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ハッピーエンドはここじゃない  作者: 水月康介
2年次2学期 ―承前―
4/100

釣り合うやつがいるのか 上


 文化祭から数日が過ぎた、HR前の朝の教室。

 室内は未だに浮ついた空気がただよっている。


 祭りから日常への切り替えができていない、というわけではない。

 文化祭の前後にやたらと増殖する即席カップルども――忌まわしきそいつらこそが、この雰囲気の原因だ。


 同じクラスで恋人同士となった者たちは、教室内で親しげに語らっている。また、別のクラスに相手がいる者は、ニヤニヤと笑みを浮かべながらスマホを操作している。遠近問わず、男女交際真っ最中の人間からは、幸せそうな雰囲気がにじみ出ているものだ。それは臭いのきつい香水のようなもので、本人たちはその不快さに気づかない。


「去年より多い気がするな」


 僕の一つ前の席の赤木航あかぎわたるが、こちらを振り返って話しかけてきた。その表情は苦々しげに歪んでいる。


「そうだね」


 と僕も応じる。

 具体的なデータがあるわけではないが、体感として、


「このアベックの多さは、確かに、去年の文化祭を超えてると思うよ」


「アベックてお前ことばが古いな」赤木は一瞬だけ妙な顔をするが、すぐに気を取り直して、締まりのない教室内の空気をにらみつける。「どいつもこいつも浮かれやがって……」


「キャンプファイヤー効果はあるだろうね」

「ああ」


 僕の推測に、赤木もうなずきを返す。


 今年の文化祭では、最終日にキャンプファイヤーが行われた。

 火災の懸念やら近隣住民への配慮やらというもっともらしい理由を盾に、学校側が数年前に廃止したものだ。面倒ごとを回避したいことなかれ主義によって、生徒たちの楽しみが奪われていたわけだが、それを我らが生徒会長、繭墨乙姫が復活させたのである。


 炎を囲んで輪になってのフォークダンスもある、男女の接近をうながす露骨すぎるイベントは、にわかカップルの成立を大いに後押しした。


 祭りが終わった寂寥感。月明りの下。暗がりの中で燃え上がる炎は、ときおり火の粉を舞い上がらせる。光と影のゆらめきが、非日常な雰囲気に拍車をかける。気になるあいつ・あの子の横顔が、オレンジ色に照らされて、いつもと違った見え方をする。


「もしかして、オレ、こいつのこと……。ふとした拍子に目が合って、恥ずかしくてすぐに逸らして、でももっと見ていたいという二律背反、こいつはオレのこと、どう思っているんだろう、確かめたい、勇気を出して誘いたい、でも断られたらどうしよう、友達という関係を壊してしまうのが怖い――みたいなやり取りがあったんだろうなぁチクショウ」


 赤木の独り芝居には、独り身の恨みがたっぷりと含まれていた。しかし、あの夜には確かに、そんなノリがグラウンドのあちこちで繰り広げられたのだろう。その結果が今の教室内の、むせ返るようなイチャコラした空気なのだ。


「少し我慢してれば、即席カップルなんてすぐに消え去るんじゃないの」

「いや、来月の修学旅行まではなんとかキープしたいと考えてるに違いない」

「あー、それはありそうだね、確かに」

「浅ましいにもほどがあるな」

「恋人という関係性にまで打算を求めるようにはなりたくないよね」

「ああ、まったくだ。いっそカネを積んで交際すればいい」

「恋愛課金とか発想がエグいよ。さらに踏み込めば売春じゃないか」

「いくら出せば手をつないで歩いてくれるんだろうな」

「それは相手によるし、拘束時間によるんじゃないの」

「パートタイマーかよ」

「このネタ、突き詰めていくとちょっと面白いかもしれないね」

「阿山お前……、ときどきエグいこと考えるよな」

「え、そう?」

「愛情に値札をつけるなんざ鬼畜の発想だ」

「例えば、女子高生の手作り弁当5000円っていうのは高すぎるかな」

「それこそ作り手しだいだろ。生徒会長の弁当なら、それでもいいってやつはいるはずだぜ」

「……だね」


 自分から振った話題なのに、繭墨のことが出たとたんに気分が乗らなくなる。


「ん、どうした阿山」


 赤木はこちらのノリの悪さを素早く察して眉をひそめる。


「いや、高嶺の花だなぁと思って」

「文化祭での武勇伝で、もう完全に攻略不能ってイメージがついたよな。山ほど告白されてたのに、けっきょく誰とも付き合わなかったんだから」


 赤木の言うとおりだった。

 フォークダンスの相手になってくれと、たくさんの男子生徒に――それも運動部のエースやらリア充グループの有名人やらに声をかけられた繭墨はしかし、誰とも踊ることはなかったし、誰の告白を受け入れることもなかった。


 表向きには、そういうことになっている。

 僕と繭墨が付き合っていることは、ごく一部の友人を除いて秘密にしていた。

 その理由の一つは、お互い目立ちたくないからだ。


 校内で最も有名な女子生徒が、誰かと付き合っている。

 それは、学校という狭い社会にあってはトップニュースに値する情報だ。


 しかし、その相手が運動部のエースでも、クラスの輪の中心のような有名人でもない、平凡を絵に描いたような男子生徒だと知れたら、ネガティブな意味合いで噂になる。確実にだ。


 これは自虐ではない。ちょっと想像すればすぐに気づく、単純な事実だ。世間の反応というのは大きな波だが、単調で読みやすくもある。あえて飲み込まれるような真似をする必要は、どこにもないのだ。


 それに、お相手が僕のような地味な男子だと知られれば、厄介なことになるのは目に見えている。こんなやつよりオレの方がいいだろ、という自意識過剰男子が続々と登場する、『隗より始めよ』現象を引き起こしてしまうだろう。


「つーか、あの生徒会長が、同年代の男子と付き合ってる姿が想像できねー」


 赤木が窓側に顔を向けつつ、そんなことを言う。

 僕もつられてそちらに目を向ける。


 繭墨が教室に入ってきたことは、姿を見ていない僕も気づいていた。

 彼女が現れると、それだけで一瞬、教室の空気が静けさを取り戻す。


 落ち着いた所作で着席し、音もなく文庫本を開く。それは周囲を自分とを隔絶する、強力な対コミュニケーション障壁である。


 最初はそのあんまりな態度に『お高くとまっている』と反感を抱くクラスメイトもいたが、今ではそういうものだと誰もが受け入れている。彼女の容姿と能力に加えて、テスト順位や生徒会運営の実績が、すべての反感を抑え込み、黙らせ、納得させていた。


 繭墨乙姫。

 我らがクラス、学年――否、学校が誇る〝お姫さま〟。

 その交際相手が凡人であってはならない。

 それが学校という狭い世間における、暗黙の了解だった。


「……確かに、釣り合うやつがいるのか、って思うよね」


 そう応じる僕は、いつもどおりの表情ができているだろうか。

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