第1章ー27
最終的にこの戦闘において、土方少尉が先陣を務める日本海兵隊の戦車中隊の損耗は4両に過ぎなかった。
しかも、その4両共に履帯や転輪の損傷等という損害で、(すぐには無理だが)修理して前線への復帰が何とか可能な損傷に留まった。
一方、独軍戦車の損耗は。
「酷いものだな」
岸中尉は、自分達がもたらした惨状にもかかわらず、そう呟きながら、戦場を後にせざるを得なかった。
独軍の戦車は50両近くがこの戦闘に参加した筈だが、戦場に20両以上の骸をさらしていた。
最終的に戦場の確保に成功したのは、日本海兵隊ではあった。
だが、その一方でサン・ヴィット救援を最優先せねばならない事情から、敵に奪還されて再利用される危険性を考えても、遺棄された独軍戦車をほぼそのままにしてこの戦場を去るしか、岸中尉等には手段は事実上無かったのである。
土方少尉はこの大勝利の後の返す刀で、サン・ヴィットへの進撃を阻止しようとしている独軍への攻撃の先鋒を承ることになった。
独装甲師団の難点が、火力に不足していることだった。
日本海兵師団の野戦砲兵部隊は、この当時105ミリ野砲36門、155ミリ榴弾砲12門を基本とする火力を持っていたのに対し、独装甲師団の野戦砲兵部隊は、105ミリ野砲24門、155ミリ榴弾砲8門を基本とする火力を持つに過ぎなかった。
(もっとも、火力不足は機動力等で補うという発想があったことから考えると、独装甲師団の発想が誤っていたとは言い難い。
結局のところ、火力と機動力のどちらを重視するかの違いにより、生じたものとしか言いようがない。)
更に問題が独軍にはあった。
「こちらの方が航空支援を得られそうだな」
土方少尉は、楽観的な思いをしていた。
上層部に航空支援を要請したところ、予定通りの時刻に味方の航空隊による支援爆撃が始まったのだ。
少々の火力不足は、航空支援で補えると独軍は事前には判断していたようだが、実際には独軍の爆撃等による航空支援は滞りがちになっており、こちらの方が効果的な航空支援を得られるようになっている。
実際、土方少尉が双眼鏡で見る限り、目の前の独軍陣地は、味方の砲爆撃によって破壊されつつある。
一方、我々の独空軍による損害が生じていないことは無いが、無視できるレベルに止まっている。
「そろそろ行くかな」
敢えて自分達の乗る戦車の主砲を発砲させながら、土方少尉は自分と部下達を前進させていく。
行軍中の射撃は、そう当たるものではないが、敵軍への威圧効果は抜群だ。
既に航空攻撃による効果も上がっている。
追い打ちを掛けるように、味方砲兵部隊の射撃も始まっている。
土方少尉率いる戦車小隊は味方の海兵部隊と連携して、独軍の陣地を蹂躙することに成功した。
サン・ヴィットへの関門は、独軍の妨害にもかかわらず、日本海兵隊により少しずつ開かれていった。
6月25日昼前、土方少尉は自分の視界に入る兵達が、独軍の兵士ではないことに気づいた。
彼らは仏軍の軍服を着ており、自分達に手を振っている。
ということは。
「自分達は、サン・ヴィットへの救援任務を果たせたのだ」
そう思った瞬間、土方少尉は思わず落涙した。
父祖の名を辱めずに済んだようだ。
「いや、気を緩めるな」
土方少尉は、すぐに頭を振った。
「サン・ヴィットの包囲網を完全に解放した時が、本当の終わりなのだ」
そう思い返して、土方少尉は改めて気を引き締めた。
だが、この瞬間がサン・ヴィット攻防戦の終わりを告げるものだったのは間違いなかった。
さすがに北白川宮大将は無理だったが、第1海兵師団長の小松宮少将は6月26日の朝方、サン・ヴィット市内にたどり着き、レヴィンスキー将軍と握手したのだった。
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