釣り合うやつがいるのか 下
「おはよーキョウ君、と赤木君」
雑談に興じている僕たちに、女子生徒が声をかけてきた。
ちなみにキョウ君というのは僕のあだ名だ。下の名前の鏡一朗から取られている。しかしその呼び方をするのは彼女――百代曜子だけだ。
軽く脱色した髪に、薄い口紅、着崩した制服のスカートは平均よりもやや短い。こちらもつられて笑顔になってしまいそうな、明るい表情を浮かべている。
「おはよう百代」と僕。
「おう」と赤木も応じる。
「なんかキョウ君、浮かない顔してない?」
「そう?」
「このクラスの雰囲気にうんざりしてるんだよ」
と赤木がフォローを入れる。事実は明かせないのでこれでいい。それに、浮ついたクラスの雰囲気に辟易しているというのは間違いではない。
「あ、そっか、2人ともさみしいさみしい独り身だもんね……」
と百代が憐れむような優しい笑顔を作る。
「くそ、大きなお世話だ。……そういう百代はどうなんだ?」
と赤木が問いかける。それはごく一般的な返しなのだが、僕と百代がそろっているこの場においては、少しばかり気まずい質問でもあった。
「え、あ、あたしは別に……、そういうのはあんまり。ほら、モテないし」
「んなことないだろ。クラスの演劇で大活躍だったじゃねーか。あれで結構注目されたんじゃないか?」
「んー、そりゃ、少しは目立ったかもだけどぉ……」
「ほかの男にいくら言い寄られても興味がないってか?」
赤木はニヤリとからかうように笑った。
「ほかの男……?」
百代が首をかしげる。
赤木は誰か、百代を狙っている男に心当たりがあるのだろうか。
「またまた、とぼけやがって」
と今度はこちらへ話を振ってくる赤木。彼の瞳は淀んでいた。その日の寝床にも不自由するような物乞いが、リムジンの車内でワインを嗜んでいる富裕層に向けるような、どろりと濁った瞳をしていた。
「オレはてっきり、阿山と百代って付き合ってるとばかり思ってたんだけどな。つーかキャンプファイヤーのときそうなるとばかり」
「はぁ? な、なに言っちゃってんの赤木君、ちゃんちゃらおかしいけど笑えないから」
百代は顔を真っ赤にしながら頬を引きつらせる。
そしてチラチラと繭墨の方をうかがっている。
僕と繭墨の交際を知っているごく一部の生徒――その一人が百代なのだ。
「そうか? お前ら二人、お似合いだと思うけどな。4月の頭っから、なんか仲良かったし」
「そ、そうかなぁ? 別に普通じゃかった? ねえキョウ君」
「うん、普通普通、フラットな関係性だから。だいたい、百代みたいな明るいコと、僕みたいな根暗ぼっちオタク野郎がお似合いだなんて、おこがましいにもほどがあるよ」
「どうした阿山、地面にめり込まんばかりに自らを貶めて……」
「でも、キョウ君ってそんな言うほどオタクじゃないと思うけどなぁ。部屋に女の子の人形とか置いたりしてなかったし。マンガはちょっと多かったけど」
「フィギュアねぇ……、あれはたぶん、オタクの中でもグレードの高い人が手を出すものだと思うよ。けっこう値が張るし、あと、掃除が面倒そうだし」
「え、そんな理由? キョウ君ってもしかして、インテリアの小物を選ぶときも掃除のしやすさとか考えてるの?」
「そりゃするでしょ、普通」
「えー……、キョウ君、やっぱりオタクっぽいかも。ときどき、こだわりすぎっていうか細かすぎっていうか……。『ビニール、サイが穿つ』って言うじゃない」
うがーっ、と猛獣の鳴きまね? をする百代に、僕は呆れつつ応じる。
「言わないよ。何それ、野生のサイにビニールハウスを破られて農業被害が出てるっていう海外ニュース? ……あ、もしかして『微に入り細を穿つ』のこと?」
「そうそれ! ――ってあれ? 赤木君どしたの? ボーっとして」
百代は赤木が黙り込んでいることに気付いて首をかしげる。
「あ、ああ、今、なんか衝撃的な言葉を聞いた気がしたんだが……」
「キョウ君がやっぱりオタクだってこと?」
「いや、その前に……、阿山の部屋には女の子の人形を置いてないとか、マンガはちょっと多いとか、なんでそんなこと知ってるんだよ。まさかガチでお前ら……」
赤木の疑惑の視線を受けて、百代が一瞬だけ真顔になった。
繭墨の方をうかがい、それから、ぎこちない笑顔を作る。
「あはは……、や、嫌だなぁ赤木君てば、想像よぉ、想像。でもホントにないでしょ? 女の子の人形とか、ポスターとか。ねえキョウ君?」
「当たり前じゃないか。だいたい、基本的に僕の部屋って女人禁制だから。女性関係のハプニングとはこの世界で最も縁遠い部屋の一つと言っても過言じゃないよ。最果ての部屋だね。あ、なんかちょっとロープレのダンジョンっぽい名前」
自分でも何を言っているのかよくわからなくなってきていたが、とにかく勢いで誤魔化して、どうにか担任教師が来るまで持ちこたえた。
赤木だけではなく、クラスメイトもそれとなく僕たちの言葉を気にしているようだ。どうやら、僕と百代がデキているのではないか、という疑惑は、地味にクラスに浸透しているらしかった。
横目で繭墨を見てみると、彼女は相変わらずのすまし顔で読書を進めていた。
ただ、手で保持している表紙の辺りが奇妙に歪んでいた。まるでその部分をぐしゃりと握りつぶしたみたいに。
◆◇◆◇◆◇◆◇
――繭墨乙姫視点――
「――お前ら二人、お似合いだと思うけどな」
赤木君の発言を聞いたわたしは、口元が上がるのを自覚しました。
曜子と阿山君の仲が勘ぐられているということは、今のところ、私と阿山君の交際には、誰も気が付いていないようです。
阿山君とわたしをつなぐ接点は、あまりポジティブなものではありません。どちらかというと、醜聞に類する事例です。なので、末永くそっとしておいてもらいたいものです。
阿山君の部屋の内装にまで話が及んでいたのは、少々やりすぎではないかと思いますが、わたしが知っている限り、曜子は何度か阿山君の部屋に上がったことがあるので、それについては特に咎めるようなことではありません。ええ、ありませんとも。
それよりも……。
曜子が阿山君の部屋へ入ったことがある、という衝撃的な事実によって、クラスメイトの好奇の視線の、数と強さが増していくのがはっきりとわかります。曜子の存在感は、隠れ蓑にはうってつけですが、あまり目立ちすぎるのは彼女にとって心苦しいことなのではと心配になってしまいます。
疑惑をなんとかして誤魔化したかったのでしょう、阿山君が意味不明の妄言をまき散らしているうちに、チャイムが鳴って担任の先生が入ってきました。
わたしは文庫本の紙面から目を離し、栞を挟み込みます。
ページはほとんど進んでいません。好きな作家さんの新作なのに、まるで文面が頭に入ってきませんでした。文体や作風が大きく変わっているわけでもないのに、おかしいですね……。
文庫本を閉じると、表紙がくしゃりと折れ曲がっていることに気がつきました。
こちらもまた、奇妙なことです。
購入したときに、傷がないかどうかも確認したはずなのですが。
カバンに入れている間に、どこかにぶつけてしまったのでしょうか。
憂鬱な気持ちに追い打ちをかけるように、窓の外では秋雨が降り始め、グラウンドにまだら模様を描いていきます。