第3章ー1 対ソ反攻作戦開始
第3章の始まりです。
極東方面における対ソ反攻の一環として、米軍によるペトロパブロフスク=カムチャッキー攻略作戦が発動されます。
「間もなく上陸作戦開始か」
ホーランド・スミス提督は、武者震いを迎えきれなかった。
「我が米海兵隊にとって、伝説の始まりとなるようにせねば」
スミス提督は、思わず独り言を呟いた。
「いいか。米海軍の艦砲射撃は、日本海軍に勝るものだ、ということを実証しろ」
米太平洋艦隊司令長官であるリチャードソン提督は、指揮下にある米戦艦「テネシー」以下、8隻の戦艦を主力とする艦隊の司令長官として、部下達に指示を出すというより、怒鳴っていた。
「我が米国を怒らせた報いを、ソ連には受けてもらうのだ」
リチャードソン提督は、独り言を呟いた。
米海軍と米海兵隊にとって、この作戦は極めて重要なものだった。
ペトロパブロフスク=カムチャッキーへの上陸作戦、そして、その後の占領制圧作戦が実施される。
(もっとも、制圧して軍港としての設備を破壊した後は、主に米陸軍の軍政下に置き、1個歩兵大隊程の治安維持部隊を残し、それ以外の部隊は撤退してしまう予定だった。
何故なら、ここは陸の孤島といえる所であり、ソ連軍による陸路からの逆襲の恐れもほぼ無いため、治安維持部隊を置くだけで足りると考えられていたからである。
そして、補給の困難という問題もあった。)
米陸軍とその航空隊は、既に本格的に中ソと戦っているが、米海軍と米海兵隊はそうではなかった。
確かに、米海軍はソ連潜水艦と既に死闘を行っているとはいえ、その主力となるのは駆逐艦以下の小艦艇である。
戦艦や空母と言った主力艦は、髀肉の嘆をかこっているのが一時の現実だった。
だが、空母部隊は、先日、ノルウェー救援作戦において、独海軍の水上艦部隊を、日英の空母部隊と共同してほぼ殲滅するという大戦果を挙げている。
こうなっては、主に戦艦部隊の面子にかけても、この上陸作戦の支援は成功させねばならなかった。
そして、米海兵隊が師団規模で作戦を展開することも初めてのことだった。
ペトロパブロフスク=カムチャッキーへの上陸作戦を前にして、米海軍の艦隊とそれと同行している米海兵隊員を載せた上陸船団の面々が、殺気立っているのは、周囲にも空気、気配として、何となく感じ取られるレベルに達していた。
「下手に近寄ったら、こちらにまで対空砲火を撃ってきそうだな」
米海軍が保有する空母部隊は、全て大西洋にいるため、この上陸作戦に対する航空支援という空の傘は、日本空軍が行うことになっている。
そして、(第一次)世界大戦以来、1927年の南京事件や1931年の満州事変等でも、日米は共闘していて、日本空軍機が近寄っても、そんなに大きな問題は起こらない筈なのだが。
自ら99式戦闘機を操って、米艦隊、輸送船団の上空警戒を行っている柴田武雄少佐は、米海軍の艦隊等から感じる気配に、そう呟く羽目になっていた。
対潜哨戒任務等の様々な任務の為に、満州事変以降の対ソ関係緊張化に伴い、徐々に幌筵島、松輪島、択捉島に日本空軍は飛行場等を建設して展開していた。
また、陸軍により、中国内戦介入以来、徐々に増強された末だが、千島列島各所を防衛するための部隊、合計すると1個連隊余りも展開している。
だが、今、1940年5月22日午前中に断行される米軍のペトロパブロフスク=カムチャッキーへの上陸作戦への協力のために、この方面に展開する日本空軍の戦力は、一時的に急拡大していた。
その象徴ともいえる部隊が、柴田少佐の目の片隅に入った。
日本空軍にかつて存在しなかった巨大な軍用機の集団だ。
部下の独り言が無線越しに聞こえる。
「あんな巨大機を、我が日本軍が運用するなんて」
柴田少佐も全く同感だった。
日本空軍の99式重爆撃機の集団までが、この作戦に投入されている。
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