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ハッピーエンドはここじゃない  作者: 水月康介
3年次2学期 ―浮気疑惑編―
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格差ラブコメの第1話


「んじゃ僕は先に帰るよ。文化祭の準備がんばってね」


 鏡一朗さんはいつもより背中を丸めて教室を出ていきました。放課後は受験生にとって貴重な勉強時間です。駅前の図書館に籠もるのでしょう。文化祭の開催が近づいた今の時期は、学校の図書室にはそれなりに人の出入りがあるため、集中を削がれるのが嫌だったのでしょう。たぶん。

 文化祭の活気ある雰囲気が嫌で学校から遠ざかりたかった、などというネガティブな理由ではないと信じたいところです。


「キョウ君、なんかくたびれた感じだったね」

「そうかしら」

「うん、なんていうか背中にアイキューが漂ってるっていうか」


 IQ――すなわち知能指数が漂っているというのはどういう状態でしょうか。知性の高さが後ろ姿から感じられるのであればそれは素晴らしいことですが、わたしには曜子が何か勘違いをしているようにしか思えません。


「……ああ、哀愁のことね?」

「そうそれ、惜しい」


 曜子は指を鳴らす仕草をしますが音は出ませんでした。

 表音文字と表意文字の垣根を超えてしまうなんて、その発想の自由さにはいつも驚かされます。


「ヒメってIQいくつ? なんか高そう」

「さあ、計ったことがないからわからないわ。低くて困るものだったら頑張って鍛えて高くするけれど。たぶん血圧の高低よりは意味のない数字よ」


「そうそう、そんなことよりキョウ君の哀愁アイシューだよ。またなんか問題かかえてるんじゃないの?」

「そんなことはないわ」

「ひと夏のアヤマチとか火遊びとか、そういうのないの?」

「誤ってないわ」

「えー」


 曜子は冗談めかした物言いをしつつも、わたしの態度から何かを探ろうとしているようでした。視線の感じからそういう印象を受けます。


「……じゃあどうして二人は別々になってるの。キョウ君は受験勉強をして、ヒメは文化祭の準備……、なんだか家庭内別居みたいだよ」


「飛躍しすぎよ。おじいさんは山へ柴刈りに、お婆さんは川へ洗濯に行くものでしょう」


「枯れ果てちゃってるお年寄りならともかく、イチャコラ盛りの2人がなんていうか、お行儀よく? 真面目に? 自分は自分、相手は相手――」


 曜子は小さく前倣えのように等間隔で両手をそろえ、言葉に合わせて左右に動かします。


「――って感じで公私を区別してるのが、なんかすっごく、こう」


「誰もがうらやむ理想の夫婦だが、実はその関係は冷え切っていて、裏では家庭崩壊寸前、みたいなドラマでよくある状況になってるんじゃないのか?」


 赤木君が割り込んできましたがわたしたちは驚きません。数歩離れたところから、話に入りたそうにチラチラとこちらを見ていましたから。


「夫婦なんて、持ち上げすぎよ」

「テレてる!」と曜子。

「そういうつもりで言ったんじゃないのに!」と悔しそうな赤木君。


 二人の大げさな反応に困惑しつつ、わたしはため息をついて静かに応じます。


「真面目に答えるとね、時間がないのよ。鏡一朗さんは志望校のランクを上げたから勉強を頑張らないといけない。わたしは、残り少ない高校生活を充実したものにしたい。もちろん勉強はきちんと進めつつ、だけど」


