踏まえて、第7師団は山岳師団に改編済みである。
通常の歩兵師団なら突破困難とされる山道でも、山岳師団である第7師団は通行可能だった。
(もっとも、それなりに苦労する羽目にはなっていた。)
かくして、第7師団が先陣を務めることにより、日米連合軍によるハルピン市完全包囲網は完成した。
とは言え、それがハルピン市攻略への第一歩に過ぎないのも間違いなかった。
「凄い砲爆撃だな」
右近徳太郎中尉は、ハルピン市を望見しながらそう呟いた。
右近中尉の所属する第1機甲師団は、ハルピン攻略作戦における予備部隊として、ハルピン市近郊に展開していた。
右近中尉の耳に入った噂によると、第1機甲師団の所属する日本軍唯一の機甲軍を率いる山下奉文中将としては、感情的にはハルピン市攻略に参加したかったが、機甲師団を都市攻略に向けるというのは愚の骨頂になりかねない、と冷静に判断した末に、小畑大将の意見に従い、予備部隊として扱われることに同意したとのことだった。
その判断が理性的には正しいことは右近中尉にも理解できていたが、予備部隊として扱われることは、何と無しに不満が高まることだった。
「自分もハルピン市攻略に参加したい」
そう、右近中尉は想った。
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