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12月―対峙すべき現実の姿


 12月24日は最後の三者面談だった。


 いつもと同じく、実際に先生と面談をしたのは僕と父さんだけど、この日は義母さんと、義姉の千都世さんも同行して伯鳴市に来ていた。夏休み以来ひさしぶりの機会だから顔を見にきたのだと、表向きは話していた。


 勉強面での高評価を聞いた父さんは、ぱっと見はいつもと変わらないものの、機嫌がよさそうだった。




「鏡一朗」アパートの階段を上がろうとしたところで、義姉さんに声をかけられる。「アタシは下で待ってるから。がんばれよ」


 先に上がった両親は部屋の前で待っていた。


「カギは開いてるから、入って」

「閉め忘れか? 不用心だな」


 父さんがドアノブに手をかけて扉を開く。


「お帰りなさい。遠路はるばるお疲れさまでした」


 玄関では乙姫が三つ指をついて僕たちを待ち構えていた。


「な……」と絶句する父さん。

「あなた、ぼーっとしてないで入りましょう」

 義母さんは平然としていた。父さんの肩を叩いて入るよう促すが、その足は進まない。ぎこちなく僕の方に首を回し、表情を険しくする。


「どういうことだ」

「これから説明するよ」


 こちらの淡白な切り返しに、父さんはピクリと眉を上げる。高まっていく緊張感は、明るい声にかき回される。


「――上着をお預かりしますね」


 乙姫が父さんに向かって両手を差し出した。来客を出迎える新妻っぽい演出は乙姫の発案である。とても楽しそうだ。父さんは数秒ほど固まっていたが、やがて仕方なさそうにコートを脱いで渡していた。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 ただでさえ広くない1Kの居間は、四人も入ると圧迫感さえ感じるほどだ。


 いつもはテレビに対して水平になっているローテーブルの向きを変えて、僕と乙姫、父さんと義母さんで、並んで対面する形になる。


「繭墨さん。さっきの冗談はどういうつもりなのかね」


 父さんがまず乙姫に話しかけたのは、きっと、僕たちの間にある、何かを切り出そうとしている雰囲気を察したからだろう。


「ご報告があります」

「まず、進学のことだけど……、大学へは行かないことにしたから」


「何を言っている。さっきの面談では――」


「子供ができたんだ」


 隣で乙姫がゆっくりとうなずいた。


 父さんはぽかんと口を半開きにする。

 義母さんは優しい笑みを浮かべ、ほほに手を当てた。


「乙姫は、子供が落ち着くまでは育児に専念して、僕は働くつもり。っていっても、出産まではそばで見ていたいから時間に融通の利くバイトでつないで、来年の秋に公務員試験を受けようと思って――」


「――お前は自分が何をしたかわかっているのか」


 感情を抑えた平坦な声が割り込んだ。


「育児に専念だとか、進学せずに働くだとか、ずいぶん気軽に言っているが、それがどれだけ大変なことか……、ああそうだ、病院へは行ったのか?」


「はい、妊娠6週目でした」


 乙姫の事務的な報告に、父さんは口元をゆがめる。


「だいたい、あれほど、言い続けてきたというのに……、繭墨さん、君はそれでいいのか? 進学については鏡一朗これよりも熱心だっただろう。一時の感情に流されて、将来を諦めるつもりか? 劇的な状況に酔っていないと言い切れるのかね?」


「進学も就職も出産も、同じく将来。順番が入れ替わっただけです」


「全ての人が準備万端で親になるわけじゃない。僕たちに、あの時点で親になる自覚がなかったのは事実だ。でも、これからは、そうなろうと覚悟を決めたんだ」


 乙姫と僕は、父さんをまっすぐに見据えてそう告げた。


 父さんは小さく左右に首を振ると、短くため息をついた。


「二人の気持ちはどうあれ、お前は約束を破った。それは理解しているな」

「うん、わかってる」

「では、家賃や仕送り諸々の支援は、今月をもって打ち切らせてもらう」


「わかった」


 ゆっくりとうなずく。不貞腐れている、だなんて間違っても誤解されないよう、父さんと目を合わせて真剣に。


「そうなると、確認しておきたいんだけど」

「確認?」

「打ち切るっていうのは、この部屋の契約も含まれるの? もし契約自体は続けてくれるのなら、家賃の支払いが僕に変わるだけだ。でも、賃貸契約そのものを打ち切るのなら、僕は住む場所を失うことになる」


