エピローグー3
微妙に相前後するが、1940年の12月24日の昼過ぎに、土方勇志伯爵は、孫の嫁である土方千恵子を連れて、木更津にある林忠崇侯爵の本宅を訪問していた。
林侯爵の次女である林ミツから内報を受け、土方伯爵は急に思い立ったふうを装い、林侯爵の本宅を訪問したのだった。
林侯爵は、土方伯爵と土方千恵子を歓迎した。
「わざわざ急に来るとは何事だ」
「いえ、今年の帝国議会が始まる前に、色々と膝詰めで話し合っておきたいと思い、来訪しただけです」
口ではさり気なく土方伯爵は、林侯爵の問いを流した。
だが、土方伯爵だけではなく、その横にいる千恵子でさえ、林侯爵が老衰だけではない病の蔭を背負っているのを察した。
おそらく、来年早々には万が一という事が。
2人は口には出さずに、目で会話をしてしまった。
「今年の帝国議会は欠席するつもりだ。既に欠席届は出している。体調が余り良くないのだ」
林侯爵自身が、自分の死が近いのを覚っているのだろうか。
林侯爵自身が、そう言い出したことに、二人は驚いた。
「それならそうと言ってくだされば」
土方伯爵は思わず言ってしまった。
「どうせ、ミツが連絡すると思っていたからな」
林侯爵は、それ以上は言わなかったが、二人は林侯爵の考えを察した。
自分の体が衰え、死が間近いのを林侯爵は自覚しているが、周囲には言いたくないのだ。
老人の片意地といえば片意地だが、90歳を越えた老人の想いからすれば無理はない、と二人は想った。
「それでも、わざわざ来てくれたとは有り難い。千恵子、勇志と二人きりで少し話させてくれないか」
「分かりました」
千恵子は、林侯爵の言葉に従い、執事に連れられて入った林家の書斎で暫く時間を潰すことにした。
千恵子は、林家の書斎にある様々な書籍の表題にざっと目を通したが、自分が読んで面白そうな書籍は見当たらなかった。
半ば仕方なく、千恵子は林家がとっている新聞を読んで時間を潰すことにした。
土方家でも新聞を3つ程、取っているが、林家はそれ以上で新聞を5つ程、取っていた。
複数の情報源で、情報を精査する。
基本といえば基本だが、政治等を行う上での要諦である。
土方伯爵の秘書を事実上務める内に、千恵子はそれを自然と学んでいた。
土方家が取っていない新聞の記事を読んで、それからの情報を把握し、それを千恵子は自分の把握している情報と比較対照して、最新の極東戦線と欧州戦線の状況を改めて把握しなおすことで、時間を潰すことにした。
そうして千恵子が新聞を読んで時間を潰していると、土方家の取っていないある新聞の記事の中で、北京に駐屯している第56師団の師団長、簗瀬真琴少将と従軍記者との会見記事が出ていた。
簗瀬少将の名に、千恵子は記憶があった。
確か、自分の母、篠田りつの小学校の同級生の筈だ。
そして、父とは、小学校、中学校の同級生である。
千恵子の父の家は離散している。
その原因について、母の口は重く、千恵子が尋ねても言を左右にいつも逃げられてしまう。
異母弟の総司が、総司の母、忠子から聞いた話によると、その件についてはりつが悪い、と一言でいつも斬り捨ててしまい、それ以上は口にするのも汚らわしい、と忠子が言わんばかりなので、総司も詳しくは聞けないとのことだった。
ただ、千恵子の伯父が渋々口を開いた話を聞く限り、どうも簗瀬少将が暴走した結果らしい、と千恵子は推察していた。
勿論、その当時は簗瀬少将は単なる陸軍の尉官だったが、家が家である。
簗瀬少将の家は、会津三家と謳われる会津の名家だった。
そして、簗瀬少将が、父を誤解し、父の家に対して音頭を取り、同級生と共に攻撃したことで、父の家が離散したというのが真相らしかった。
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