第2章ー2
そして、仏、ベルギー、オランダを独空軍による空からの脅威から守るために、英空軍や米陸軍航空隊は力を尽くし、いわゆる「戦闘機の傘」をこの三国に差しかけたのだが。
それだけでは、どうしてもジリ貧感が拭えない。
その一方で、独がやるのなら、こちらも報復すべきだという意見も強まる。
そのために、独本土に対する、主に英空軍や米陸軍航空隊を中心とした空襲も、徐々にだが本格化していくことになった。
その空襲の目標も様々なものになった。
もっとも大きな目標になったのは、言うまでもなく、独の首都ベルリンだった。
とは言え、英米共にベルリン空襲は、軍事的な目標というよりも、むしろ象徴的な目標という意味合いを持つと考えていた。
ベルリンに対し、英仏米日側の戦闘機が護衛した爆撃機の大編隊が、白昼堂々と空襲を加える。
これに成功したら、独の国民の多くが精神的な衝撃を受けるだろう。
こういったことから、大パフォーマンスと一部からは評される作戦が断行されることになった。
「本当にやるのか」
1940年6月の時点で、欧州に派遣されている日本海軍航空隊の戦闘機部隊の総隊長である源田実少佐としては、正直に言って気乗りがしない作戦であった。
確かに勝算がある作戦ではある。
だからといって、実際にやって、どれだけの戦果を挙げられるのかというと。
「継続的に行うことは困難、事実上は一度きりの作戦になるのだから、本音を言うとやりたくない。それに余りにも泥縄的な作戦ではないか」
それが源田少佐の正直な思いだった。
1940年6月18日、独軍の西方戦役が始まってから1週間余りが経っていた。
日本海兵隊等による果敢な反撃が行われているが、独陸軍の大攻勢の前にオランダ、ベルギーの国土の大部分が失われつつある。
こういった状況から、英仏ベルギー、オランダの国民の戦意を鼓舞するために、独の首都ベルリンに対する大空襲といった作戦が、急きょ立案されたのだ。
日本海軍航空隊の零式艦上戦闘機120機の護衛の下、米陸軍航空隊が欧州に展開している稼働可能なB-17のほぼ全機120機が、ベルリンに対する空襲を加える。
正直に言って、源田少佐にしてみれば、こんな作戦を展開するよりも、西方を目指している独陸軍に対して直接攻撃を行う方が、戦況に与える直接的な影響が大きいのでは、と思わざるを得ない作戦だった。
とは言え、源田少佐もそれによって得られる精神的な影響については否定できなかった。
白昼堂々と、護衛戦闘機を伴った重爆撃機の大編隊が独の首都を空襲する。
独の国民に与える精神的な影響は大きいに違いない。
その一方で、この作戦が断行されることによる英仏米日等、特にオランダやベルギーの国民に与える精神的な高揚も大きいと期待されていた。
既にロッテルダム等、オランダ、ベルギーの都市に対する空襲(独空軍に言わせれば、軍事目標に限定しての爆撃であり、無差別爆撃で無いということだが、実際の爆撃結果を見る限りは無差別爆撃である、と源田少佐は判断していたし、英仏米日等の各国政府、軍も同様に主張していた。)が行われているのだ。
このような状況が続いては、オランダ、ベルギーが降伏し、更に仏の降伏を招くといった事態が起きかねないと(この頃は)判断されていたのだ。
そうした中で、独の首都ベルリンが同様の目に遭う。
英仏米日等の各国の国民の多くが快哉を叫び、降伏を叫ぶ声が小さくなるだろう。
源田少佐にとってそういったことを考え合わせると。このベルリン空襲作戦の断行を反対しづらかった。
更に付け加えると遣欧総軍総司令官である北白川宮成久王大将から、この作戦の決行が日本海軍航空隊に命ぜられていたのだ。
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