第2章ー13
ソ連潜水艦との戦いの主役は、日本海軍航空隊だったが、日本空軍も協力しなかったわけではない。
韓国空軍とも共闘して、ウラジオストク軍港に空襲を加えたり、軍港の沖合に機雷を敷設したりという行為を日本空軍は行っている。
だが、どうしても片手間感が否めない行動だった。
これには幾つか理由がある。
まず、軍艦を沈めるのとは異なり、軍港の港湾設備等を空襲で壊すのには、それなりに大量の爆撃を加えないと効果が挙がらないことである。
少量の爆撃では、そんなに被害が与えられず、修理が間に合ってしまう等の事態が起こるのだ。
そうなると、目に見える効果も薄いものになる。
空襲を加えて、港湾設備に打撃を与えたと評価されていたのに、すぐに味方の商船に敵潜水艦の攻撃が行われることがあっては。
効果のない空襲は止めてしまえ、という主張が出るのもやむを得ない話ではないだろうか。
機雷の敷設にしても、実際に大戦終結後、ソ連潜水艦の喪失状況を確認した結果、それなりに戦果が実際に挙がっていたことが判明している。
とは言え、機雷を敷設しても、実際にソ連潜水艦が失われたことが判明しないと、無駄な機雷敷設だったのではないか、という声が出てくるのもやむを得ない話である。
こういったことから、日本空軍の対潜作戦協力は、戦果が挙がったのかどうか分からない、それなら投入する兵力は少なくてよいだろう、ますます戦果が挙がったのかどうか分からない、という悪循環を引き起こすことになってしまったのである。
それに、他に日本空軍としては、力を入れたいところが多々あることも、ソ連海軍の潜水艦狩りにあまり力を入れられなかった原因だった。
まず、既に述べている本土防空である。
夜間の散発的な空襲を、ソ連空軍が行っているだけになったとはいえ、昼間に白昼堂々と大編隊を組んでソ連空軍が帝都空襲を企む可能性は絶無なのか、と言われて、絶無ではない、と答えざるを得ない以上、それなりの戦闘機部隊を、日本本土に遺さねばならないのはやむを得ない話だった。
そして、対ソ戦争において主軸となる陸軍への直協任務。
日本の場合、空軍が陸軍の傘下にある半独立的な軍(海兵隊と海軍本体の関係と同様)である以上、どうしても空軍としては、陸軍の意向を海軍の意向よりも優先せざるを得ないし、実際問題としては、海軍には海軍航空隊がある以上、空軍は陸軍に協力しろ、という感情論が出てくるのもやむを得ない話だった。
他にも問題があった。
第二次世界大戦が続くうちに、敵の国力に打撃を与える戦略爆撃任務にも、日本空軍は力を入れる羽目になったのである。
だが、これは日本空軍が建軍当初から想定していた任務を完全に超えている話だった。
日本空軍は、良くも悪くも日本陸軍の傘下にある半独立した軍隊である。
そして、海軍への協力任務もあることから、ある程度はその任務に備えた準備が行われてはいた。
(好例が、96式中型爆撃機や99式中型爆撃機等が雷撃可能であることである。
海軍に協力しての対水上艦攻撃任務を重視されていたからこそ、雷撃可能な機種に96式中型爆撃機等は開発、量産されたのだ。)
だが、日本陸軍への協力等を第一に念頭に置いて、日本空軍が整備されたのは事実である。
そのために、この当時の日本空軍は、まず第一に本土防空等に役立つ戦闘機、第二に地上部隊支援に役立つ軽爆撃機(勿論、軽爆撃機と一口に言っても、地上部隊直協任務等を主眼とし急降下爆撃もこなす単発爆撃機や、双発で長距離爆撃可能な中型爆撃機等、幾つかの種類があるが)が整備されていた。
そして、第二次世界大戦が進むにつれ、この日本空軍の発想が、結果論だが足かせになった。
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