 それから、これがいちばん困ったことなのだけれど。


「未成年だから、ひとりで新しく賃貸契約を結ぶこともできない」


「親の言いつけに逆らうというのはそういうことだ。覚悟を決めたんだろう?」


「そうだね。僕は来月から家出人だ」


「なんだと」


「実家には戻らない。二人で住める部屋を探すよ。乙姫が契約をして、彼女のご両親に保証人になってもらう」


「そんなことが――」


 僕の言葉の真偽をたしかめるために、父さんは乙姫の方を向いた。

 乙姫は静かにうなずいた。


 父さんの目が怒りに吊り上がる。このひとの、こんな感情的な顔を見たのは初めてだった。母が死んだときは失意が強すぎたせいか、表情らしい表情は消えていたから。


「お前は――、どれだけ人様に迷惑をかけるつもりだ」


 父さんの腰が浮いた。腕が伸びてくる。

 僕の首元へ、襟をつかもうと――


「そうねぇ。さすがにそれはいけないわ」


 ゆっくりとした言葉が場を制する。


「新しい保証人はお義母さんがやりましょう。その方がスムーズだし、ここを引き払う必要もないでしょ? 大丈夫、私も審査に通るくらいの収入はあるから」


その落ち着きぶりを妙に思ったのか、父さんは眉をよせた。


「……お前は、知っていたのか?」


「はい。ほんの二日前に、鏡一朗君から電話があったの。初期の妊婦さんが気をつけることを教えてほしい、って」


「そうか……、すぐ戻る」


 父さんは立ち上がって部屋を出ていった。

 たぶん、共用通路へタバコを吸いに行ったのだろう。


 その背中を見送ってから、義母さんはこちらへ向き直る。


「あなたたちは落ち着いているわねぇ」

「さんざん話し合いましたので」


 妊娠を告げられた日から準備は始まっていた。


 二人の現在の所持金。

 就職への道筋。

 住む場所の確保。

 生活費の工面。

 育児にかかる金額の算出。


 両親の反応ごとに場合分けして、生活の困難さを数段階に分類。覚悟というのは精神的・肉体的なショックを想定して準備することだ。


 現実と対峙するための方法を――

 否、

 対峙すべき現実の姿を明らかにするために、乙姫と二人で考え続けた。


 親を論破しようなんて思い上がってはいない。

 自分たちの考えを伝えないのは、甘えだと思ったから。


 これからどういう人生を歩むつもりなのかを伝えようともしないで、ただ反抗するだけでは、それこそ一生、子供から抜け出せない。


 未成年の出産や子育てが大変なことはわかる。

 想像はできる。

 想像しかできない。

 つまりは絵空事だ。


 実際にその道のりを乗り越えてやり遂げるまでは、どんな綺麗ごとも、ご立派なお題目も、しょせんは机上の空論にすぎない。その道を歩いたことのない僕たちは、険しさを想像するしかない。


 だから、現時点の僕たちにできるのは、どれだけ不出来で未熟でも、ここまで突き詰めて考えていますという想定を示すことだけだ。


 それは、どれくらい伝わったのだろう。

 恐るおそる問いかける。


「……義母さんは、何も言わないの?」


「実際にお腹を痛めた経験のある者としては、産むななんて言えないわ。かといってあなたたちを引き離すのもねぇ。


 それに、高校を卒業して大学に行って、就職して、しばらく働いていい相手を見つけて、あるていど養えるようになった二十代後半くらいで結婚して、子供は二人くらいほしい――そういう安定志向のビジョンを進んでいくのもいいけれど。


