第3章ー15
モンゴル系の民族は、外蒙古に住むだけではない。
実際には中国領(1940年のこの頃は、ほぼ満州国領)に住むモンゴル系の民族の方が多い。
また、ソ連領内に住んでいるモンゴル系の民族もいる。
これらの中の民族主義者が、日米満の呼びかけにより、反ソ、反外蒙古政府運動に立ちあがる気配を示したのである。
ソ連政府とその事実上の傀儡と化していた外蒙古政府は、こういった民族主義者を敵視するようになった。
こうなってくると目には目をという形で、激しい弾圧が行われ、これに対する激しい武装抵抗が勃発するようになる。
更に日米は、敵の敵は味方の論理で、モンゴル系の民族主義者に積極的に武器等の物資支援を行う。
これによる東清鉄道本線の破壊工作と日米の航空隊による後方破壊のために、イルクーツクからザバイカル、満州里を経由し、ハルピンへとつながるソ連軍の補給線はズタズタになった。
ハルピンを防衛するソ連軍はこういった状況から、ハルピンの早期放棄さえもかなり検討した、とハルピン陥落後に日米満連合軍に捕虜となったソ連兵は供述している。
だが、韓国軍の攻勢により、ウラジオストク防衛軍は少なからず苦戦している状況であり、こういった状況で早期にハルピンを放棄しては、極東ソ連軍の劣勢がますます明らかになり、ウラジオストク攻防戦も不利になるという判断から、ハルピンについては徹底抗戦という方策をソ連軍は取ったという。
もっとも、ウラジオストク攻防戦については、実はこの頃の日米満連合軍は、逆に韓国軍が苦戦、ソ連軍が優勢で、少しでもソ連軍を引きつけてくれるだけで御の字とさえ思っていたという。
味方が苦しい時は、敵も苦しいを地で行く話であり、お互いに相手が優位と思っていたらしい。
実際、当時の韓国軍に対する日本軍の軍事顧問団長だった板垣征四郎大将は、次のように回想している。
5月下旬、米海兵隊を主力とするペトロパブロフスク=カムチャッキー攻略作戦、日米両陸軍を主力とするハルピン方面への侵攻作戦と呼応して、韓国軍によるウラジオストク侵攻作戦が発動された。
だが、韓国軍の士気はそれなりに高いものがあったが、武器の質量は相変わらずの格差があった。
例えば、当時の韓国空軍が保有しているのは、日本では旧式化したいわゆる96式シリーズが第一線扱いを受けている有様だった。
これはある程度はやむを得ない話で、日本の生産力にも限界がある以上、最新式の99式シリーズはまずは日本軍の需要を満たしてから、韓国等に供給するという話になるからである。
韓国空軍の搭乗員の質自体は悪くは無く、例えば96式戦闘機で、ソ連空軍のI-15,I-16戦闘機とほぼ互角に同数なら戦える程度ではあったが、これでは満州上空のような航空優勢を韓ソ国境方面でも確保するという事は難しい話だった。
韓国陸軍の火力は相変わらず劣勢で、韓国軍3個師団の火力でやっとソ連軍1個狙撃師団の火力に優勢という有様だった。
幸いなことに89式戦車等が完全に日本軍から退いたので、それを韓国軍に大量供与することで火力の底上げを図ったが、急に火砲や戦車を供給してもそれを操る人員の訓練をしなければならず、それにも韓国軍は手間取った。
日本程度にトラクターや自動車等が普及していれば、と私には思えてならなかった。
(この世界の日本は、自動車が史実より普及していて史実の独と同程度に自動車が普及しています。)
そのために航空優勢の欠如、火力不足を基本的に人間の肉弾で補うという有様に韓国軍はなっていた。
私自身も軍事顧問団長として何とかしたかったが、日本にも物資が余っていない。
どうにも苦しい想いをしながら戦う羽目になった。
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