 いったん言葉を切って、わたしはメガネの位置を正します。


「わたしはそれを両立できる。鏡一朗さんは難しい。だから放課後は別々になるの。そういうことよ」


「充実……、してなかったの?」

「そういうわけじゃないわ。ただ、その……、最後の文化祭だし、ヨーコと一緒に何かやりたいと思ったのよ」

「ヒメぇ……」


 曜子が机越しに抱き着いてきます。


「ちょっと危ないし重いわ」

「えへへ」

「自分、写メ一枚いいすか?」


 曜子の肩越しに、赤木君が興奮気味にスマートフォンのカメラをこちらへ向けています。


「撮ったら許しませんから」

「じょ、冗談だよ、冗談……」


 曜子の頭を撫でつつにらみつけると、赤木君は顔を引きつらせながら、そっとスマートフォンを仕舞います。


「でもキョウ君、ちょっとさみしそうだったよ」


 身体を離した曜子は、自分のことのようにさみしそうな声で言います。


「……わかっているわ」

「妻の目を盗んで浮気を……」

「それはないわ」

「断言しおった!」


 赤木君は目を丸くしていましたが、曜子は逆に理解を示す表情。

 曜子はわたしの家庭環境を把握しているからでしょう。


 両親のすれ違いと浮気による離婚という、繭墨家の事情を知っている鏡一朗さんが、浮気なんてことをするはずがありません。


「まあ、あいつにそんな甲斐性はないか」

「でも、逆はあるかも」

「逆ってなんだ」

「女の子の方から言い寄ってくること」

「……あるか?」

「あるよ。ほら、ここに実例が」


 曜子は自分の顔を指さし、次いで、わたしの顔にその指先を向けます。


「ちょっとヨーコ、人の顔を指ささないの。……わたしは自分から言い寄ってはいないわ」

「でも千都世さんとキョウ君が仲良くしてるとき、むっちゃ不機嫌そうになってたじゃん」

「それは……、まあ、そうね」

「目を伏せて頬を染めてやがる!?」


 赤木君の反応が大げさでいちいちカンに障りますね。


「ていうか千都世さんって誰なんだ? 年上のおねーさんっぽい響きがあるが」

「ん、ビンゴ、お義姉ねえさん」

「おねいさん……、マジかよ、あいつのモテは局地的なものじゃなかったのかよ……」

「他にも生徒会の子とか」

「ちょっとヨーコ誰よそれは」

「ひぇ? あ、えっと、ほらあの後輩のコ……」


「ああ揺浜さんのこと。びっくりしたわ」

 こぼれたため息は意外と深く、

「……もう終わった相手ね、それなら配慮する必要はないわ」


「え? はっ、排除……?」


 ビクリと身体を震わせた赤木君が一歩あとずさりをします。


「配慮です。配慮」

「あ、で、ですよね……」

「そろそろ移動しましょ、他のクラスの人たちはもう集まってるはずよ」


 話を切り上げて立ち上がります。

 そもそも、放課後に居残っているのは雑談をするためではありません、文化祭の出し物の準備のためです。


「大丈夫大丈夫、心配しなくてもキョウ君はドン引きするくらいヒメ一筋だよ」

「わかってるわ」

「わかってるのか……」


 背後から赤木君の震える声が聞こえました。


 ……わかっては、います。

 それでも、鏡一朗さんに対する、無理を強いているかのような申し訳なさや、いま一緒にいられないことへのさみしさが、なくなるわけではありません。


 ですが、こらえないと。それは、将来のために必要な引っかかりなのですから。

 高く跳躍するための大いなる助走――なんて喩えは、前向きで綺麗すぎるかもしれませんが。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇


 予備校のロビーでニヤニヤ顔が抑えきれない男子生徒は、この僕こと阿山鏡一朗でございます。ええ、ええ、通路を行き交う受験生諸君におかれましては、異物を見るような目を向けないでください。悲しみます。


 学校を出るときは文化祭の準備で楽しそうな連中を横目に、乙姫と一緒にいられない寂しさを感じていたが、模試の結果が良好だと、気分も上向いてしまうってものだ。


 なんたって全国9位ですよ。トップテン入り。

 まあ1科目だけだし、その科目だって選択者数の少ない地球科学、略して地学だ。同率で何人もがひしめいているから、ありがたみも薄れてしまう。


 それでも目に見えていい結果だと気分が良い。最高にハイだ。


 そう。受験生にとっては模試の結果こそがすべて。

 数字に感情を左右されるヒトという動物のなかでも、もっとも敏感で繊細な一群。それが受験生なのだ。


「ねえあんた、結果よかったの?」


 乙姫に見せたらどんな反応をするだろう。喜んでくれるだろうか。でも僕としては次は負けませんよ、と悔しがってくれる方がうれしいかな。……いや待て、この点数より上だったらどうする。少しは頑張ったようですが、なんて見下ろされるのはつらい。若干のご褒美要素がないでもないが、ここまで上げていたテンションが急落するのはキツいなさすがに……。いやいや、乙姫でも全国トップ10サマより上ってことはなかろう。総合点で勝負したら悲しいくらいの隔たりがあるのだ。せめて得意科目のひとつくらい、夢を見せてくれたっていいじゃないか。


