第5章ー18
ルイ・モニエール少尉を訓戒しつつも、アラン・ダヴー大尉は気を緩めずに、指揮下にある歩兵中隊を自らの手足であるかのように指揮した。
「止まった時が死ぬ時と思え。機動力を発揮しつつ、火力の重要性を頭に置く。最大の基本だ」
ダヴー大尉は、かつてスペインで叩きこまれたことを思い起こし、そう部下を指導した。
自らの指揮下にある擲弾筒班と機関銃班を組み合わせて活用し、敵軍の陣地を突破していく。
自らの指揮下の兵器で手が足りなくなったら、砲戦車等、他の部隊の助けも有効に活用する。
ダヴー大尉の指揮下にある歩兵中隊は、仏軍外人部隊師団の最先鋒をいつの間にか務めていた。
モニエール少尉は、ダヴー大尉の指揮に素直に驚嘆していた。
「サムライの息子という血とダヴーの名に恥じない指揮官だな」
モニエール少尉の呟きを耳にしたフリアン軍曹は、自らが褒められたような想いに駆られた。
フリアン軍曹は、スペイン内戦以来のダヴー大尉の腹心の部下である。
それに自らも(第一次)世界大戦の際の日本海兵隊員、サムライの遺児という誇りがある。
モニエール少尉の呟きは、フリアン軍曹を喜ばせた。
「あの大尉は本物の軍人です。私の目からもそう思います」
「君は、あの大尉を知っているのか」
「よくは知りません。ですが、私の目から見ても中々です」
フリアン軍曹は、思わずモニエール少尉に言ってしまい、慌てて口を濁した。
上官との私的な関係は、周囲に触れ回るモノではない。
だが、モニエール少尉は、その言葉だけで察した。
「君のような下士官が、そこまで言うのだ。模範にして頑張らねば」
「はい。おっしゃられる通りです」
モニエール少尉とフリアン軍曹は、そんな会話まで交わした。
部下達がそんな会話をしていることを知らずに、ダヴー大尉は歩兵中隊を率いて、アーヘンをひたすら目指し、アーヘン一番乗りを果たそうとした。
そうこうしているうちに、ポーランド軍と共に、アーヘンへとフランス外人部隊は迫った。
独軍にとっても、アーヘンを失陥することは、独の主要な都市の一つを失う事であり、死守しようと部隊を集めることになった。
このことは必然的に、ベルギー、オランダ等における英仏軍の主攻勢を側面援護することにもなった。
アンリ・ジロー将軍は、上機嫌な日々を送っていた。
自分がフランス軍総司令官に就任した後、英仏軍の主力は攻勢に転じている。
そして、独軍は退却を徐々に余儀なくされているのだ。
「年内には、ベルギー、オランダの主要部から独軍を追い出せるのではないか」
1940年10月現在、そう自分や幕僚達は判断する有様だった。
西方から我々が攻勢を取り、南方からポーランド軍等が北方へと突き上げるような側面攻撃を加える。
独軍はこの攻勢への対処に苦労しているようだった。
アーヘン市街地に間もなく手が届くようなところまで、ダヴー大尉率いる歩兵中隊は順調に前進を果たしていたが、アーヘンが指呼の間に入るにつれ、師団司令部は進撃を慎重にするようになり、ダヴー大尉もそれに同調する意見を言うようになった。
これには部下の多くが疑念を覚えた。
後少しなのだ、何故に急進を果たそうとしない。
師団司令部の真意は、数日後に分かった。
独軍がアーヘン死守の為に、更に部隊を集めたのだ。
当然、ライン河の独軍の防衛線は相対的にだが手薄になる。
それに。
「独軍は罠に掛かったな」
ダヴー大尉はそう独白した。
アーヘン防衛のために部隊を集めれば、そこへの補給も独軍には負担になる。
そして、アーヘンへの補給路の維持のために、ライン河の橋を独軍はそう落とす訳には行かなくなる。
「後は、日米軍の動きに期待するか」
ダヴー大尉は、そう独り言を言った。
この当時のフランス軍に何故に擲弾筒がある、というツッコミが入りそうですが、後で補足説明します。
(少しだけ言うと、ダヴー大尉が日本海兵隊とのコネを使い、員数外で確保しました。)
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