第2章ー7
ベルリン空襲にばかり注目が行きがちだが、それ以外でも英米の航空部隊を中心に、独本土に対する空襲が行われるようになっていた。
工業地帯に対する攻撃として、最大の目標になったのはルール地方であり、主に英空軍が夜間空襲により目標としている。
また、独本土でどのような目標を攻撃するのが、独の戦争遂行能力に打撃を与えるのに効果が挙がるのか、英米を中心に議論が行われ、実際に実行された。
例えば、独の戦争遂行能力に打撃を与えるのに、石炭液化工場を狙うという案もかなり有力だった。
しかし、ソ連からそれなりに独は原油の供給を受けているという反論が強かったことから、石炭液化工場は余り狙われなかった。
むしろ、発電所や変電所といった電力関連施設が狙われた。
電気の安定供給が滞れば、工業生産に打撃が与えられると考えられたからである。
勿論、軍用機や軍用車両等、軍製品を生産する工場も、空襲に晒されたが、これらの工場はさすがに独側も予め空襲を予期した対策を講じていることが多く、余り効果が挙がらなかったようである。
そして、独国内の鉄道も英米の航空隊にしてみれば、積極的な目標だった。
操車場を始めとする鉄道設備が壊されては、物資の輸送がどうしても遅延する。
かといって、この当時の独(というか米国でさえ)に、鉄道輸送に頼らない国内輸送網を構築するのは無理な話で、じわじわと鉄道の破壊は、独経済を苦しめることになる。
勿論、狙われたのは地上目標だけではなかった。
海路、水路も狙われた。
例えば、ドイツ沿岸部には、積極的に機雷が敷設されたし、輸送船も空からの脅威にさらされた。
独潜水艦の出撃を阻止し、独の沿岸航路を使った物資輸送を止めるためである。
ライン河を中心とする内陸水路も、英米の航空隊にとっては重要な目標だった。
こういった体系的な空襲は、独の経済に更なる打撃を与えた。
ガソリンや軽油は、当然、軍需に優先的に回されることから、鉄道輸送や水上輸送が使えないからといって、代替を自動車輸送で賄うというのは困難な話であり、地域によっては馬車が戦時中には一時的にかなり復権するという状況が引き起こされたという。
実際、話が少し先走るが、1940年秋以降、軍事関係を優先輸送したこともあり、独の民間生産や国民生活に、こういった輸送網破壊の影響が徐々に目に見える形で現れるようになっていく。
例えば、ウクライナ等からの穀物が、何とか独東部には届いても、そこから更に先、ルール地方等には軍製品の輸送が優先されることから、穀物が届かずに独東部に滞留してしまうという滞貨現象が発生し、ルール地方での食料配給が遅れるという事態が発生するのである。
そのため、独全体では食料が余っており、飢餓の心配等が無い筈なのに、独の一部では飢餓が発生するという悲劇さえ、この戦争の末期の頃には起こるようになってしまった。
なお、この頃は、こういった欧州での航空作戦に、日本空軍は関与していなかった。
日本空軍は、極東での作戦に手一杯だったために、欧州に部隊を派遣していなかったからである。
塚原二四三中将以下、ある程度の士官は派遣され、日本空軍が欧州に派遣された場合に備えた準備はなされていたが、とても欧州にまで実動部隊を派遣することはできなかった。
更に言うなら、物資補給や人員補充等の困難もあった。
実際、日本海軍航空隊が積極的に活動できたのは、1940年6月中までであった。
同年7月以降は秋の補充が届くまで、人員の補充や物資の補給が必要な状況に陥ったとして、出撃禁止の北白川宮大将の直命を盾にとり、英米等からの航空支援の要請を、欧州にいる日本海軍航空隊は拒絶することになる。
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