 期せずして産まれた子供を、未熟者なりに必死になって育てていくのが、悪いことだとは思いません。そりゃあ、前者を良しとするのが世間様の価値観なんでしょう。お義母さんも、昔はそう考えていたけどね」


「……今は違うの?」


「わかるでしょう? わたしも、あのひとも、かつて一生を共にすると信じていたパートナーはもういないんだから。今は別のひとが隣にいて、そんな自分を昔は想像すらしてなかった」


 義母さんは、父さんが出ていった扉を振り返って、かすかに目を細める。


 その言葉は奇しくも、乙姫の両親にも当てはまるものだった。

 僕たちは目を合わせて、その共通点に改めて思いを馳せる。


「……だから、あなたたちがお互いを必要としているのなら、その出会いを一生ものだと信じて進むのなら、親として見守るわ。ただし、あの人の言ったとおり、相応の苦労は覚悟しておいてね。責任も喜びも、あなたたちのものよ」


「ありがとうございます、お義母さん」


 乙姫は正座したまま少し下がって、ていねいに頭を下げた。

 義母さんはその慇懃さに苦笑を浮かべる。


「きっと頭の中ではわかっているのよ。二人とももう18歳なんだから。親が何を言ったって、当人たちが本気だったら、止めようがない年齢だもの」


「はい。きっと、止まりません」


 乙姫の言葉に義母さんはふたたび苦笑。


「ただ、あの人は、鏡一朗さんの前では〝厳しい父親像〟を自分に課しているところがあるから、無条件で二人の関係を許すことはないでしょう。そういう親心も、わかってあげて」


「ん……」

「心しておきます」


 僕と乙姫はそろってうなずいた。義母さんの話をこんなに長く聞いたのは初めてかもしれない。


 その話が終わるまで待っていたわけでもないだろうが、ちょうどいいタイミングで父さんが戻ってきた。こちらをじろりと睥睨へいげいしたあと、座るのではなく、壁にかけてあったコートを手に取って、


「繭墨さん。今日はご両親は――」

「夕方の時間帯を確保しています」

「相変わらず準備がいいな」

「恐縮です」

「私だけが蚊帳の外だったというわけか。まったく……」


 ため息をつきながらコートに袖を通す父さんは、出ていく前と比べていくらか険が取れているようだ――なんて観察していると、鋭い視線を向けられる。


「何を呆けているんだ。行くぞ」

「あ、うん」


 立ち上がると、頭からつま先までじろじろと見まわされて――


「いや、その前に、シワのないシャツに着替えるんだ」

「え? シワ?」


 着ているワイシャツを見ても、そんなにヨレているとは思えなかったが、父さんの目には違って映るらしい。


「もっとしゃんとした格好をするんだ。だらしない格好の者は舐められる。外見が理由でレッテルを張られて苦労するのはバカバカしいだろう。険しい道を選ぶのならなおのこと、余計な苦労は避けるよう心がけなさい」


「あ、うん……」


「はい、鏡一朗さん。アイロン掛けしておきましたよ」


 パリッパリのワイシャツを広げながら乙姫がほほ笑む。いつのまに……。


「見た目の大切さは、繭墨さんの方が理解しているようだな」

「鏡一朗さんのいいところは目には見えませんから。お義父とうさん」


 露骨に付け足されたひと言に、父さんの動きが一瞬だけ止まる。


「これからも、未熟なわたしたちを厳しく律してください」

「気が早すぎる。……だからこそ、鏡一朗それとバランスが取れているのかもしれんが」


 父さんは踵を返し、襟元を正して、


「先に行くぞ」


 とさっさと部屋を出ていってしまう。


「仕方ないわねぇ」


 義母さんがよっこいしょと立ち上がり、イタズラっぽい笑顔を向ける。


「二人は、あと十分くらいしてから降りてきて。その間に慰めておくから」

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