「ちょっとアンタ」

「あっハイ!」


 横合いから声をかけられて、現実に戻ってくる。


 放課後すぐに下校した僕は、予備校に立ち寄って前回の模試の結果を受け取った。今はロビーにある長イスに座って、結果シートに目を通していたところだ。


 顔を上げると、見知らぬギャルっぽい女子生徒がこちらを見下ろしていた。制服も伯鳴高校ウチとは違う。どこの制服だっけ。赤木がいれば一発で脳内画像検索してくれるんだけど。


 目が合うと、彼女は数秒ほどためらうような間をおいて、


「……成績、よかったん?」


 とぶっきらぼうな口調で聞いてきた。


「え、まあそれなりに……」

「ふーん……」


 唇をかすかに突き出しながら、見知らぬ女子は手を差し出してくる。


「え、何」

「みせて」

「いや、駄目だよ」

「なんで、いいじゃんか減るものじゃなし」

「目に見えるものの増減だけで物事を判断していると、いつか本当に大切なものを見失ってしまうときがくる」

「は?」


 見知らぬ女子はきょとんとしてしまう。しまった、気分が高揚しすぎていたせいで赤の他人に対してあるまじきテンションで応じてしまった。


 だけどこっちを変なやつだと思ったら、それだけで距離を取ってくれるだろう。奇特な人間という擬態は、社会というジャングルにおいてそれなりに有効だ。人が寄りつかなくなるリスクもあるが。


 しかし、見知らぬ女子はあきらめてくれなかった。

 疑わしげな顔をしつつも、


「……じゃあさ、一番よかった科目、それだけ教えて」


 と手を合わせて食い下がった。

 意外と必死なその様子に、考えを改める。


 ニヤニヤ笑っている変な男子をちょっと馬鹿にしてやろう、くらいの軽い気持ちで声をかけてきたわけではないのかもしれない。そう思うと、あまり邪険に扱うのも悪い気がしてきた。


 それに、こちとら全国トップテンという偉業を自慢したい気持ちがないわけじゃない。むしろけっこうある。


「……じゃあ、それだけなら」


 結果シートを折りたたんで一部だけを見せると、


「9位? マジで!?」

「声がデカい!」


 周囲の死んだ目をした受験生たちが一斉にこちらを向いた。物音に反応するゾンビに取り囲まれたような気分だった。


「9位……そう、キウイはマジで身体にいいんだよ! ビタミンCに食物繊維、ポリフェノールとかいろいろ、美容と健康、滋養強壮、」


 適当なことを並べ立てていると、見知らぬ女子も自分の失敗と、それを僕が必死こいてフォローしようとしていることに気づいたのか、


「へー、スゴーイ、キウイマジパナイ、アタシ明日から毎日キウイ食べる!」


 と街頭インタビューで採用されやすそうなノリのいい反応を返してくれた。割と機転は利く子らしい。


 やがてゾンビたちがこちらに興味をなくした頃合いで、見知らぬ女子は僕の隣に腰掛けた。


 向けてくる視線は最初と違って、こちらを下手したてからうかがうようなものに変わっていた。つまり、僕を上に見ている視線だ。全国トップテン様をな。ふははは。


「ちょっと、頼みがあるんだけど」

「何かな」

「アタシに勉強おしえてくれない?」

「え? なんだって?」


 もちろん聞こえていた。




 ――ねえ赤木、この状況をどう思う?


 ――格差ラブコメの第1話だな。


 脳内でバーチャル赤木を起動させて質問すると、即座に答えが返ってくる。


 バーチャル乙姫を起動させることは怖くてできなかった。

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